■   龍ヶ崎城  ■
■期日 H18年4月22日(土) 【長野県】伊那市・蟻塚城・天神山城、
                           箕輪町・箕輪城・大出城、
                           辰野町・羽場城・龍ヶ崎城
■ルート 戸塚自宅〜P22〜厚木C〜R412〜相模湖IC〜中央高速〜甲府昭和IC
       〜R20〜茅野C〜R152〜高遠〜R152・P207他〜箕輪T〜R153〜辰野T
       〜P50〜諏訪C〜P16〜茅野C〜R20〜韮崎C〜R52〜身延T〜R300
       〜本栖湖〜R139〜富士宮C〜P72・R469〜裾野C〜R246他〜御殿場IC
       〜東名高速〜厚木IC〜P22〜自宅
■コメント
  4月も半ばを過ぎると、信州は良い季節になって来る。桜だけでなく、桃などの多くの花が一斉に咲き、しかもこれらが残雪を抱くアルプス等に映えるのであるから見事である。と思っているところに、さすらいのプー太郎さんからBBSにて「高遠の桜が見頃ですヨ」と背中を押されたからタマラナイ、大渋滞になっているのはヒャクも承知で出掛けることにした。七つ(4時)チョチ過ぎに起き出し、5時には出っ発。それにしても天気が良い、マンションから遠くに富士山が青い空に良く見えている。でもこういう天気の時は寒いんだよネー、と思いながら相模湖ICまで進むが、案じていた通り「さぁぶっー」。真冬並みの防寒着を着込み直し、中央高速を走ります。途中鉄馬に跨った仲間を多く見かけるが、皆さん寒そう。そういやぁ、HYDの田舎(飛騨古川)では、昨日(4/21)の昼に降雪して、少し積もったとか。それでも着込んでしまえば、こっちのもの。甲府昭和ICからはR20をヒタスラ諏訪方面に走らせます。結構飛ばしながら進むが、信州に入ったトタン、減速して遵法精神に。信州では過去に何回も痛い目に遭っているのだぁー。茅野からはR153で南下し、9時チョチ過ぎには高遠城址公園に到着。下道を多用した割りに早く着いたのだが、この時間でも公園の周りは、すでに大混雑状態。勝手に誘導されて四輪の有料の臨時駐車場(しかも城址公園まで遠い)に入れられそうになるが、こちとらぁ長居するツモリはないから、少し離れた場所(モチ、無料というか違法駐車)に鉄馬を停めて公園に。相変わらずの花見客の雑踏で途中でヘキヘキして早々に退散。R152から県道207号線に入って400m程で、「馬場」というバス停があるので、ここを右(北)折し美篶(みすず)・笠原地区に入ります。吉祥寺への標識もありますが、寺へは行かず、道なりに山中にドンドン入って行きます。バス停から7,800m程も舗装道を走ると、蟻塚城のある御射山神社に到着です。入口に城址の鉄碑や案内板が立っています。雛段式の珍しい山城で、神社の手前側も幾つかの段郭と思われますが、近世のモノかも知れず確証なし。神社の裏側はサスガに城の遺構です。主郭の土塁も古い割りによく残っています。幾つかの腰郭や空堀・竪堀・堀切も残存しています。神社の境内というコトもあって、内部は鬱蒼としており、眺望はイマイチ。
高遠城址公園、遠景
蟻塚城址、主郭の土塁跡 蟻塚城址、主郭脇の空堀跡
蟻塚城址、御射山神社 蟻塚城址
  続いて県道207号線を500mも進まない内に、「天神山」への標識が道端に現われます。この道は舗装されていないが、砂利道ではないので、富岡遺跡まで楽勝で進めます。この古墳の詳しい案内板をフムフム読んでいくと「天神山城」の事柄も記述されている。そばの天神山への登山道を5分弱登ると頂上に。ここが天神山城の主郭跡で、天神社が祀ってあります。空堀・土塁跡のような遺構はありますが、それ以外はなさそう。城というより物見砦位の存在だったのかも。

■GPSでの測定は実施したが、表示された昔のデータをメモしてしまって意味なし。
天神山城址、主郭跡 天神山近くからの駒ケ岳
