■   横船城  ■
■期日 H18年2月18日(土)  【静岡県】焼津市・石脇城・小川城、
                       御前崎市(旧浜岡町)・朝比奈城・横船城
■ルート 戸塚自宅〜P22〜厚木IC〜東名〜沼津IC〜R1〜藤枝〜P81〜焼津C
       〜R150〜御前崎C〜P242・R473他〜金谷〜R1〜沼津C〜R246
         〜厚木C〜P22〜自宅
■コメント
  今度の土曜はで、日曜は●というご託宣である。それでは土曜に出掛けよう。かなり寒いらしいというコトなので、山側はパスして駿河・遠江辺りを狙うことにした。5時チョチ過ぎに起き出し、準備を進めたのだが、出っ発は6:30過ぎと出遅れてしまったワイ。我が鉄馬の活動源であるバッテリーは、イマドキ珍しい(というか、普通の会社は使用しない)開放型である。また過充電っぽいレギュレータを載せているものだから、マメにチェックしてあげないとバッテリーの液面がMIN以下になってバッテリーがご臨終になってしまう。夏場なら減るのも理解し易いのだが、冬場でも減りが結構早い。先週の野駆けから帰館した後チェックしたら、セルの一つはMINギリギリであったので、外して補水したのであった。当然、サルフェーションを除去するデサル回路(自作です)に掛けていた。このデサルの効果は?で、気休めかも。この外したバッテリーを取り付けるのに手際が悪く、思いの外時間が掛かってしまったのである。しょうがない、高速を多用して時間を取り戻そう、ってんで厚木インターから沼津インターまでヒトっ飛び。まずはインターを降りてすぐの、スマル亭にて「かき揚げウドン」で腹ごしらえ。ここからコクイチ(R1)で西下し、藤枝から県道81号線で南下し焼津市に入ります。途中からR150で東に向かい、R150と新幹線が近付いた道になった所の出光・宇佐美GSの信号を北折し、石脇下地区に入ります。最初の信号の無い交差点を東折すると、民家脇に石脇城の木碑と畑の中に案内板が立っています。すぐそばの小丘が石脇城で、登って行くと城域には城山八幡宮、大日堂が建っています。雰囲気のある曲輪址が残っており、土塁跡のような遺構も。雑木が邪魔して見通しは悪く、ミカン畑(城域かも)の一角から僅かに開けている位、残念。
城山八幡宮 石脇城址、木碑と遠景
  次いで、R150を西下し、途中から西小川地区へ入ります。ウロウロしていると西小川5丁目10番辺りの遊歩道に小川(こがわ)城の石碑・案内板を発見。回りは新興住宅地で、どうやら遺構はなさそう。その代わり案内板には発掘調査の状況写真が載せてあり、なかなかの遺構だったことがウカガわれる。畝堀など発掘現場をナマで見てみたかった。遺構は無いようなので記念撮影だけでジエンド。
小川城址、案内板の畝堀 小川城址、石碑
  さらにR150を進み御前崎市の旧浜岡町へ。ここで県道37号線で北上し、浜岡郵便局北の信号で県道242号線に入ります。1.5Kmほど快適な道を走り、最初の信号で東折し、50m程ですぐ南折すると正面の小山が朝比奈城。朝比奈川を渡り、山の端まで来るとT字路になっているので、東折し、直ぐ右折すると山側へ登る急斜面の階段があるので、ここに鉄馬を停め侵攻開始。いきなりこの階段部分で奇態なモノ発見。真冬だというのに、蛇の新しい屍骸が横たわっています。冬でなくても蛇というのは気持ちが悪いものである、陽気に誘われて出て来たところをやられたのかしらん。階段を登り切ると真新しい墓が3基建っており、上へ歩き易い道が続いています。5分ほど登ると尾根に出ます、さぁてとぉ上へ登ろうか、下へ降ろうか。ここで何時も上側へ行って失敗するのですが、失敗にメゲズ上側(北東)の尾根を登ります。すると堀切が出現し、思わずニンマリ。ドンドン登って行くと堀切が計4条あり、主郭と思しき所はなく、ミカン畑に行き当たります。このミカン畑が主郭とは思えないので、急いで引き返します。先ほどの登りきった場所まで戻りますが、どうやら20m×30m位の広さがあり、土塁のような部分もあるので、この辺りが主郭と見た。コレより尾根を下がると、切岸のある段曲輪が2段、帯曲輪もあります。ドンドン降って行きましたが、最後は竹薮に阻まれ、進むことアタワずジエンド。元の所まで苦労して戻り下山。
