■   栗橋城  ■
■期日 H18年2月5日(日) 【茨城県】五霞町・栗橋城・山王山城・墓化城
                     【群馬県】太田市(旧新田町)・江田館
■ルート 戸塚自宅〜新横・第3〜玉川IC〜環七〜梅島〜R4〜小山C〜R50〜笠懸T
       〜P69・R17〜熊谷C〜R140〜花園T〜R254〜東松山C〜R407〜入間C
       〜R16〜相模原C〜R129〜厚木C〜P22〜自宅
■コメント
  「土日の週末は寒気団が来るので、寒いが冬晴れの良い天気」というご託宣である。金曜までため込んだストレス・疲労を開放するため、土曜は遅くまで寝ていて、狙いは日曜。行き先はというと、冬晴れなので山側へは近付かないでおこう。さぁてとぉ、具体的にはどこへ行こうかという段で楽しい悩みに。関東とその周辺で、攻城数が多いのが静岡・長野で100城以上、次いで群馬・栃木が80城超である。次はというと、グーッと少なくってしまう。東京・神奈川・埼玉は近過ぎて野駆けの楽しみが少ない、千葉・茨城は大東京を横断しなければならない、などの理由によるものである。で、今回は茨城で、ルートは大東京の横断ではなく、半分ほどの横断で北上するルートとした。五霞町周辺は、R4沿いなので、テッキリ栃木だと思っていたのだが、ヨクヨク調べてきると茨城県であったのだぁ。土曜はタップリ呑んで早寝、暗い内に起き出し、鎧櫃2つを開けて鎧など(プロテクタ類、防寒着、トップケース、ハードケース)を取り出し着込むのであった。結構時間がかかり、準備が出来たところで厩へ。すると、薄明かりの中で白い玄妙なものが。眼をコスってツラツラ見ると1cmちょっとの積雪である。道路には積雪は無いが、鉄馬のカバーは真っ白、隣の駄馬の上も白い、「オー、マイゴーッ!」。関東南部の横浜でこの積雪じゃ、栃木クンダリでは10cm以上は間違いなーい。せっかく眠いのに早く起き出し、時間を掛けて準備をしたのに、なんてこった。意気消沈してトボトボ部屋に戻るのでした。しかし、また寝るにはシッカリ着込んだ防寒着を脱がなければならず、面倒である。暖かくなって雪が融けてしまう昼頃に、駄馬に乗って、この格好で近くの攻城でもしよう、と方針の大変換。まだ6時になったばかり、どうやって時間をツブそうかしらん。オモムロにPCを立上げ、ページの波乗り開始。で、豪雪地帯に1人で住んでいるお袋のことが気になり、気象庁の短時間予報のページにワープ。普段は今後の予報を見るだけだが、そのときに限りメッタに見ない過去12時間前からの状況をチェーック。するとどうだぁ、降雪状況が時間経過とともに表示されていくが、降ったのは三浦半島周辺だけである。東京やそれより北の埼玉、栃木などは降雪・雨量はゼロ。ということは、出発時さえ雪に気を付ければ、問題ない訳である。急いで厩に戻り、カバーを外したり忙しく立ち働き、当初予定より大幅遅れで7時チョチ前に出っ発。おー、この雪の中を行くとは勇者ダァ間違いだらけの日本語、正しくは単なるバカ)。でも、足元の地面には積雪はなく、なんとかなりそう。長屋(マンション)前の急坂を下って降りていくが、大丈夫そう。
そのまま横浜新道・第3京浜と走り、東京に入ってからは駒沢通、環七と走ります。出っ発が遅れた分、混みだしているが、まぁストレスがタマるほどではない。R4から北上開始。途中までは市街地だが、春日部辺りからは信号も少なくなり、快調に飛ばしてR4沿いの五霞の道の駅へ。ここでトイレ休憩をして、県道268号線で川妻地区へ。県道沿いに、小さな一色神社が建ってます。神社は小さいのですが、案内石碑は大きく、すぐ分かります。この神社に鉄馬を停め、先ずは神社にお参り。神社の案内板に面白いイワレが書かれています。この神社の西側の稲荷神社との間にある竹林でオオわれた辺りが、墓化(ぼっけ)館址です。個人のお宅ですので、マナーに注意ネ。竹林の中に入ると空堀跡と土塁跡がシッカリと残存しています。お犬様に散々吠え立てられてたので、早々に退散。
横浜だけの積雪
墓化館址、県道から見た遠景 墓化館址、空堀跡
