■   大島城  ■
■期日 H17年7月18日(月)祝日 【長野県】松川町・大島城、
                 飯田市・飯田城・神之峰城・知久平城、下條村・吉岡城
■ルート  戸塚自宅〜P22〜厚木C〜R412〜相模湖IC〜中央道〜甲府昭和IC
        〜R20〜諏訪C〜R152〜大鹿V〜P22・P59〜松川T〜R153〜飯田C
         〜R151〜長篠〜R257〜浜松C〜P65〜浜松IC〜東名〜厚木IC
         〜P22〜自宅
■コメント
 3連休の初日は、天気の都合で260Kmのプチ・ツーリング。少々ストレスが溜ってしまい、連休最後の海の日は長駆しようと、ご託宣を待っていると、「概ね晴れ」の有難いお告げが出た。よーぉし、一昨日の借り分も取り戻すゾ。って、ことで朝もハヨから起き出し、5時チョチ過ぎには出っ発。長後街道、R412とで相模湖に出て、ここからは高速道をオゴって、中央高速に。でも、ゲルピンなため甲府昭和ICで降りてしまうプチブルなのであった。ここから下道でR20を諏訪湖まで走り、杖突峠を越えてR152を進んで、高遠を過ぎ大鹿村まで一気に走ってしまったワイ。「ヲイヲイ、少しは休憩をとろうぜい」と言ってくれる者も居ないソロツーリングは、だいたいコンナモノである。それにしても、諏訪からココまでは楽しい道であったワイ。白い点線の道、適度なワインディング、緑のトンネル、...。でも、白鉄馬に乗っている官憲にモテアソばれた場所でもあり、そこそこ慎重に駆けたのであった。ここからは県道22・59号線で松川町に。元大島地区の天竜川沿いの河岸段丘上に台城公園があり、イキナリ今日のメインイベントである大島城である。県道18号線から天竜川に架かる橋を渡って侵攻したが、すでに段丘の麓側は空堀である。これを巻いて上側へ行く道を進むと、「オオーッ」と声が出てしまった。そこには巨大な2重の三日月掘が待っていたゾイ。公園の駐車場に鉄馬を停め攻城開始するが、いきなり(というか、当然なのだが)馬出である。土塁もよく保存されていて見事ナリ。ドンドン内側に入っていくと、複雑で深く幅広な空堀で防御された、三の郭、二の郭、本郭と続いています。途中の井戸郭もよく保存されていて超驚いてしまう。この井戸バタは周りから隔絶された低地で、「土塁で見通せない構造になっている・ここで姫が入水した」云々の案内板をフムフム読んでいると、何かしら昔にタイムスリップする感じに。各郭は現在はゲートボール場(? ズイブン大きな固い球でするゴルフのようなスポーツ場)になっており、少し興醒めする部分はあるが、それでもこの城址は素晴しい、お勧めの である。
35°34′33.2″−137°55′00.2″と出ました。
大島城址遠景
大島城址、馬出址
大島城址、井戸郭址
大島城址、二重の三日月堀
大島城址、台城公園入口
大島城址、本郭址
 次いでR153を南下し、飯田市に入り、R151で駅方面の北西に進むと、左側にそれらしい雰囲気のトコロが見えてくるので、躊躇せず左折して、尾根上の上へ登って行くと、飯田美術博物館前に到着。ここの大きな表札をシゲシゲ見ると、「飯田美術博物館」の名前の他に、「飯田城址」の名前も彫り込まれている。どうやら、この周辺が城域らしい。ウロウロすると近くに長姫神社があり、小さな案内板が立ってます。どうやらごく僅かしか遺構は残っていないらしい。石塁の一部と空堀があるらしいが、空堀の方は見つからず。
■忘れてGPSで位置計測せず。
飯田城址碑
飯田城址、長姫神社の裏側の石塁址
