■   加園城  ■
■期日 H17年11月23日(水)祝  【栃木県】鹿沼市・上南摩下の城・上南摩上の城・加園城
■ルート 戸塚自宅〜横新・第3京浜・環7〜梅島〜R4〜宇都宮C〜P70他〜鹿沼C
       〜P14〜日光C〜R120〜金精峠下〜P120〜日光C〜R122〜大間々T
        〜P73〜赤堀T〜R17〜熊谷C〜R141〜花園IC〜関越・圏央道〜入間IC
         〜R16〜相模原C〜R129〜厚木C〜P22〜自宅
■コメント
  勤労感謝の日で祝日、天気は上々とくれば出掛けるしかない。さぁてとぉ、明日はどこへ行こう、とアレコレ考える楽しい時間の始まり始まり。でも、今回はあまり時間がなく、以前に攻められなかった城を攻めることに。行き先は、豪雪のため今年最後になるであろうR121の日光・中禅寺湖・金精峠・赤城の野駆けをメインにして計画終了。計画・情報収集の必要がない分、寝る時間にシッカリ充てようと考えていたが、やはり呑む時間に取られてしまい、結局5時間の睡眠後4:30起床。眠気マナコで起き出し、諸準備をして出っ発は5:30前。とにかく鉄馬が逃げて行かないように、鍵を沢山取り付けていることや、(プロテクタ等)・(ヘルメット)などの装着や鉄馬に(トップケース、ハードケースを取り付けるなどなど、時間がアッという間に経ってしまう。それでも手馴れてきて、今日は1時間を切っての出っ発に、喜び勇んで横浜新道・第三京浜・環七と進み、R4で北上です。小山の手前でいつものように、鉄馬に飼葉を満タン、そして自身は牛丼屋で朝飯を腹一杯にカッ喰らうのでした。悪ふざけで、小山のバイクのお師匠様宅のガラスを「コツコツ」と鳴らしたが、8時前だったが、どうやら既に出勤された模様。フゥ〜ん、祝日出勤とは言っていたが結構早い出勤なんだぁ。となれば、道を急ごう、R4を北上し途中から県道70号線で鹿沼へ。途中、道を間違えてR129を走ってしまい、アワてて道を確認するため、鉄馬を路肩へ停めます。「なぁ〜んだぁ、あそこの交差点を間違えたんダァ」などと地図をシマって、再出発しようとすると前方に怪しい人影が。道路わきに椅子を置いて座っており、何やらヘッドホーンとマイクらしいモノも付けている。これを隠すように帽子を被っている。道路に戻り、ユックリ走って件(クダン)の怪しい人間を見ると、妙に眼と眼が合ってしまった。「バレたかぁ」というような顔をしている。そう、レーダーでの速度違反取締りではなく、最近珍しい光学式での取り締まりであった。「良かったぁ、道を間違えたと気が付かなければ、間違いなく餌食になっていたワイ」。最近どういう訳か悪運強し! 道を修正して鹿沼の環状線を走り、県道177号線に入り、上南摩地区に。その名も「堀の内」というバス停があり、そのまん前に大きな立派な門構えの家が建ってます。この裏山が上南摩下の城、登り道もありますが、途中から道が無くなります。でも道が無くても登り易くて3、4分で主郭に。小さな主郭には高い土塁やら深い枡形虎口が残っています。二の郭・空堀・堀切も残っていますが、景色は樹木で覆われていてNGです。
36°32′26.1″−139°41′16.0″比高は38mと出ましたヨ。
上南摩下の城址、空堀跡 上南摩下の城址、主郭跡
上南摩下の城址、主郭の石碑 上南摩下の城址、遠景
   さらに鉄馬を県道177号線の上流に進めると、下の城から1Km程で上南摩小学校に。さらに300mほど進むと禅宗の広厳(こうがん)寺があり、この裏山が上南摩上の城です。下の城が支城でこちらが本城だそうナ、期待できそう。例によって寺裏からの登り口を探します。駐車場の右側に登り口を見つけ登り始めますが、途中で堀底道のようになり、その内ケモノ道に。猪か何かの足跡がハッキリ残ってます。さらに登りますが、全く道のテイをなしません。戻ろうか一瞬迷いましたが、「う〜ん、ままよ」とヤブコギ開始。でもイッコウに道らしきものが見つからず、急坂でもあり、アエギ・アエギの難行・苦行に。もう、戻るにも戻れない状況になって、熱い汗と共に、冷や汗をかき始めたとき、ようやく尾根筋に。そこには、ちゃんとした道があるでは、あ〜りませんかぁ。「なぁんだぁ道があるんだぁ、ちゃんと調べておけば良かったワイ」と反省しながら、登りつめると空堀がまず迎えてくれました。高い切岸になっていて、郭内に入るのも難しそう。苦労して主郭に立った時には、思わず「おーっ」の声が出てしまいました。そりゃぁ、そうだよネ、20分も格闘・苦労して登って来たのだから。