■   古河城  ■
■期日 H18年3月25日(土)
   【茨城県】古河市・古河城、
         古河市(旧総和町)小堤城・礒部城・水海城、
         古河市(旧三和町)・諸川西門城・三浦氏陣屋、
         境町・長井戸城・田向城
■ルート 戸塚自宅〜横浜新道・第3京浜・環七〜梅島〜R4〜古河C〜R4
       〜春日部C〜R16〜相模原C〜R129〜厚木C〜P46他〜茅ヶ崎C
       〜R1〜自宅
■コメント
  鉄馬のユーザー車検(今回は光軸で超難儀、なんとランプのハウジング内でビスが外れてしまい上下左右の光軸調整が出来ない、しかも内部を開けることが出来ないので、ビスの締め付けが出来にくいetc.)のために愛馬の世話をしたり、久し振りに飛騨に帰省したり、と鉄馬に跨れなかった2週間。仕事も相変わらず多忙で、ストレスもシッカリ溜ってしまったので、今度の休日は愛馬と楽しく遊んであげるゾ。で、降水確率が低い方の土曜に野駆けに出掛けた。行き先はナカナカ攻城数が増えない「常陸(茨城県)」。でも、「えぇーっ、何であそこが茨城なの?」と思われる古河市周辺である。例によって平成の大合併で、古河市のエリアも脹れており、市内には数多くの城址が残っている。先ずは横浜新道・第三京浜・環七と走り、梅島からは新R4を北上します。朝も早いからR4は高速道みたい。一般道なのに、どの車も「ぬわわ」Km前後で走行している。あっという間に古河市に入り、R125との交差点からR125を西へ。「小堤」の交差点手間に円満寺の標識があり、境内に入ります。寺域が小堤城址で、寺の裏側に堀や土塁の遺構が残っています。四囲の内の一部だけですが、遺構が残存していると、妙にうれしい。天気も良いし、境内でズイブンとマッターリしてしまいました。
小堤城址、円満寺
小堤城址、土塁址
  なおもR125を西へ進み市内の中央町へ。市内は城下町のため狭い道が多く、一方通行路になっている所も多いが、難なく歴史博物館の駐車場に。ここに鉄馬を停め、周りをジロジロ見ると、駐車場の上からにして土塁址のようである。コレはコレは、と思いながら、辺りをウロウロすると博物館の敷地内に古河城址の石碑が立ってます。でも、お天道様の下に石碑が立っているとうれしいのだが、館の下のような所ではネェー、チョチ興醒め。博物館の東側に堀跡があるが、これも意味無く公園化しているモノだから、さらに興醒め。高い土塁に取り付き、土塁の上をウロウロすると今度は博物館の職員がゴジャゴジャ言い始めるので、超興醒め。公務員というのは誰から給料を貰っているか知らない人間が多い、上司から貰っていると本気で思っている馬鹿さえ居る。庶民の払いたくもない税金で給料を貰っていることを忘れてはいかんゼヨ。と、言おうと考えたが、こちとらぁ茨城県民でも、古河市民でも無かったワイ。どうやら遺構はコレくらいで少なさそう。鉄馬に跨り、周囲をウロウロすると、中央町隣の渡良瀬川に面した桜町地区には桜町門跡の石碑が立ってます。さらに渡良瀬川に面した道を走っていて、土手堤上に古河城本丸の小さな木碑を発見。この調子では、探せばもっと沢山の城址に関係する碑があるかもネ。
古河城址、堀が変に改変!