  さらに県道207号線を進むと、もの凄く大きな桜の古木の下で花見をしている家族が居た。満開の桜と、遠くに木曽駒ヶ岳などの山並み、さらに伊那盆地を俯瞰しながらの花見は格別であろう。しかも回りは田園、静かでノンビリ時間が流れている。高遠の桜もキレイではあるが、数を頼みにしているキライがある。あの混雑(猥雑すらある)と比べたら、こちらの方がはるかに素晴しい。家族にお邪魔にならないようにして花見、マッタ〜リします。次いで箕輪町に入り、旧道のR153で木下地区に入ります。JR飯田線木下駅から西に500m程の丘裾に養泰寺があり、この裏手の高台の墓地が箕輪城。主郭は墓地になっていますが、周りに高い土塁や空堀が残っています。二の郭との間に堀切跡も残っていますヨ。
箕輪城址、主郭跡 箕輪城址、主郭と二の郭間の堀切跡跡
麓の養泰寺 箕輪城址、主郭(墓地)入口
  次いで旧道のR153を北上し、緑色の「伊那北インターまで2Km」の標識の前のちょっとした丘陵が大出城址。入口に小さな木碑と主郭跡に立派な城址の木碑が立ってます。主郭には小さな神社が祀ってあり、堀跡や郭跡と思われる遺構が残っていますが、それ以外は消失しているようだ。
大出城址、主郭跡 大出城址、全景
大出城址、主郭入口
 R153の北上を続け、羽場地区に入ったらJR飯田線羽場駅へ向います。駅から北方向・線路伝いに500m程先に雰囲気のあるコンモリした森が見えるので向います。森は手長神社の境内で、入口には羽場城址の木碑と案内板が立ってます。神社の回りには幅広な空堀跡がよく残っています。土塁や二の郭もよく残っていますが、JR線側は当然消失。空堀や郭跡はミニ・ゴルフ場になっており、ある意味で笑えます。
羽場城址、主郭の土塁跡 羽場城址、二の郭跡
羽場城址、主郭脇の空堀跡 羽場城址、主郭の手長神社
珍しく朝飯を食べずにいたので、12時前ではあるが腹がペコペコ。国道沿いのラーメン屋で早めの昼飯を摂り、少しくR153を進むと辰野高校。ここからさらに1Kmほど北上すると、左(西)側にそれらしい雰囲気の山が見えてきます。その名も城山という龍ヶ崎城址です。麓に池上寺があり、この墓地から主郭への歩き易いが急坂な登山道を登ります。丁度10分で二の郭に到着し、堀切を経て主郭に。するとどうだぁ、何と先客が居たのだぁ。しかも沢山ぁーん、いっぱーい。野生のニホンザル20匹位。これらが一斉にHYDをニラミつけている。中には小猿を背中に背負っているサルも居る。大きなボスザルも居る。何匹居るのだろう、などと思っていると、突然一斉に逃げ出した。「ふっー」、と溜息。サルの方も驚いただろうが、ヘタすりゃぁ、数でこっちがやられているネ。主郭内には木は生えておらず、草地で土塁に囲まれている。でも周りの疎林のお陰で、見通しはイマイチ。細長い主郭には虎口跡が残存し、主郭の北西側に堀切が2条、南側にも2条とよく残っています。この他に幾つかの郭跡もあります。

■35°59′22.4″−137°58′37.2″、墓地からの比高は100±1mです。
龍ヶ崎城址、主郭の土塁跡 北西尾根からの主郭
龍ヶ崎城址、主郭の虎口跡 龍ヶ崎城址、堀切跡
龍ヶ崎城址、麓の池上寺
 辰野町にはマダマダ城址があるが、昼にラーメンをシッカリ食したためか、お腹一杯でもう動きたくないココロなのだぁ。で、まだ帰陣には早いが帰ることにしよう。県道50号線で有賀峠を越え諏訪に出てからは、県道16号線で茅野に。ここからR20、R52と走り身延に入り、ここからR300で本栖湖へ。ヒタスラ走るのみで、周りのビューポイントでも一度も止まらず、そのままR139に入り、県道72号線、R469と進みます。R469は空いていて白い点線なのはありがたいのだが、市街地に入ると信号が多く渋滞しているので、今回は途中から裾野に抜け、R246で御殿場に。ここから東名に入り厚木で降りて長後街道。さすが早めに帰陣したため18:30にはご帰館で〜す。本日もう少しで500Kmの大台に乗る490Km強(この内、高速120Km弱)、攻城の方は少しく物足りなかったが、天気が良くて大満足の一日でした。
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