■   雁峯城  ■
■期日 H18年5月6日(土) 【長野県】佐久穂町(旧八千穂村)・下畑城・下畑下の城、
                        佐久市(旧臼田町)・雁峯城、佐久市・日向城
■ルート 戸塚自宅〜P22〜厚木C〜R412〜相模湖IC〜中央〜甲府昭和IC〜R20・R141
       〜佐久C〜R254〜小川T〜P30他〜入間C〜R16〜相模原C〜R129〜厚木C
         〜P22〜自宅
■コメント
  今回のGWは5月1、2日と休みを取り、9日間休みーっぱなしという超大型の連休とした。前半は田舎で百姓仕事をして親孝行(?、本当かヨ!)を行い、後半の3日間は戸塚に戻って来た。当初、土・日は ● というご託宣だったが、土曜までは天気が というご託宣に変わったので、6日の土曜は攻城の日とした。で、どこに出掛けようかと考えたが、TVではUターンラッシュの渋滞ニュースばかりを放映している、これでは帰りに高速を使えないナァと考え、帰りは下道で何とかなる佐久地方をターゲットに。佐久の諸城はかなり攻城済みなのだが、何時も通るR141の佐久穂町辺りで、絶壁の上にそれらしい雰囲気のある小山が気になっていたのである。イロイロ調べて見ると、どうやら下畑城らしい。でもハッキリとした攻城口の情報がない。それでも、いつものように「何とかなる」精神で出っ発。5時丁度に鞭を打って家を出て、6時チョチ過ぎには相模湖インターに入っていた。う〜ん、快調・快調。甲府昭和インターで降りて、R20を暫らく走り、朝飯を摂って韮崎からはR141である。この道は黄色い線が殆どで、ちっとも楽しくない道ではあるが、野辺山辺りの八ヶ岳の眺めは最高ではある。ここから、なおも走って8時半頃には佐久穂町に到着。R141で下畑地区に入ると、左(西)側に山が1Kmほどの長さで連なっている。これの一番北側の千曲川側は崖になっており、頂上付近がプンプンと堀切らしい雰囲気を出している。という訳で、一番北側の麓の桂霄(けいしょう)寺の山門をくぐり、山裾に鉄馬を停め、墓地のそばから堀切と思われる鞍部への道を登った。途中、カタクリや名前不詳の山草が瀟洒な花を咲かせてくれている。ものの2、3分で堀切跡に。自然の地形を利用したものが3条ほど数えられる。幾つかの郭跡もあるのだが、どれもメチャ狭い。下畑下の城と考えていたが、もしかすると違うかもしれないナァ。さすが絶壁上に築かれているので、そばを流れている千曲川や佐久穂町などの眺めは良好。
下畑下の城址、堀切跡 下畑下の城址、主郭跡
桂霄寺の山門 下畑下の城址
  下畑城は下畑下の城の上流(南側)に位置するという情報があったので、尾根伝いに南側に歩いたが、途中から道がなくなり、諦めて西側の畑地に下り、尾根に沿って進む。でも小川で進めなくなった。このため広い農道で迂回し、途中から田んぼの中の農道で尾根に取り付きます。尾根上には電力用の高圧線が走っており、この鉄塔を保守するための道(No.21の鉄塔保守用の道)がありこれを登ります。すると幅広な堀切というか横堀があり、三の郭に到着。熊笹で覆われているが、背丈が低いのでドンドン郭内を進み、二の郭に。この郭間も横堀のような堀切で防御されてます。二の郭は竹薮などで覆われており、直進はナカナカ難しく、脇の帯郭から進みます。主郭との間にも幅広な堀切があり、これを登って主郭に。ここにはNo.22の鉄塔があり竹薮で覆われているが、中心部は草地で、端っこには壊れそうな茅屋が建っている。そばに下畑城の鉄碑が立ってます。鉄碑の脇の道を20mも下ると、立派な農道に当たり、城址の案内板が立ってます。ズイブン歩いてココまで苦労して来たのだが、鉄馬で楽勝に来れたのネ、超ガックリ。この城を訪ねる際は、R141の中畑地区の「畑」の信号を左(西)折し、道なりに進んで、山懐に着いたら右(北)側へ折れて上へ登る農道を進めば簡単です。山裾から500m程も走ると尾根上になり、案内板が立ってます。その脇に登り口がありますヨ。

