■   荒戸城  ■
■期日 H17年9月18日(日) 【新潟県】湯沢町・荒戸城・浅貝寄居城
                    【群馬県】新治村・宮野城・箱崎城
■ルート 戸塚自宅〜R1・R16〜入間IC〜圏央・関越道〜渋川IC〜R17〜湯沢T
       〜R17〜沼田C〜P70・R353・P16他〜伊勢崎C〜R17〜熊谷C〜R140
       〜花園IC〜関越・圏央道〜入間C〜R16〜厚木C〜R129・P22〜自宅
■コメント
 3連休で田舎に帰って稲刈りでも手伝いしようかと考えていたのだが、イロイロあって帰れなかった。一つには疲れがたまって百姓仕事が出来そうにもなかったことであるが、他の用事を済ませた後、土曜の殆どを家の中でゴロゴロしている内に、この疲れが霧消。となると、明日の日曜は出掛けなければ。で、例年1、2回は遠征している越後の国を今年は未だ攻めていないことにハタと気が付いた、当然長駆することに衆議一決(ウソ、独断専行)。日曜は朝もハヨから起き出し、暗い内に出っ発と相成った。R16をヒタ走り、途中で朝飯でも摂ろうかと考えている内に、判断悪く入間のインターに入ってしまった。う〜ん、しょうがない、どこかのサービスエリアで、何か食べようかと考えていたが、これも判断悪く食べ損ねた。えーぃっ、ままよ、とばかり渋川インターで降りたが、R17でも適当な店がない。こういう時にはコンビニでオニギリでも買えば良いのであるが、この日に限って、ちゃんとしたものを食べたい欲があり、空きっ腹で三国峠を越えてしまった。こうなりゃ意地である、ドンドン進む。とうとう目的の荒戸城がある山塊を過ぎてしまったワイ。湯沢の市内で、とうとう諦めてコンビニで弁当を買い、急いで戻ることにした。でも、後から分かったのだが、この意地が良い方向に動いていた。湯沢の中心部から、三国峠方向に戻ろうとR17を走り、最初に遭遇する芝原トンネルに入る直前の左側に細い道があった。多分、目当てのR17の旧道だろうと判断して左折すると、スグそばに荒戸城への標識が立っていた、ラッキー。実は以前にも荒戸城を攻めるべく、あまり下調査もせず来たことがあるのだが、その時は三俣という地名だけで探したため、三俣地区をウロウロして攻めあぐねたことがあったのダァ。今回は、簡単に攻城できそう。急坂をドンドン登って行くと、芝原峠のズイブン手前の道端に荒戸城への登り口の標識が出現。ここに鉄馬を停め、攻城開始。イキナリ上杉の軍道がお出迎えです。結構幅広で整備された道で、その昔、謙信がここを何度も通って関東入りしたかと思うと感慨深い。峠よりズイブン手前の気がしたので、かなりの登りを覚悟していたが、5分もかからず城域に到着。で、いきなり「オーッ!」のデカイ声が。眼の前にあるのは、城址ではなく城そのものが。と、錯覚するほどに城が残っているのである。とにかく不思議なのであるが、@マバラに木が生えているだけ、A下草が全く無い、Bそれなのに風雨であまり侵食されていない、のである。勿論、築城から400年以上も経過しているわけだから、自然侵食はそれなりにあるが、他の城と比べるとハルカに少ない。この三つの不思議のお陰で、複雑な空堀や竪堀で守られた三つの郭、馬出、虎口がよく確認できます。主郭の先だけは他の場所と異なり、下草・雑木で覆われていますが、幅広な堀切が残っています。さほど大きな城ではありませんが、当時の雰囲気が非常に良く伝わってくる城で、お勧めの です、間違いなーいぃ。主郭の明るい日差しの下で、コンビニで買った弁当を広げ、遅めの朝食を摂り、かなりの時間をマッターリしてから下山。すると旧道そばで、新潟県の観光関連の仕事をしている方に遭遇。いろいろ話をしていると、県の教育委員会もイロイロ調べたが、前述の@〜Bの謎は分からないらしい、とのコト。旧道をさらに峠へ向って登って行くと、少し広い場所があり、ここには縄張り図のある案内板が立っていて、こちらにも登り口があります。そのまま峠を過ぎ、ドンドン下ってR17に入ったのだが、旧道への入口は標識等目標物が無く、見つけるのは難しいと見た。HYDのように湯沢から芝原トネンル手前の道を進むのがヨサゲです。
