■   雁田城  ■
■期日 H19年5月20日(日) 【長野県】小布施町・飯田館・岩松院・雁田城(大城・小城)、
                             高山村・山田高梨館・山田館・福島正則館
■ルート 戸塚自宅〜R1・R16〜入間IC〜圏央・関越道〜渋川IC〜R353・R145〜長野原T〜R292
        〜中野C〜R403〜須坂C〜R406〜菅平〜R144〜真田〜P4〜東御C〜浅間サンライン
         〜小諸C〜R141〜須玉IC〜中央道〜相模湖IC〜R412〜厚木C〜P22〜自宅
■コメント
 週末近くになると、気象庁の当たらないご託宣が気になってしょうがない。で、「今度の土曜は降水確率が結構高い」と出た。日曜はというと、関東一円では10%以下で野駆けにもってこいとナ。でも越後と信濃北部の降水確率は40%以上とある。当然、関東がなので「ん?」となってしまう。実は、草津・白根・志賀のR292を走ろうと、前々から決めていたのである。それじゃあ、ってんで20Km四方のメッシュの天気分布のご託宣を見る。信濃の北東部は確かに紺色の雨模様である。さぁてとぉ、行くべきか/止めるべきか。でも降水短時間のご託宣の方では、カロうじて草津〜志賀辺りはセーフのようである。「まぁ降ったとしても小雨程度であろう」と、いつものようにノウ天気に考える。当然長躯になるので出っ発は4時半と、かなり気合が入っての野駆けになる。早朝なので、保土ヶ谷バイパスなんて、高速道よりスピードを出しているバカばかり。R16も流れていて、何と出っ発から65分で入間インターに入ってしまったワイ。圏央道から関越道に入り、渋川インターまで高速を使用、かなり軟弱。ここからR353・R145で長野原に入り、イヨイヨ雲の上の垂涎ルート、R292です。前哨戦で、長野原からの峠道を草津までガンガン走り、先ずは脚馴らし。さぁ、ココから本番と思いきヤ、電光表示板で「凍結注意」がチカチカ。デジタル温度表示計も麓で4℃である。これは、もしかして道路が凍っているかぁ。まぁ、とにかく行ける所まで行ってみよう。で、草津から上り始めますが山の方は厚い雲の中、ナニやら不気味。それでもノウ天気なHYDはムチを入れるのでした。途中、4台ほど鉄馬とスレ違ったので、これなら大丈夫と判断。上へ登るほどガスが濃くなり、気温も下がってきます。途中で小(霧)雨になります。でも走り出したバカは止まらない。とうとう白根山麓のレストハウスまで到着。悪天候なので、至福の空中散歩とはいかなかった、これもしょうがない。道路が凍っていなかっただけでも良しとしなくちゃ。で、さらに進みますが、山田峠辺りの雪の壁を過ぎた辺りから、ノウ天気なHYDもビクビクし始めます。だって、雨が雪に変わったんだもの。それでも、道路は凍っていないので、さらに進みます。それにしても今日は厚着をしてきて大正解であったワイ、などと思いながら国道最高地点(2152m)の渋峠の手前で、道路上に白い妙なモノを発見。恐る恐る見てみると、雪の塊。道路全体が雪で覆われているわけではなく、微妙な道路の凸凹の関係で所ドコロ塊になっているようだ。それでも、50m程過ぎると、もうこの雪は無くなっており、峠でこの状態だから、これから下は大丈夫だろうとタカをくくって、なおも進みます。確かに道は凍っていなく濡れている、大丈夫に違いない。で、峠の先には雪除けのスノーシェード(トンネルのようなモノ、豪雪・雪崩除け)があるが、シェードに入る前にイヤな予感。グーッとスピードを落とし、ジワリ・ジワリと進みます。すると、どうだぁ、シェードの中だけ道路は完璧に凍っている頭から爪先まで戦慄が走ります。続いてガァーンと頭の中で炸裂・爆発。着地した足が地面に固定できない。そう、厚い氷に凍っていて、ギザギザ登山靴なのにツルツル滑るのです。無我夢中で、どこで・どうしたか分からないが、とにかく道路の真ん中に鉄馬を止めることが出来た。急いでハザードランプを点灯させます。そうしないと後から追突されてしまう。と思う間もなく、四輪が2台、クラクションを鳴らしながら超スローペースで通り過ぎます。早く路肩に移動しなくちゃ。といっても、滑って足元に力が入らない。それでも、氷の凸凹部分を見つけて、足を固定しユックリ鉄馬を路肩に移動成功。さぁ、この先どうしよう、戻ろうか/進むか、といっても普通の人は戻るのでしょうけれど。