36°09′01.4″−138°28′13.9″と出ましたヨ。
下畑城址、三の郭の切岸 下畑城址、二の郭と三の郭
下畑城址、主郭 下畑城址、主郭
下畑城址、主郭脇の案内板
  次いで、R141を進み佐久市の旧臼田町に。途中、「下小田切」から県道121号線に入り、中小田切(なかおたぎり、ニゴらない)地区の禅宗・泉龍院へ愛馬を進めます。小さな寺をイメージしていたのだが、ズイブン歴史を感じさせる大きな寺である。山門前の寺の案内板には雁峯城の記述があります。ここで、いつものハヤトチリ。こういうパターンでは、寺の裏山が城址という鉄則(うそ、単なる思い込み)を信じ、墓地から裏山を登り始めます。松林のため道がなくても難なく登れて、尾根に取り付きます。ここからシッカリした登山道があるので、ドンドンと上へ・上へと進みます。でも、 なのである。なだらかな山容で、とても山城とは思えないのである。20分ほども進んだところで、間違えたと判断。急いで寺に戻ると、寺の反対(西)側の尾根筋がプンプン匂います。鞍部は堀切としか見えない。というわけで、鉄馬を寺の駐車場に置いたママ、田んぼの中を進んで尾根の麓に。竪堀と思われる所を直登して鞍部に。やはり鞍部は堀切であったワイ。ここから尾根の上へ通ずる道があるので登って行きます。すると3段程の段郭を経て、広い副郭に到着。背丈の高い熊笹等で覆われており、回りは腰郭です。当初、ここが主郭かとも思ったのだが、まだまだ先に何か有りそう。ってんで、さらに上へ進みます。墓地になっている郭など6段ほどの段郭を進むと、草地の主郭に到着です。小さいが瀟洒な祠が祀ってあり、土塁も残っています。また眺めもソコソコ良く、佐久平や遠くに浅間山が望めます。主郭の先には堀切があって、山側からの防御が図られています。天気も良いし、眺めも良いし、城址のタタズまいもグーッで、しばしのマッタ〜リ

36°10′32.4″−138°28′02.6″、比高は50m丁度でした。
雁峯城址、堀切跡 雁峯城址、副郭の切岸跡
雁峯城址、主郭跡 雁峯城址の遠望、手前は泉龍院
雁峯城址、主郭よりの眺め
 この後、R141を北上し、途中からR412で西へ。「岸野小学校入口」信号から南下し、根岸・日向(ひなた)地区に入ります。「日向」バス停の裏側に、左右に2つの尾根の突端が見えますが、左(南)側の尾根が日向城です。二つの尾根筋の真ん中の谷を進む林道があり、これを進むと、民家が無くなった付近から南側の尾根に取り付く道が見えるので、道端に鉄馬を停めます。四輪では狭くて道には停められませんが、空き地(?)が多いので大丈夫でしょう。尾根の端っこの段々畑(どうやら段郭と思われる)の道を登って行くと、5分弱で日向城の主郭に到着。途中幾つモノ段郭や大きな副郭があります。主郭には八幡神社が建っており、神社の裏側には土塁跡も。圧巻はこの神社の裏側です。2条の連続した堀切があり、2つ目は深く広く、そのまま竪堀となってます。さらに50mほど登るとまた1条堀切があり、これも深く広く、そのまま竪堀となってます。

36°13′38.6″−138°25′15.2″、比高は46mです。
日向城址、主郭跡 日向城址、堀切跡
日向城址、竪堀跡 登山道途中からの眺め
日向城址、全貌
 さぁてとぉ、13時になってしまったワイ。GWの大渋滞に巻き込まれたくないので、ここら辺りで帰るとするかぁ。R142からR254に入り、内山峠を越えて上野の国へ。まだまだR254を進んで、武蔵の美里町にて、トリップメータが「55555」を指し示した。5が5つ並んだだけであるが、ちょっとうれしい。小川町からは県道30号線を南下し入間に。ここからR16、R129で厚木に入り、最後は長後街道でご帰館。下道のためか大渋滞には巻き込まれず、18:00チョチ過ぎに帰着。ユックリ鉄馬の世話をして、熱〜い風呂に長〜く入って、準備完了。家族3人での「いただきま〜す」でゴング開始。ゴクゴク咽喉を潤し、至福の時間に突入じゃぁ。本日430Km(その内、高速70Km)なり、ヨォーッ、お疲れさん
★ ホームページのトップへ