■   作手6城  ■
■期日 H17年11月13日(日)  【愛知県】豊田市・松平館・松平城・大給城、
                        新城市(旧作手村)・文殊山城・塞ノ神城・
                         古宮城・亀山城・石橋城・川尻城
■ルート 戸塚自宅〜P22〜厚木IC〜東名・湾岸・東名阪〜四日市IC〜R477
        〜湯ノ山温泉【泊】〜R477〜四日市IC〜湾岸・環状〜豊田松平IC
         〜R301〜三ケ日IC〜東名〜厚木IC〜P22〜自宅
■コメント
  25年も前に鈴鹿市内の職場に勤務していたことがある。何んと、その時の職場の仲間と四半世紀を振り返ろうという飲み会が、鈴鹿の近く、四日市の奥座敷・湯ノ山温泉で開かれることになった。この手の誘いには弱いHYDは、「出席」の手紙を書いたのだが、鉄馬で参加するつもりでいた。ところが、前日までのご託宣は、「午前中は雨、降水確率50%」と出ている。四輪か電車か迷ったが、当日早起きして、気象庁の短時間降雨予報を見ると、どうやら朝9時頃には雨は上がりそうである。高速を多用すれば、楽勝で開始のゴング前には着きそう、ってんで、日が差して来て、雨の水溜りが乾いた11時チョチ前に出っ発。ところが、これまでこんな時間帯に長後街道なんて走ったことはなかった、大渋滞なのである、大々誤算。狭い道なので、スリ抜けも思うように出来ず、モンモンとして四輪の後にくっついてチンタラ走行。時間的余裕はあるのでアセる必要は無いのだが、イライラがツノります。早朝だと30分もかからずに厚木インターまで来られるのだが、何と50分も要してしまったワイ。ここからは高速なので、快調に走って浜松近くまで。ここでオモムロに道路地図を眺める。すると、豊田から四日市までショートパスの伊勢湾岸道が出来ているではないか。8年前に名古屋に住んでいた時に、初めて部分開通した高速道である。当然、名古屋市内の高速を通らずにショートカットね。この道を走るが、3車線のすごく新しい道である。おまけに通行量が少ない・直線道であるから、広々として日本的な道ではない。途中、橋の上を幾つも通るのだが、木枯らし一番の猛烈な風で、怖い・怖い。2、3mは軽く横へ動いてしまう。ビビリ・モードで何とかクリアし、四日市インターを降りて、湯ノ山温泉に。他の皆さんはまだ到着していない、ってんでユックリ温泉につかって骨休め。その後、大宴会で大変な騒ぎに。当然、休めた骨も胃も頭も何もかも、使い果たして気が付いた時は翌朝である。三々五々の解散であるが、鉄馬乗りは他の皆さんに合わせる訳にも行かず、ここで単独行に。で、今頃になってハタと気がついた、「折角、遠路ハルバルここまで来たのだ、この後は攻城にしよう」。でも何処へ行こうかしらん。ここで、馬念さんの「作手6城は見るべし」の一言を思い出した。特に下調べも何もあったモノではない、まぁ、行ってみよう。で、高速に乗り、豊田・松平インターで降りてR301を走り、作手村(現在は新城市)を目指します。途中、「徳川家の発祥の地・松平郷」の看板が出ている。そういやぁ、名古屋に単身赴任で居た時に、来たことがあったっけ、と感傷に惹かれるように、R301から外れて山側への道を進むと、途中で「松平城」への標識発見。「おーっ、帰りに攻略して行こう」とホクソエミ、松平郷に。以前来た時には、興味も少なく大してウロウロしなかったが、今回は少々ウロウロ。すると、神社辺りは館跡であったようだ。当時の遺構は確認できなかったが、これだけ観光地されているからネー、堀やら周りの雰囲気だけ楽しみ、ガマンの子。

緯度・経度:計測忘れ
松平館址、神社 松平館址、石碑前にて
  松平郷をウロウロしていると、走ってきたR301沿いに、大給城がある云々の案内板があった。有名な城である、戻ってでも行ってみよう。この他、松平城の記述もあり、「四輪では方向転換不可、駐車場が無いので松平郷の駐車場に停めて、徒歩で行ってネ」と書かれているが、こちとらぁ、鉄馬である、無視して県道沿いの小さな標識に沿って山側に分け入り、先ずは松平城へ。1台くらいは四輪の駐車スペースはありそうです。鉄馬には余裕のヨッチャンのスペースで、ここに停めて登ります。登り始めて、ものの2、3分で土塁が少し残る主郭に到着。案内板をフムフム読むと、腰郭・井戸・空堀・竪堀跡もあるらしい。で、案内板に沿ってグルグル廻って、郭や堀、井戸跡などを確認。

