■   下野・小倉城  ■
■期日 H18年9月2日(土) 【栃木県】日光市(旧今市市)猪倉城・小倉城・板橋城
■ルート 戸塚自宅〜横浜新道・第3京浜〜玉川IC〜駒沢通・環七〜梅島〜R4
       〜上三川T〜P3他〜今市〜R121・R293・P3〜栃木C〜P11〜岩舟T
       〜R50〜みどりC〜P69他〜伊勢崎C〜R17〜熊谷C〜R140〜花園IC
       〜関越・圏央〜入間IC〜R16〜相模原C〜R129〜厚木C〜P22〜自宅
■コメント
 「今年はまだ日光の金精峠を走っていないんだっけ」とイキナリの突然に思い出してしまった。大好きな道という程でもないが、これまで一年に1回は必ず野駆けしている道ではある。それじゃぁ、ってんで、走りに行こうと決めたのが、金曜の夕方。当然、あまり下調べも出来なくて、いつものように「イザとなれば何とかなる」式のいつもながらのノウ天気でもある。立夏の頃と比べると夜明けも遅くなっているので、七つ過ぎに起き出し、5時チョチ過ぎに出っ発とあいなった。下野の国を攻める場合、イロイロとルートがあるのだが、一番速いのは、何といってもR4を飛ばして行く方法。このルートの難点は大東京を横切らなければならないことであるが、この時間帯ならストレスない。順調に環七を進んでR4に入り、なおも北進を続けます。途中、全国チェーン店のラーメン屋で【ラーメンと餃子】を朝飯として食し、戦の前の腹を一杯にします。朝からラーメンと驚くなかれ、店内では普通の朝定食を食べている人より、ラーメンを食べている人の方が多かったですヨ。さらに進んで小山に入り、バイクのお師匠さんの単身宅を朝駈けしますが、どうやら帰省しているらしく留守。しょうがないのでR4を進み、宇都宮の手前で県道3号線他でR119に入り、日光を目指して走ります。途中、県道22号線で南下し旧今市市・猪倉地区に入ります。県道沿いに猪倉小学校がありますが、この辺りをウロウロすると、大きな「泉福寺」への標識が現れ、よく見ると小さな「猪倉城址」への標識も出ています。泉福寺の裏山が猪倉城という情報があったので、この標識通りに進み、難なく境内に。遠慮して寺の駐車場の隅っこに鉄馬を停めます。寺の方に登り口を教えて貰い(上のお堂へ行く石段を進み、さらにその上のお堂への石段を進むと城址への標識あり)登り始めます。8分ほどで猪倉城の主郭に到着です。主郭には小さな祠が祀ってあります。小さな主郭ですが、土塁が残っており、虎口も明確に残存しています。土塁上には妙な石の列が数個連なっています。周りの郭もウロウロしましたが、土塁、堀切、空堀が残ってました。見通しはイマイチというか、完全に × です。

■36°39′55.8″−139°45′41.2″、比高は104m(標高420.9m)です。
猪倉城址、主郭跡 猪倉城址、主郭の土塁跡の列石
猪倉城址、空堀跡 猪倉城址、堀切跡
猪倉城址、主郭跡 猪倉城址、遠景
 次いで県道22号線に戻り、少し進んで「猪倉」信号を右(西)折して、小倉城のあるJR文挟(ふばさみ)駅方向へ向かいます。途中、岩崎地区で城址と思われる地形が現れたので、小倉城と断定して登り口を探します。山麓でゲートボールを楽しんでいる土地の古老の方々に登り口を聞くも、全員「?」の答え。よくよく話を聞くと「ここは岩崎地区である、何かの間違いではないか」ということであった。どうやら地形の雰囲気からは絶対に城址と思われるのだが、小倉地区はもっと先のようである。あらためて2.5万分の一地図をながめて間違いであるコトに合点し、文挟駅の南南西800mほどの小倉地区に入ります。近くをながれる行(なめ)川に架かる橋上から、正面のそれらしい山容と尾根を見つけますが、登り口が見つからない。小さな橋(橋名:失念)上から見える正面の尾根の左側の谷に民家が3、4軒あるので、そこに行って地元の方に聞くと、「この谷に沿って林道を進むと、すぐに未舗装道になり、二股の所を右側に進むと小倉城の後ろ側に出る、分譲地側からの方が近いかも」ということであった。分譲地側からのほうが近いということであったが、2.5万分の一地図には、分譲地の記載がない。このため未舗装道になる所まで鉄馬を走らせ、ココからは歩いて登ります。3分ほど歩いた所で、山側を見ると何やら尾根上に直登出来そうな場所があり、親切な地元の方の話も無視して、ココから登り始めます。道の無い急坂でしたが、下草がないので何とか尾根まで登り切ります。すると段郭らしきモノがあり、雰囲気がプンプンです。どうやら城域に入ったよう。でも小さな遺構だけなので、主郭を目指して尾根をドンドン登っていきます。が、しかし、3つほどピークを過ぎても一向に主郭部に行き着きません。「う〜ん、いつものように上へ登ったのが間違いだったかも。下へ降りれば良かったか、でも下側にはその雰囲気は無かったし...」と超心配になり、さらに途中で道が無くなってしまい、完璧に【どうにでもなれ】の心境に。とにかく頂上まで行けば白黒がハッキリするワイ。登り道を再び見つけ、しだいに急坂になってくると、また段郭が現れました(良いぞぉ、良いぞうぉ)。それを4段ほど過ぎると、いきなり郭に沿った空堀が出現です。「う〜ん、やったネ。諦めずに良かったワイ」。どうやら副郭のようです、ここには土塁がシッカリ残っています。さらに進むと堀切が現れ、狭い主郭に到着です。小さな祠が祀ってあり、三角点(標高390.6m)も設置してあります。少し見通しが利きますが、地元の方が言っていた分譲地のようなモノはドコにも見当たらず。さらに進むと副郭となり、空堀・堀切・竪堀で防御されています。堀切は前後で4条は確認しましたが、もっとありそうですネ。尾根に直登した辺りも城域とすると、尾根の下端から山頂までのズイブン大きい山城だったようです。鉄馬を停めた地点から25分も要しており、「急坂・一部で道なし」のため汗ダクダク。祠の前で汗が引くのを待って下山します。ドンドン下って行きますが、登った時とは異なり道はシッカリしています。どうやらソコソコ整備された道があったようです。そのまま下って行くと、橋のそばにある「今市消防団・第2消防分団・第2部」と書かれた消防車が格納された建物の右側に出ました。登られる方は尾根先端の右側の、この道から登ることをお勧めします。