  この後、R256を走り下平地区に入ると、道路っパタに「コーヒー・食事、床山荘」という看板が立ってますので、この標識に沿って1.5Kmほど登れば神之峰山頂に到着です。HYDは山頂にTV送信用鉄塔が林立している、という情報のみでウロウロしました。それでも、上へ上へと進む内に、何とかたどり着けましたが、「床山荘」を目指せば簡単です。で、この山頂付近が神之峰城の城域で、残念ながら本郭跡の上には、NHKのTV送信鉄塔が鎮座されてます。二の郭には久堅(ひさかた)神社が建ってます。という訳で、チョチ興醒めですが、堀切・土塁などの遺構の他、ココからの景色は抜群に です。伊那地域を俯瞰出来ますし、駒ケ岳などの山並みも です。さすがにTV送信用鉄塔が建っている理由が分かります。
■忘れてGPSで位置計測せず。
神之峰城址、本郭址
神之峰城址、出丸址に建つ久堅神社
神之峰城址、案内板前にて
神之峰城址よりの眺望
 景色を堪能した後、R256を戻って市街に入ろうとすると、飯田市役所・下久堅支所の敷地内に、ナニやら案内板のようなモノが立ってます。普通は通り過ぎるのでしょうが、自慢の動体視力は狂っていなかった、近付くと「知久平城址」と書かれているではないか。案内板を読むと、下久堅小学校周辺が城域で、今も遺構が残っていると書かれている。で、ウロウロすると、もの凄く深い空堀を二つ発見。竹薮に覆われていて、一番下まで見えないし、スゴク急峻なため、とても堀底に降りられない。堀の長さは埋め立てられいて短いが、当時は相当なモノだった筈。痕跡が少しの土塁もありましたが、暑くて時間も無いので、キリが良いトコロで次へ。
■忘れてGPSで位置計測せず。
知久平城址、土塁址
知久平城址、深い空堀址
知久平城址、案内板前にて
 R151に戻り南下を開始しますが、飯田市内で「松尾」の信号標識を発見するも、松尾城を探す時間が無さそうなのでパス。「クッソー」と思う反面、また来る理由が出来たワイ、という二面性あり。ドンドン南下していると、下條村の陽皐 地区の橋のタモトに「吉岡城址公園」の案内板が立っているので、すかさず鉄馬の手綱を引きます。すぐに堀切が迎えてくれ、公園内に入ると立派な石碑・石の案内板が建ってます。どうやら国道が城域を二分している感じです。堀切・空堀などが残っていて、明るい公園の芝生の上で、遅いコンビニ弁当を摂取するのでした。
■35°22′48.2″−137°47′19.3″です。
吉岡城址、堀切址
吉岡城址、石碑前にて
 さぁてとぉ、ノンビリしている場合ではない、先を急ごう。何たって14時だっていうのに、まだ信州の南部に居る。マッターリする間もなくドンドン駒を進め、長篠からはR257で浜松方向へ。三方原を経て浜松インター付近ではもう16時過ぎ。このまま進むと、夕飯には間に合わんワナァ。しょうがない、ゲルピンではあるが高速代をオゴろう。浜松ICから東名に入るも、「御殿場〜横浜間30Km渋滞」の無情な標識が。そりゃぁ、3連休だもんなぁ、夕飯には間に合わないかも。それでもダメモトで、鞭を入れて走り続け、駒門でトイレ休憩を入れただけで進むも、松田あたりから3車線の巨大な駐車場を目の当たりにして戦意喪失。スリ抜けを敢行して、ようやく厚木インターを出てホッとしたのもツカノマ、ここから長後街道も混んでおり、結局30分遅れで夕飯にありつけられた。暑い中を走りぬいたため、疲れてはいるが、美味いビール(うそ、発泡酒)を咽喉に流し込むのでした。本日、久し振りの6百Km超の630Km(でも、その内高速道が260Km)、お疲れさん。明日は会社に遅れないでネ、チャンチャン。
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