妙な所に在る古河城址の石碑
古河城址、本丸址
  次いでR354に入り馬首を東へ向けてしばらく走ると、東北新幹線の下を過ぎて礒部地区に入ると間もなく、国道に沿った南側にそれらしい雰囲気の竹林が現われます。手綱を引いて近寄ると礒部城址で、空堀と土塁址がしっかり残存しています。ここも四囲の一部しか残存していないが、農地化が進んでいる中で残っていてくれるのは、うれし〜い。
礒部城址、空堀跡 礒部城址、土塁址
R354を境町方向になおも進むと水海(みずうみ)地区に入り、水海小学校への標識が現われるので、標識に従って小学校に。学校の敷地周辺が水海城址の城域だそうですが、「農地化等で遺構は皆無」の情報で、周りの水田・畑地を見回しただけで攻城完了。
水海城址、水海小学校遠景
  R354をさらに進み境町に入り、今度は県道17号線を北上します。ほどなく長井戸地区に入り、ウロウロしますが目指す香取神社が見つかりません。思い余っていると第一村人発見、すかさず道を尋ねて神社境内に。鳥居をクグると、参道の右側に長井戸城の超簡単な案内板が立ってます。本堂前に堀跡と土塁跡、本堂裏側に土塁跡が残存していますが、堂前の遺構はその内に消えゆくような雰囲気、近所の子供達の格好な遊び場になっているのです。
長井戸城址、空堀跡 長井戸城址
   香取神社から南西500mほどの所に、やはり雰囲気がプンプンする雑木林がある。ここが田向城址で幅広な堀跡や土塁址が残っていますが、遺構ではないかも。確認するスベがないので、もしかすると・もしかするかもネ。
田向城址、土塁跡 田向城址、遠景
県道17号線に戻り北上を続けると、いきなり愛馬が立ち止まってしまった(エンジン・ストール、通称エンスト)。トリップメータは未だ280Kmしか示していないが、雰囲気的にガス欠だろう。最近、どうも燃費が悪い。半年ほど前までは320Km以上走っても、まだ2リットル程残っていて、余裕のヨッチャンだったんだがナァ。急いで予備のフューエルタンクから給油しようかとも思ったのだが、150mほど先にガス・スタンドの看板が見えている。予備タンクのガスを使用するために、準備やら後処理のコトを考えるとメンドイというのが頭にチラツいてしまい、スタンドまで押していくことにした。天気も良いし、それなりに着込んでいるので結構汗をかいてしまい、ガスの補給完了。県道17号線をさらに進み、R125と交差しても、なおも北上を続けると、ほどなく諸川郵便局が県道沿いに現われてくるので、郵便局の裏に回ります。う〜ん、それらしい雰囲気がプンプンしてきます。老人ホーム横の畑地の先には土塁跡もあり、狭い道路沿いに諸川西門城址の案内板が立ってます。城域は個人の敷地のようなので、あまりウロウロせずに遠巻きに見るようにして、攻城完了。
諸川西門城址、土塁跡 諸川西門城址
  R125の交差点に戻り、今度はR125を東へ進みます。1Kmほど走ると、東諸川地区に入り右手(南側)にコンビニのセーブオン店があるので、この店の裏側へ鉄馬を走らせます。直接裏へは回れないので少し遠回りしますが、裏側へ回ると大きな土手のようなモノが現われ、「土手中遺跡」の案内板が土手(土塁)の角に立っています。三浦陣屋跡で、四囲の土塁がシッカリ残存しています。土塁の内側は立派な長屋門がある個人の敷地で、屋敷以外は畑地になっています。う〜ん、うらやましい!
三浦氏陣屋址、土塁址 三浦氏陣屋址、土塁址と内部
  さぁてとぉ、ここらで近くに住んでいるバイクのお師匠さんに連絡を入れてみよう。遅い昼飯でも一緒に食べようと、ケータイでピポパ。でも「今日の土曜は、イロイロあって出社してま〜す」の電話、残念。それじゃーってんで、帰るすがらにでも、一人で侘しくラーメンでも食そうと思っていると、国道4号線に入る直前に、手打ち・極厚チャーシュウのラーメン屋発見。2時近くになって、ズイブン腹も減っていたので、何となく特盛をオーダーしてしまった。普通盛+100円というコトだったので、多少多目のラーメンが出るかと思いきや、洗面器のような器で出てきた。「えーっ、頼んだのコレッ?」と思わず問うと、「はい、そうです」。しかもチャーシュウときたら、普通のチャーシュー麺のチャーシューを、全部集めて一つにしたものよりデカ〜い。これじゃぁ食い切れないかもネ。などと思ってはみたものの、そこは貧乏人、無理に無理・無理を重ねて、何とか完食。「ふーっ」と大きな溜息と共に、愛馬に跨ろうとしたが、体が重くてタチゴケしそうに。かろうじて持ち堪えて、今度は安堵の「ふーっ」。この後R4を南下し、粕壁(春日部)からはR16でグルーッと回って相模原まで。ココからはR129で厚木に出て、いつものように長後街道で、と思ったが趣向を変えて、県道46で南下して茅ヶ崎に出て、最後はR1にてご帰館。まだ日が暮れていなく、薄暮の中で愛馬を整備。熱〜い風呂に長く入り、ビアーに備えます。ゆで蛸状態で「いただきま〜す」。「ぷっわ〜、うんめーい」、本日310Km、お疲れさん
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