馬を路肩に留めてシェード内を滑りながら歩いて進み、出口まで出ると、どうやら濡れた道路になっている。ということは「シェード内だけが凍っている」ってコトね。何とかなるかも、と楽天HYDは進む方に決したのでした。でも、どうやってシェードの外に鉄馬を出すか? 出した答えは、道路は氷となって凍っているが、端っこの方は氷の凸凹が少しあり、何とか滑らずに進めるカモ。それでも、万一のコトを考え、サイド・スタンドを出したままにした。また鉄馬の方向転換が難しそうだったので、後ろ向きのままで、ソロリ・ソロリと道路のハジを下ろしていきます。全身の力と全神経を傾けたのは当然です。後から思うと10分程の時間だったろうが、その時は1時間ほどにも感じた。ようやく、シェードの下まで鉄馬を下ろした時には、歯は寒くてガチガチいうのに、胸はハァハァと息苦しい状態がシバラク続いてました。さぁ、今度は鉄馬に跨って進めます。でも、R292を走られた方はご存知のように、シェードは確か3箇所ある筈です。一番高所のシェードは無事通過しても、この先にはあと2箇所残っている。まぁ、高度が下がるから大丈夫だろうとは思ったのだが、アニハカランヤ、500mも走らない内に次のシェードが待ってました。こりゃぁ、ダメだぁ。2番目のシェードは、最初のシェードより中はツルツルしていて、道の端でも完全にアウト。こうなると腰が据わる、鉄馬から降りて馬と一緒に、滑るように歩いて出口に向かってマッシグラ。坂だからドンドンスピードが上がるがブレーキは掛けられない。それこそ死に物狂い、よくもまぁ馬も人間も転倒しなかったモノだ、神のご加護かしらん。最後のシェードでは更に腰が据わり、鉄馬に乗ったまま足をアウトリガー船のようにして、バランスをとりながら低速で進みます(というか、シェードが長くて人馬一体での徒歩通過は不可能と判断、さっきの短いシェードの出口付近でさえ体力ギリギリ)。ブレーキを掛けたり、ハンドルを切ったらイチコロである。でも、これも日頃の行いのセイか、無事シェードの外に出られた。信じられなーい(ヒルマン監督風に)の一言。記憶では3箇所のシェードであるが、記憶間違いかもしれない。この後もハザードを点滅させながらソロリ・ソロリと進みます。ヘルメットのシールドには氷がヘバリ付き視界不能、当然オープンにしているから、雪が顔に当たって痛〜い。普段は雨に濡れた道路がイヤで・キライでしょうがないのだが、この時ほど雨に濡れた道路が有難かったことはない。どうやら、シェードはもう出てこない。ここでようやく多少の余裕が出てきて、鉄馬を路肩に停め、周りの景色のデジカメ写真を撮った。峠からかなり下がった地点であることを考慮して、渋峠付近の恐怖の状況を想像して貰いたい。丸池スキー場辺りまで下ってくると更に余裕が出て、鉄馬にムチを入れて遅い四輪をブチ切る始末。とうとう中野市内に入るが、麓はド・ピーカンの晴天。草津から見た山上の雲は雨雲と思えたのに、コチラから側から見ると間違いなく雪雲である。気象庁はあまり信じないが、自分の望天観測には絶対の自信がある。中野側からだったら、絶対行かなかったなぁ。 
  とまれ、今日は雪・氷と格闘しに来たわけではない。先ずはR403から小布施町に入ります。上越自動車道に沿って走る県道343の「ハイウェイ・オアシス北」信号を右(東)折し、50m程で飯田氏居館に着きます。リンゴ畑の端に、木碑が立っていて、近くに幅広な空堀跡が残存。他の遺構は高速道路、農地化などで消失した模様である。
飯田氏居館跡、堀跡 飯田氏居館跡
 続いて、いたるところに設置してある小布施の観光案内板にも表示されている「岩松院」の寺に向かいます。この寺には福島正則の廟所があるので有名ですが、誰が住んでいたか不明であるが、居館跡に間違いなく、雰囲気がプンプンしています。石垣も当時のモノかしらん、とさえ思える。
岩松院全景、左の山が雁田城址 境内にある福島正則廟所