35°02′44.6″−137°15′46.2″と出ました。
松平城址、登り口 松平城址、主郭址
松平城址、井戸址 松平城址、横堀址
松平城址、主郭の石碑
 この後、来たR301を戻ると、山側に「松平乗元の墓、大給(おぎゅう)城址」の大きな石の標識が立ってました。「」の文字にダマされて、ツイツイ見過ごしたようです。いつも自慢している動体視力にカゲりが...、う〜ん残念。この標識に沿って舗装された山道を進み、登り口に鉄馬を停めて、攻城開始。途中に松平乗元の立派な墓があり、広く緩やかな登山道を5分ほど歩いて、二の丸下の岩で堅固な堀切に到着。これは期待できそう、ってんでさらに進むと、石積みで補強された虎口が現われます。石積みフェチなHYDは随喜の涙を流し(ウソ、そんなぁことはない)、ウロウロするのでした。石垣や、岩を巧みに用い、石積みで補強した土塁がしっかり残っています。主郭も同様な土塁が残り、端の方に大岩の上に物見櫓跡があります。ココからの眺めは です。大きな岩には、何かの建物の補強(?)の穴が穿って有ります。城主の居館跡も近くにあり、周りはやはり石積みで補強された防御施設となってます。なかなか立派な城ですゾ。

35°03′13.5″−137°13′47.5″です。
大給城址、ニの郭の石積み虎口 大給城址、ニの郭の土塁址
大給城址、主郭の石積み土塁 大給城址、居館址からの遠望
大給城址、主郭からの眺め 大給城址、主郭の石碑
  R301の山道を進み、作手の旧村役場に向います。何んの資料も持たずに来ているので、ここで何かシカの情報を得ようという魂胆です。で、到着すると役場横に、歴史民族資料館が建っており、すかさず訪問。イロイロと作手6城の情報を聞き出します。村でも、この遺構を観光化したい意向があるようで、どうやらかなりの標識が立っていて、攻略は簡単にできそう。役場前の駐車場の地図を見ながら、先ずは文殊山城を攻めます。役場前の道を進むと、大きな診療所前から標識に従って林道に入り、未舗装道を泣き泣き進みます(愛馬は、未舗装道が大の苦手、乗り手もネ)。500mほど進むと、どういう訳か舗装道になり、ほどなく主郭下の林道終点に到着。ここにも土塁が残っており、虎口・空堀も確認できます。復元・物見櫓もあり、ここからの眺めは です。

34°58′09.4″−137°24′54.9″どす。
文殊山城址、主郭址
文殊山城址、主郭と土塁址 文殊山城址、主郭下の空堀址
文殊山城址、主郭址にて
 文殊山城の主郭から、塞ノ神城への標識(歩25分)があるのですが、往復50分の時間が勿体ないので、違う道から攻めよう。実は、資料館で教えて貰ったルートがあります。来る林道途中(舗装道)で、文殊山城への標識が2つも並んで立っている場所があるが、そこから登ると、すぐに文殊山城と塞ノ神城への分岐点となり、ここからだと10分位で塞ノ神城へ行ける、というものです。このルートで進みますが、下から丁度5分で主郭に到着です。ここも高い土塁がよく残っていて、周りには2箇所の虎口・空堀・堀切も残っています。残念ながら、眺めは × ですけど。
34°58′19.7″−137°25′21.3″
塞ノ神城址、主郭と土塁址 塞ノ神城址、空堀址
塞ノ神城址、主郭址
 この後、役場前の「川尻城」への標識に従って進み、難なく登り口に到着。でもここからの山道(一応舗装道)は、急坂でかなり狭いので、四輪では厳しいカモ。ここは公園化されており、大きな忠魂碑が建っているので遺構は破壊されたかと思いきや、土塁や腰郭など結構残存しています。ここからの眺めも ですヨ。

