■   天神山城  ■
■期日 H18年2月11日(土) 【埼玉県】長瀞町・天神山城・仲山城、秩父市・宮崎城
■ルート 戸塚自宅〜P22〜厚木C〜R129〜相模原C〜R16〜入間C〜R229・P30
       〜小川T〜R254〜寄居T〜R140〜秩父C〜R299〜小鹿野T〜R299
        〜秩父C〜R140〜寄居T〜R254〜小川T〜P30・R299〜入間C〜R16
         〜保土ヶ谷〜環2・R1〜自宅
■コメント
 今度の土日は、アマ無線SSTV仲間とのミーティングで、秩父の小鹿野に行くことにしている(会費払い込み済み)。天気は両日とも冬晴れのようだ。山間部ではあるが、最近の上々の陽気から鉄馬で行くことにした。当然、攻城も狙っており、馬念さんに教えて貰っていた天神山城へ行くことにした。前日の金曜夜にシコタマ呑んだものだから、眠い眼をコスり起き出したのは6時少し前。それから準備を進め、出っ発は7時チョチ過ぎ。R16や県道30号線、R254で寄居に入り、ここからはR140を秩父方向に。長瀞町に入りしばらく走ると、R140から見て荒川の向こう側の山頂に模擬天守閣が見えてきて、すぐに場所は確認できます。問題は登り口ですが、県道82号線を走ると、「大手桜」やら「根小屋公園」といった地名が出てくる。それに模擬天守の建築資材を運んだ道路もあるだろうから、「楽勝!」かと思ったのだが...。登り口と思われる道路入口には、「私道につき立入り禁止」の無情な看板。おまけに、地主のような方も忙しなく立ち働いておられる、こりゃぁ取り付くシマもなさそう。周りをウロウロしても他の登り口は見つからない。しょうがないので、こういう時の奥の手、「寺か神社の裏から登ろう」と決意します。で、大手桜近くの小さな稲荷神社裏からアタック開始。でもここからの攻城は敢なく敗退。今度は大きな白鳥神社裏からアタック開始。こちらは大正解でした。整備された道を7、8分も登ると空堀が出現し、程なく模擬天守跡に到着です。跡と書いたのは、残骸が残っているだけだからです。中に入ると床は抜けていて、垂木を踏み外さないようにして中に進みます。階段を登り最上階から下界を眺めますが、立木が邪魔して景観はイマイチ。主郭跡に変なモノをこさえるものだから遺構は少ないかも、と思っていたのだが、副郭との間には大きな堀切が残っていました。副郭はズイブン長く、ドンドン先に進むと、空堀・土塁跡らしきモノが残存しています。この先にも何か遺構は有りそうですが、主郭近くに戻って今度は副郭の東側にある出曲輪へ降りる道を探します。どうも無さそうなので、ケモノ道を下ります。ここは馬念さんのお薦めポイントで、ケモノ道を無理して降りて行きましたが、苦労は吹っ飛びます。というか、ここを見ずして天神山城を語るなかれである。規模は小さいのだが、空堀・土塁・土橋・枡形などの遺構がキレイに残っています。しかも規模が小さい分、複雑に縄張りされた防御施設の全体像が大変よく分かります。勿論、久し振りの です。天守からは、この曲輪の位置が全く分からなかったのですが、雑木林の中からはズイブン離れた模擬天守も見えます。ポツンと離れた曲輪の中で、どんな気持ちで曲輪を守っていたんでしょうネ。ここから麓に降りられる道を探しましたが、見つかりません。しょうがないので、降りてきた際のケモノ道をアエギ・アエギよじ登り副郭へ。ここから主郭を経て神社へ下山です。
天神山城址、擬似天守跡 擬似天守からの眺め
主郭と副郭間の堀切跡 天神山城址、出曲輪の桝形
天神山城址、出曲輪の空堀 天神山城址、出曲輪の土橋
  次いでR140に戻り、少しバックして日本最大の板碑、「野上下郷石塔婆」の大きな標識で山側に入ります。石塔婆を過ぎて、ドンドン上側に登ると、右側にオシャレな3階建ての住宅センター(30世帯位の長屋)が現われます。この裏山が仲山城址です。住宅センタの上に山側に入る細い道があるので、これを進むと仲山城址への標識があります。標識に従って進み、民家の庭先のような所を通ると、いきなり急斜面の未舗装の坂に。とても鉄馬では登れそうにもないので、ここで鉄馬を停め、ここからは歩きます。四輪なら登れると思いますが、上部には駐車場がないので、山下に駐車した方が賢明です。ものの5分もかからず峠に到着。峠の10m程手前に「城址へ380m」の標識が立っています。