 廟所の横に上へ登る道があるので、てっきり雁田城への道と信じて疑わず、整備された道を登っていきます。途中から道が細くなり、シマいにはケモノ道になってしまった。向かって左側の山頂が雁田城の筈だが、イッコウに左(北東)側へ行く道とならない。20分も登った所で、イヨイヨ道が怪しくなったので、引き返すことにした。都合35分のロスで、岩松院入り口のハイキング・コースの案内板の所に戻った。この案内板をヨクヨク見ると、どうやらさっき登った道ではないようだ。廟所の左(北)側に東屋があるが、さらに北側に登山道があり、標識も設置されていた。東屋から、たったの3分で雁田城の小城に到着。あの35分は何だったのだろうか。それでも、この小城はすばらしいの一言。何たって、きれいな石積みで四方が囲まれている。しかも2面は3段構成になっている。主郭の後側にも石積みの塁があり、やはり石積み+天然岩との虎口もすばらしい。郭自体は小さいが、ここまで立派な石積みであるとは驚きである。北アルプスはあいにく雲の中だが、小布施町や遠く長野市の俯瞰もすばらしい。かなりの時間、マッターリしたのは言うまでも無い。
雁田城(小城)址、3段の石塁跡 雁田城(小城)址、石積みの虎口跡
雁田城(小城)址、主郭と石塁跡 雁田城(小城)址、主郭よりの眺め
  小城から歩いてピッタシ10分で大城に到着。ここも石積みの虎口がシッカリ残っている。主郭の前後には堀切が残っていて、一部の石積みが残存している。ただ、登ってくる途中で景色の良い岩場があったが、主郭では疎林のため眺めはよくない。主郭には東屋と小さな石祠が建ってます。
雁田城(大城)址、主郭と石塁跡 雁田城(大城)址、主郭上側の堀切跡
雁田城(大城)址、主郭の虎口跡 雁田城(大城)址、主郭跡
   続いて県道66号線で高山村に入り、駒場地区に入ります。県道沿いに大きなアスザック社の門が見えてきたところで、左(北)側の山懐に。駒場ふれあい広場という小公園の手前のブドウ畑の道傍に、山田高梨居館跡の木碑が立ってます。山懐側には、居館跡らしき雰囲気も残っていますが、確信持てず。遺構はないと考えた方がよいかも。
山田高梨氏居館跡
  さらに県道66号線を進み、簡易郵便局から左(北)折して枡形地区の真法寺に向かいます。門前に山田氏居館跡の案内板と木碑が立っています。境内には土塁跡が残存しています。時間があれば、寺の後ろの枡形山の枡形城を攻めたかったのだが、時間切れ。地元の方に聞くと「30年ほど前の子供のころ、よく登ったが、石垣跡が残っている。神社の後ろから登れるが、最近では途中までしか道は無い、今はもっと道は荒れているだろう」という話である。石垣のキーワードに引かれるワイ。
山田氏居館跡、真法寺境内の土塁跡
山田氏居館跡、真法寺境内
真法寺境内よりの枡形城 山田氏居館跡、真法寺山門
  せっかく高山村に来ているのである、福島正則居館跡を訪ねない訳にいかない。県道54号線で堀の内地区に入ると、県道沿いに火の見櫓と石垣が見えたので、鉄馬を停めます。火の見櫓の下に、居館跡の木碑が立ち、周りを石垣で囲まれています。石垣の中には高井寺が建っており、寺の後ろ側に土塁跡が残っています。戦国時代の歴史小説には必ず出てくる福島正則、ここに隠居して、ここで失意の内に死んだのカァ、と少々センチに。
福島正則居館跡 福島正則居館跡
  さぁてとぉ、ズイブンと時間が回ってしまった。しかも、ここは北信である、早く帰らなくちゃ。R406を菅平に進み、ここからR144で南下し、真田の角間からは大好きな県道4号線を走ります。この道は何度走ってもアキがこない楽しい道である。アッという間に東御市に入り、ここからは浅間サンラインを進み、グリーンロードで佐久市に入ります。ここからはR141、黄色線がこれでもかぁ、これでもかぁ、と続くのでイヤな道であるが、八ヶ岳の景色はスバラしい。でも、下道はココまで、須玉インターから中央道に乗ります。鉄馬のフロント・リムを治してから、安定性が格段に向上し、ついついムチを入れてしまいます。でも談合坂から渋滞に入り、スリ抜けを繰り返して相模湖インターを降ります。ここからも渋滞が続き、キレずに厚木を経て、19時チョチ前にご帰館。フゥーッ、今日は氷との格闘でメチャ疲れたワイ。家族は夕飯を食べ始めたが、こっちは先ず風呂に入って汗と排ガスの汚れを流し、十分ノドをカラカラにしてから食卓に着くのでした。で、今日は発泡酒ではなくビール、しかもエビスである。プワーッ、ウンメェー、当然である。本日575Km、久し振りの500Km超であるが、高速道が、177Kmはチョチ恥ずかしー。
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