■36°38′05.5″−139°43′10.7″、比高は140mと計測されましたが、難行苦行のためか、もっと高いような気がします。消防車格納庫からでは、200m近い比高と思われます。
小倉城址、主郭跡 小倉城址、二の郭よりの主郭跡
小倉城址、堀切跡 小倉城址、三の郭の土塁跡
小倉城址、三の郭の堀切跡 小倉城址、主郭よりの眺め
 さぁてとぉ、猪倉城・小倉城と支城を攻めて来た訳だが、ここらで本城である板橋城を攻めよう。ってんで、R121を北上し、「板橋」信号を右(東)折します。JR日光線を越え、信号から600mほど進むと、右(山)側に板橋城への案内板が立っています。周りの状況も書かれてあり、近くには板橋館跡もあるようです。標識も見つけたし、楽勝に攻城かと思えるのだが、14時を過ぎているのに途中コンビニも無かったため、まだ昼飯にありつけていない。ここで思案をしたが、ガマンして空きっ腹で登ることにした。でも、これってチカラが出ないんだよネー。とブツブツ言いながらも、結構登山道は整備されており、ドンドン高度を稼ぎます。6、7分登るとピークとなり、2つの石の祠(案内板には、羽黒山・愛宕山と書かれている場所)が祀ってある所に出ます。石積み箇所もあるのだが、これはどうも後世のモノのようだ。さらに3分ほど進むと、土塁跡の残る小さな郭跡が尾根上に残っています。登り口から15分丁度で見晴らしの良い主郭に到着。細長い二の郭・主郭と続いており、郭間には堀切が残っています。主郭の先に3の郭があり、堀切・竪堀が残っています。主郭からの東側だけは開けており、眺めは良いです。当然、一休みして下山。それにしても、腹減ったーなぁ、グゥグゥと音まで。

■36°40′13.6″−139°43′40.7″、標高443.3m、比高は計測しませんでしたが、説明板には150mと表示されています。
板橋城址、途中の愛宕・羽黒山 板橋城址、主郭と堀切跡
板橋城址、主郭跡よりの眺め 板橋城址、主郭跡
板橋城址、登り口 板橋城址、遠景(城山)
 折角なので、板橋館跡も攻略。でも土塁跡のような/そうでないような地形があるのみで、特に遺構はなさそう。案内板によると、JR日光線が館跡を分断しているようです。
JR跨線橋よりの板橋館址
 スデに15時を回ってしまった。どこで時間を浪費したのか分からないが、時間切れで計画通り金精峠を越えて緑のトンネル道を楽しめそうにない。その上、腹が超減ったこともあり、諦めて帰陣することに決定。途中のコンビニで、パン+コーヒーで簡単な昼飯を摂り(だって、ここでシッカリ腹ごしらえをしてしまうと、夕飯のビアーがガゼン不味くなる、HYDの判断基準は、コレです、苦笑 )、R293を南下します。県道3号線他でR50に出て、途中から県道68号線等でR17に出ます。熊谷・花園・入間といつものパターンで進み、渋滞のR16をスリ抜けて走ります。ここで、耳栓を外した(「耳栓って、防音のため危険ではないのか?」とよく聞かれるのだが、四輪を運転しているアナタ、「窓を開けて走った場合と閉めて走った場合とで、安全性に差異があります?」と逆に聞くことにしています。実際に、耳栓程度のモノでは窓を閉めて運転している以上に音は聞こえております、ご安心を)ため、異様な音が気になってきた。先々週に大枚をハタいて、鉄馬の大整備をして貰ったのだが、その時から妙な音が気になっていた。それがドンドン大きくなってきているのである。そうは言っても、馬腹の下をノゾき込んでも、よくわからない。このため「まぁ、気のせいかも」と音が聞こえないフリをして、家路を急ぎます。例の長後街道も遅い時間であったため、ストレス無く走れ、20時チョチ過ぎにご帰館。当然、夕飯は孤食。それでも空きっ腹にビアーはうまいぜよ。本日450Km、この内で下道は390Kmと走ったぜよ。ヨォーッお疲れさん、チャンチャン。

【P.S.1】今日攻城したどの城も、2.5万分の一の地図があると攻略しやすいです、というか必須です

【P.S.2】翌日の日曜、自作の木製センター・スタンドを使用し、リア側をイロイロ調べたところ、例の異音はドライブ・ベルトのリア・プーリー部で出てました。どういう訳か、プーリーを固定しているボルトも緩んでおり、ベルトのテンションもユルユルでした。このためプーリーが前後に動いてしまい、ガク・ガクンの異音がしていたようです。ってんで、速攻で整備した厩舎へ預けに行きました。厩舎に着いた時には、1本のボルトの頭部分はユルんで外れたのではなく、ネジ切れて消失してました、「お〜っ怖わっ」
★ ホームページのトップへ