  続いて元栗橋地区へ。利根川の旧川である権現堂川に程近い所に法宣寺があり、その南隣に松本家があり、道路に面した入口に、栗橋城の案内板が立ってます。どうやら個人のお宅である松本家の屋敷内が城域だったようである。実際には法宣寺の境内にも空堀跡や土塁跡が残っていますが、圧倒的に多く、かつ規模が大きい遺構は松本家の屋敷内と思えます。とにかく雑木が多く鬱蒼としていて全体像が掴みにくいのだが、複雑な空堀(水堀かも)がウネウネしており、土橋跡も2箇所は確認できました。堀の広さ、高さも凄い所があり圧倒されます。小さな神社が祀ってあるところは主郭なのだろうか。この近くに馬出のような地形もあります。グルグル回りましたが、感嘆符)を発声することオビタダしい。当時は香取神社辺りも城域だったようであるが、こちらの方には遺構は見当たらず。
栗橋城址、空堀跡 栗橋城址、土橋跡
栗橋城址、主郭の土塁跡 栗橋城址、入口
 十二分に満足した後は、山王山地区の禅宗・東昌寺へ。五霞町の観光名所のため簡単に現着ですが、境内周辺が山王山城址です。ズイブン道路から本堂まで奥行きがあり、山門も本堂も立派で歴史を感じさせる古刹という雰囲気の寺です。本堂前の庭にも空堀・土塁跡と思われる地形がありますが、何といっても寺の後ろ側にある空堀・土塁跡でしょう。小ぶりではありますが、シッカリ残存しています。堀と土塁は四囲全てが残っている訳ではありませんが、農地化とならなかったことに感謝します。この頃になると日も高くなり暖かに。寺の雰囲気も良かったので、しばしマッターリ。
山王山城址、空堀跡 栗橋城址、東昌寺
  さぁてとぉ、境町の攻城も狙っていたのだが、せっかく下野そばまで来たのである、ここは小山の鉄馬のお師匠さんに、会いに行かずばなるめい。単身赴任の無聊を慰めてあげなければ(傍目から見ると、単身を謳歌しているようにも?)。五霞から僅かの時間で小山に到着し、師匠宅へ。でも、ピンポーンしても、誰も出てこない。裏に回って厩(バイク小屋)をノゾくと、1匹が居ない。ということは、寒いのに天気が良いので、野駆けに行っていると見た。しょうがない、マタ来ることにしよう。どう帰ろうか考えたが、「急がば廻れ」式で帰ることにしよう。R50の快適2車線を西に走らせます。途中ラーメン+餃子+ライスという重い昼飯(料金はラーメン代のみの550円)を食べ、官憲に注意しながら笠懸町へ。ここから県道69号線でR17の尾島を目指して南下します。途中、反町館跡への標識が出てきたが、江田館跡への標識も出ている。オカシイ、この道は何回か走っているのだが、反町館跡への標識は認識していたが、江田館跡への標識は気が付かなかったワイ。得意の動体視力も地に落ちたのかしらん。帰りがけの駄賃で、江田館跡へ寄って行くことに。「上江田」の信号を西折して500mも走らないうちに江田館跡に到着。入口前に案内板があり、フムフム読んで頭に入れます。その情報で、ウロウロ開始です。四囲の土塁と空堀が完璧に近い形で残っていて感動モノ。折が入っている所もよく分かります。土橋跡や館隣の馬場跡も雰囲気が漂っていて、マッターリとした時間が流れます。館内はところどころ遺跡発掘中で、ドカシー(ブルーシート)が掛けてない所は中が見えます。何箇所かの発掘現場を興味津々で見て廻ります。樹木が殆ど無いので全体像も分かり易い。中世の豪族館が眼の前に浮かび上がる館跡でした。
江田館址、空堀・土塁・土橋跡 江田館址、折りのある空堀跡
江田館址、発掘調査中 江田館址、案内板前にて
 マッターリし過ぎてしまい日が落ち始めた、早く帰らなくちゃぁ。R17バイパスを飛ばして熊谷へ。ここからR140で西に向かい、R254で南下。途中、R407で入間にショートカット。ここからはR16です。いつもの渋滞した道、ストレスがタマりますが、我慢の子。八王子を過ぎ相模原からはR129で厚木に。ここから先週ほどは空いていないが、ストレス少なく長後街道を進み、18時チョチ過ぎにご帰館。鉄馬の面倒をカイガイしくして、鎧を脱いで鎧櫃に納め、手を洗うとジャスト19時に。ここから家族と夕飯開始、「クゥーッ、寒いがビールがウマイぜぃ、ベイビー」。本日370Km(この内自動車道30Km)、距離の割りにはチョチ疲れたカモ。
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