34°58′52.2″−137°25′44.2″
川尻城址、主郭址
川尻城址、主郭址からの眺め
川尻城址、復元冠木門
 なおもR301を進むと、「亀山城」への標識があるので、これに沿って進みます。途中、「古宮城」への標識も出てくるので、この2城は簡単に攻略できそう。とりあえず亀山城を目指して進みますが、舗装道の終着点が武士屋敷跡。これは期待できると、進むと、幅広な空堀が出現し、ソソり立つ切岸、次いで二の郭に。虎口から主郭に入ると、四囲は土塁がほぼ残存しています。大きな「亀山城址」の看板の裏側が見えるので、興醒めもしますが、イロイロと案内板やら説明板が整備されているので、笑って許します。背丈の低い熊笹で覆われている部分は、疎林となっており、遺構が分かり易くグッドです。主郭内は木がなく、明るい空に誘われてマッターリしてしまいました。
34°57′50.0″−137°25′24.2″
亀山城址、主郭と土塁址
亀山城址、空堀址
亀山城址、主郭からの眺め
亀山城址、石碑前にて
 さぁてとぉ、今度は古宮城である、標識に沿って進むが、道の関係で真直ぐ進めず、それなりに前の方に進むと、「白鳥神社」(作手には白鳥神社が2つあるので注意、R301から200mの近さの神社の方)に到着。脇に古宮城の古びて文字が読みにくい案内板が立ってます。途中、何の標識も無く、半信半疑で来たのだが「信ずる者は救われる」なのかしらん。で、神社の上を登る「大ヒノキ」への道を進むと、主郭の虎口が出迎えてくれます。周りは土塁と空堀だらけ。さらに進むと、複雑な空堀で防御され、四囲は土塁で囲われた二の郭が。土塁の上に立つと思わず「オォーッ」と声が出てしまった。上から見ると、空堀・土塁のスケールの大きさ、数の多さに圧倒され、多段の郭跡など、とてつもなく複雑であることがよく分かるのです。惜しむらくは、樹林で覆われていて、複雑さの全体像が把握しづらいことである。縄張り図でも持参していれば、この城の凄さがよりよく分かるのではないのだろうか。とにかく、時間を忘れて歩き回ったが、これでもか、これでもかという遺構の多さである、恐るべし武田軍団。この城は久し振りのお薦め、 ですヨ。でも樹木に覆われていて写真を撮るのは超困難

遺構に圧倒されて、計測忘れ
古宮城址、複雑な空堀跡 古宮城址、複雑な空堀跡
古宮城址、神社前の木碑
 最後の石橋城は、道の駅のトイメン(対面)と教わっているので、難なく現着。現在は慈昌院というお寺になっているので、遺構はないかも、と考えていたが、ドウシテ・ドウシテ土塁も結構残存。空堀もしっかり残っています。でも、この堀中に粗大ゴミがゴチャマンと捨ててあるのは、見るに忍びないです、何とかしてヨネー。

粗大ゴミのために、憤りを感じて計測忘れ
石橋城址、土塁址
石橋城址、空堀址
石橋城址、寺院前の木碑
 今日一日を振り返ると、超楽しく9城も攻略している。このため、すでに3時を回っているではないか。調子に乗ってしまって帰りのコトを完璧に忘れてしまったワイ。ここは愛知県なのダァ、急いで帰らなければ。でも時はすでに遅し、とても・とても下道で帰られる時刻・場所ではあーりません。ともかく一番近いインターに入ろう、でも一番近い三ケ日インターでも1時間はかかりそう、などと焦って進みますが、こういう時に限って官憲が多いんだよネー。で、夕飯に遅れてもどうってこたぁない、と腹をくくって慎重にR301を進み、三ケ日に。
ここから東名高速に乗ります。どうやら、厚木まで210Km強、2時間もあれば楽勝で到着しそう、そうなれば余裕で夕飯前に現着じゃぁ、と安心して駒を進めます。でも好事魔多し、「御殿場〜横浜間、45Kmの渋滞」の赤い電光表示が...。そうかぁ、皆さん紅葉を楽しんでいるのネ、考えてみたら行楽のシーズンだもんネー。御殿場からは、スリ抜けの連続ワザで何とか厚木インターまで来たが、すでに7時を回っている。急いでケータイから遅れる旨の連絡。これが大事、この一言がないと、大変なことに。無事に帰館して、後片付けを済ましてテーブルに着くと8時過ぎ、これからウマい焼酎を飲んで、今日一日の幸せを振り返るのでした。昨日・今日とで750Km(この内高速道が620Km)とチョチ高速多用が気に喰わないが、まぁ良しとしよう。
★ ホームページのトップへ