主郭には土塁が残り、細長い形状をしています。空堀の北側・西側にも空堀で防御された郭があり、さすが本城かと思われます。ここも見晴らしが悪く、疲れている割にはマッターリ出来ず、早々に引上げ開始。尾根伝いの道を南側に快調に下っていきますが、やはり途中でとなってしまった。道が消えてしまっているのである。それでも、登った時ほどブッシュが多くなく、下りであることもあって尾根筋を無理に下っていくと、また道が復活し喜んでいると、また消えて...、を繰り返している内に、上南摩小学校の正門横の通用門付近に出ました。道はありませんが、この辺りから尾根に取り付き、城まで登るのが正解と思います。また冬のシースン以外は絶対攻城を止めた方が良いでしょう。
■悪戦苦闘で、メモるのを忘れました。
上南摩上の城址、主郭址 上南摩上の城址、主郭脇の空堀址
上南摩上の城址、主郭脇の堀切址 広厳寺山門と上南摩上の城址遠景
 上の城で思わぬ伏兵に出会い、時間を費やしてしまったので、このままメーンの日光へ。とも考えたのだが、行がけの駄賃で、県道240号線沿いの加園地区に入り、加園郵便局前の低い比高の加園城を攻めます。登り口が分からなかったので、山懐に一番近い所をウロウロしている内に、耕運機で農作業をしている人が居たので、登る方法を聞くと「そこの辺りから登れる」ということであった。こちらとしては、登り口を聞いたのだが。と、イブカしがっても言葉通りに道の無いトコロを登ると、下草が刈ってあって、ヤブコギもすることなく難なく空堀跡に到着。その内側は土塁で防御された郭であったが、割と小さいようだ。周りに幾つかの空堀・土塁があり、コジンマリとした城と思いながらも、念のため遠くまでウロウロすると、「おーっ」とマタしても声を上げてしまった。樹木で覆われているが、周りを深い空堀と高い土塁で防御された主郭である。虎口もシッカリ残っており、井戸址(?)も主郭に残存。二の郭には小さな祠と鳥居が建っていて、どうやらかなりの城域で、防御施設も複雑なようである。残念ながら、樹林が深く暗くてデジカメ写真が撮れないヨー。ウロウロしている内に、土橋跡が見つかり、続いて下へ降りる道を見つけたので、帰りはこの道を辿っていくと、石灰・石切()工場のような所のゴルフ練習のネットの所に出ました。許可を貰って、ここから登れば簡単に攻城可能ですヨ。
■ ここは感嘆符が出続けてしまい、メモるのを忘れました。
加園城址、空堀址 加園城址、二の郭址
加園城址、土橋址 加園城址、遠景
  さぁてとぉ、いよいよ本日のメーン・イベント。先ずは台数が少なく狭い道ながらも楽しい県道14号線で日光に出ます。ここからR120で混雑した紅葉時期を過ぎた「いろは坂」を右側車線でグングン登り、中禅寺湖へと進みます。中禅寺湖辺りから、男体山などを眺めると、かなり下の方まで雪で白いではないか。そういやぁ、超寒い。海抜で1000m以上だし、道理である。11月も下旬だしネ。と、ここで間抜けにも、ようやく「道路凍結」の心配が。まぁ、行ってみるだけ行ってみよう。でも戦場ヶ原を過ぎ、金精峠への道を走り始めると、道路脇には雪が...。でも、「気のせい・気のせい」と自分をダマして、なおも進むが、徐々に黒い幅が狭くなり、白い部分が増え始めてきた。とまれ、本当に止まれ。この上はもっと危険が危ないに違いない、勇気ある撤退をしよう。と、過去の記憶を思い出すのであった。あの時は12月後半ではあったが、500m位の標高・暖かい愛知県内であったにもかかわらず、道路凍結で転倒したではないか。それと比べれば、もっと危ないデカである。日光「大返し」の実行、いろは坂の隣の道を下り、日光に戻って今度はR122で足尾を通り大間々まで走ります。ここからいつものように県道73号線で赤堀に出て、R17を南下し熊谷からはR140で花園インターへ。いつものように、入間インターで降りて、いつものように混雑しているR16をスリ抜け相模原へ。ここからR129と長後街道で無事帰宅。ちょち夕飯には間に合わず、一人湯豆腐鍋をツッツくのでした。本日、もう少しで大台になる495Km(この内、自動車道75Km)、今回の野駆けはズイブンと肩が凝ってしまい、手綱を持っていても、「凝る」というより「痛い」という状況であった。運動不足を身を持って再認識した次第、ちゃんとトレーニングしてネ、チャンチャン。
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