■36°54′26.7″−138°47′31.9″と出ました、登り口からの比高は70mです。
荒戸城址、上杉軍道 荒戸城址、横堀址
荒戸城址、本丸と虎口址 荒戸城址、本丸址
荒戸城址、竪堀址 荒戸城址、横堀址
荒戸城址登り口付近からの湯沢方向の眺め
  続いてR17を戻ります。「苗場スキー場入口」の信号標識そばに、小さなホテル「ムサシ」があり、このホテルの裏の一角(50m四方位)だけが、別世界の様相になってます。まわりはリゾートマンションだの、ホテルだの、レストランの建物になっているのですが、ここだけが杉林の異質な空間になってます。で、この一角が浅貝(あさかい)寄居城です。四囲の土塁と空堀の一部だけが残存してますが、こういう環境では、これだけでもよくぞ残っていてくれた、と感謝したくなるほど。湯沢町さん、この貴重な遺跡を壊さないでネ。
■36°47′28.5″−138°47′25.2″です。
浅貝寄居城址、主郭と土塁址 浅貝寄居城址、主郭址
 次いで三国峠(ウソ、三国トンネル)を越え、再び上州に入ります。猿ヶ京温泉地区に舞い戻ると、人造・赤谷湖畔に立つ「湖城閣」ホテルへの標識があるので、これに従って狭い道を進むと、ホテルの駐車場に到着。ここに宮野城の案内板が立ってます。ホテルの周りが主郭跡で、深く幅広な空堀と土塁が残存。さらにこのホテルの外側が二の郭らしいのだが、遺構らしきものは分からず。ホテルの各室からは湖のキレイな景色が堪能できるのであろうが、コチトラはそういう景色には有りつけなくて退散。
■36°43′23.7″−138°53′17.4″と出ました。
宮野城址、空堀跡 宮野城址、案内板
宮野城址、遠望
  今度は新治村役場へ向います。特に標識は有りませんが、小さな村なので簡単に所在が分かり役場へ現着。役場の左側の山が箱崎城です。役場の駐車場に鉄馬を停め、役場入口脇の墓場から上へ登る道があるので、これを登ります。ものの5分もかからず主郭に到着。でも竹薮・下草ジャングル状態で、郭内への侵入アタワズ。しょうがないので土塁(?、その昔は耕地であったような雰囲気もあり、畝のようなものかも)に沿ってグルリを進む。竹薮とクモの巣に難儀しながら二の郭に。こちらの方は、ジャングル状態にはなっていない。間違いない土塁、大きな横堀や虎口、石積みの突起状の遺構が残っています。
■36°41′07.6″−138°55′27.1″でした。
箱崎城址、空堀跡
  そうこうしている内に、少し寒気がしてきた。今朝がた三国峠を越える際は、まだ朝早く、1000m以上の海抜を考えると、ズイブンと寒かった。それと、鈍足トラックが居なかったことを幸いに、ズイブン飛ばし過ぎたのも一因か、面倒なため防寒着を着なかったのがまずかった、かも。ともかく寒気である。しょうがない、マダマダ日は高いが帰るとしよう。R17をそのまま進んでも良いのだが、いつもの赤城山麓を巻く県道70号線・R353で、渋川・前橋などの都市部を避けて野駆けを楽しみます。ソウコウしている内に、寒気も吹っ飛び快調になってくるから面白い。でもワインディングはモウお終い、つまらないR17、R140と走り花園インターから高速に。関越・圏央道と走り、入間インターで降りて、いつも渋滞しているR16をプリプリ怒りながら走り、相模原からはR129で厚木へ。ここからは長後街道、ヤッパシ混んでいる。又しても寒気が出てきて、少々熱っぽい感じ、どうやら心因性の風邪かも。高速多用で17時にはご帰館じゃぁ。って、早く帰り過ぎて、相方目をパチクリ。本日、前回に引続いての丁度500Km(その内、高速130Km)、ヨーッお疲れさん。風邪、早く直してネ。
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