朝比奈城址、堀切跡 朝比奈城址、登り口
朝比奈城址、朝比奈川と遠景
  県道242号線に戻り北上すると左(西)側に小さな池があり、大きな空き地があります。この辺りに横船城があるらしい、ということで鉄馬をここに停め、地図を眺めながら、該当する山を探します。どうやらこの空き地は、眼の前の土砂崩れ防止の工事のための資材置き場跡のようである。で、ナニゲに東側のナマコ壁のような土砂崩れ防止の法面の上を見ると、何やら堀切と思えるものが。というか、間違いなく堀切跡である。偶然とは恐ろしい、この山が横船城だろう、とウロウロ登り口を探します。が、見つからない。しょうがない、法面から登ることにした。土砂崩れが起きるほどだから、当然急斜面ではあるが、四角に区切ってあるので登り易い。最上部はやはり堀切であったワイ。さぁてとぉ、上(北)側に登るか、下(南)側に降るか、思案のシドコロ。よーっし、今度も上へ登るとしよう。すると堀切が3条あってミカン畑に。どうやらここも不正解のようだ。でも見応えのある堀切多かったから良かったとしよう。元の所に戻り、今度は南側へ。すると大きな堀切・竪掘が出現し、虎口跡の残る細長い主郭に到達。ごく最近に主郭の殆どの雑木・竹を根本から切り倒したようで、広々として主郭の雰囲気がよく伝わってきます。主郭からさらに南尾根を下ると堀切が3条あり、ここも竹藪で阻まれジエンド。苦労すると思っていた城が偶然に攻城でき、しかも遺構も多く残存していて、ニッコリ。これだけの城址である、何か石碑・案内板でもあればネー。
横船城址、土砂崩れ防止法面と堀切址 横船城址、虎口址
横船城址、竪堀址 横船城址、主郭址
 気分を良くした所で、県道242号線を進み、途中から塩買坂トンネルを過ぎて舟ヶ谷城を探しますが、以前に攻城済みの「八幡平の城」への標識は出てくるのだが、肝心の舟ヶ谷城は見つからない。地元の人に聞いても八幡平の方を教えられる始末である。う〜ん、前回に続きリベンジならず。しょうがない、もう少し情報を得てから再々リベンジすることにしよう。それにしても、朝の「ウドン」は腹モチが良い、全然腹が空かない。こうなりゃ、昼抜きで、楽しい県道242号線を走ろう。茶畑の中を走るので少々狭いが、2車線で白色い点線、しかも適度の高低がある。ムチをガンガンに打って(ウソ、ほどほどに)、あっという間に牧の原インターを過ぎ、R473に入っても手綱を緩めず金谷へ。ここからコクイチを東上します。昼飯を抜いて、休みも入れていないので、まだ日が高い内に沼津通過。よーっし、このままニーヨンロクの下道を攻めよう。何時ものように小山辺りからは結構渋滞していて、スリ抜けを敢行して伊勢原まで。ここから長後街道に入り、渋滞にもキレずに明るい内に無事ご帰館。鉄馬の世話をする前に、部屋でイロイロ後片付けをして愛馬の所に戻ると、「大粒の雨」が降っている。「おーいっ、何が降水確率10%なんだよう!」、急いでカバーを掛けて愛馬を労わるのでした。それにしても、結構濡れてしまったワイ。部屋に戻って風呂に入り、十分温まった(ウソ、熱くなった)ところで缶ビールの登場。「プッワー、ビールがうまい!」本日410Km(この内、高速70Km)、よっお疲れさん、チャンチャン。
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