この標識に従い、さらに380mも道を進めば良いのだろうと、勝手に勘違いして尚も進みます。で、峠の先をさらに50mも進むと、カタクリの原生地です。2月というコトもあり、何の芽も出ていません。さらに進むと、何か鳥の鳴き声のような音が遠くから聞こえてきます。何か引き付けられる鳴き声で、100mほど進んで行くと、取水池のような感じの小さな池があります。鳴き声はどうやらココからです。よく見ると、氷が薄く張っていますが、日当りのい良いところは一部融けていて、そこでカエルが20、30匹もかたまっており、かわいらしいラブコールの鳴き声を出していました。氷が張っているような寒い時期にカエルとは驚きです。しかも、とてもカエルとは思えないような、カワイイ高い声で鳴いている。どなたかこの蛙の名前をご存知ですか? と、さらに進みましたが、仲山城への登り口は見当たらず。遠くから後を振り返って見て分かったのだが、標識のあった山がそれらしい山城の雰囲気である。どうやら標識の意味を取り違えたらしい。ってんで、急いで先ほどの標識の所に戻ります。どうやら、この標識から山側に入るようである。よく見ると登山道もちゃんとある。この道を進むと、5分も登らない内に堀切に遭遇。さらに進むと大きな東屋のある山頂に。しっかりした仲山城の案内板が立っています。東屋がありますが、雑木のため景観はあまり開けていません。ウロウロすると、TV共聴アンテナの下にも堀切跡がありましたが、どうやらこれ以上の遺構はなさそう。展望はイマイチだが、立派な東屋でマッターリして下山します。
仲山城址、主郭址に建つ東屋 仲山城址、主郭下の堀切址
仲山城址 仲山城址の遠景
 R140から秩父市内に入り、R299で小鹿野町を目指します。途中、秩父橋の手前で右折(北折)し、秩父農工高校の手前(南側)の原島医院の看板を荒川側に曲がり、医院を過ぎて荒川に近付きます。行き止まりのような畑の前に鉄馬を停め、荒川とその支流で囲まれている宮崎城へ分け入ります。2月というコトで、横になった枯れ草が多く、簡単に侵入できましたが、夏場は背丈の高い雑草で厳しいカモ。土橋を渡り、虎口から主郭に入りウロウロ。主郭の周りは、川に垂直に切り立った高い崖になっており、絶対に川側からの侵入は不可能(キッパリ、というかビビるほどの垂直・落差です)。唯一侵攻できる北側は空堀で防御されています。
宮崎城址、堀切跡 宮崎城址、主郭の虎口
 さぁーてとぉ、今日は一年ぶりのSSTVミーティングである。久し振りの顔が眼に浮かぶ、早いところ宿舎へ行こう。空いているR299を進み、16時には小鹿野の民宿旅館に現着です。露天風呂で汗を流し、疲れをホグします。旧知の皆さんと、いよいよ夜の部に突入。民宿旅館といえばホテルと違って、質を重んじない、どちらかというと量である。でもこの量が半端じゃない。並びきれない・食べきれないウマイ料理に、呑み放題。これって、「ここを先途と、死ねやぁモノども」と侍大将に言われているのと同じこと。当然アエなく討ち死にに。気が付くと「朝ーッ」です。朝食後、SSTVの全世界的デファクト・スタンダードのソフト開発者・森さん、アマ無線のログ管理のコレまたデファクトになっているソフト開発者・浜田さんの講演を聞いて、お開き。ここからは、バイクのお師匠さんと同行二人。目指すはR299の先、ぶどう峠を越え信州へ。そこから佐久を回って帰ろうという計画です。で、快調にムチを打って進みますが、高度が上がるたびに周りの雰囲気がおかしい。川の向こう岸の滝なんて、完璧に凍って真っ白になっている。ってことは、この先道路が凍結していて、危険が危ないかも。とうとうムチを打たずに、手綱を引き始める。その内、道路にも雪が残っているような状況になってしまった。これからマダマダ高度は上がるし、峠の先は北側だし...、と考えたら答えは一つ、「速攻で戻ろう」。二人で山ん中の野駆けを楽しもうと思ったのだが、考えてみりゃぁ、季節はまだ2月である、どう考えても無理な話ネ。鉄馬に飼葉を食わせて、馬の機嫌を取った後は師匠と別れ、来た道を戻るのでした。下道ではあったが、15時にはご帰館。当然早すぎて相方は「?」の顔をしている。昨日・今日とで僅か340Kmの野駆け、モチALL下道ネ、チャンチャン。
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