■   玉縄城  ■
■期日 H17年4月29日(金・祝) 【神奈川県】鎌倉市・玉縄城
■ルート 戸塚自宅〜R1・P402〜自宅
■コメント
 GW突入であるが、この29日(緑の日)には、前々から行きたいところがあった。変態オジさんではないが、その場所は女子中・高である。いつもの650cc鉄馬ではなく、50cc原付駄馬でお出掛け。だって行き先は目と鼻の先、鎌倉市城廻地区、わずかに7Kmの距離ときたもんだ。キリスト教系の女学校であるから、通常は頼み込んでも入れてくれない(?)が、学園祭のこの日だけは難なく校内に。とはいっても、一応ブレザーを着込み革靴まで履いて、怪しまれないようにして紛れ込んだ。ココまでして入りたかったのは、この敷地内と廻りが超有名な玉縄城だからである。正門横には、遺構の一つである諏訪壇があり、この登り口に石碑が立っている。でも「立ち入り禁止」なので、少しだけ侵入して石碑のデジカメ写真を撮っただけ。ついで、校内をウロウロ開始。先ずは講堂裏のグランドに行くと、それらしい雰囲気の土塁跡様のモノがあり、ワクワクしてきます。でも近くに行き、中に侵入しようにもヤブやフェンスがあり、それ以外の遺構は確認できず。さらにウロウロするも、敷地の廻りはフェンスがあってヤブの中に入れない。きっとヤブの中には遺構が眠っていると思うんだが...。諏訪壇にも登りたいのだが、「立ち入り禁止」となっていて気の弱いHYDは、それを無視してまで中に入っては行けない。そうこうしている内に、テニスコート横から諏訪壇へ登る道を発見。ここには立ち入り禁止の看板が無いことを幸いにドンドン登ると、頂上下に土塁・空堀・堀切・帯郭跡が残っており、思わず「やったネ!!」。諏訪壇頂上部は結構広い削平地で、80m×30m位はある感じです。4月だというのに腰までブッシュがあり、動きがママならず遺構は確認できず、ブレザーや革靴ではネー。いつもの格好であれば、ヤブもものともせず(ウソ、それなりに)にウロウロするのだが、残念。来年はそれなりの格好で再挑戦しよう。
清泉女子中・高校、学園祭 清泉女子高、正門左の諏訪壇下の石碑
清泉女子校、グランドの土塁跡 諏訪壇下の土塁跡
諏訪壇下の堀切跡 諏訪壇頂上部の削平地
 この後、女子高の廻りを駄馬でウロウロ(メータ読みで20Km以上も走った)。随分遠くでも玉縄城に関係する地名が残っている。女子高そのものが本郭だということであるから、本郭自体が大きい。この本郭を取り囲む郭・櫓などを考えると、とてつもなく大きいことが分かる。上杉謙信が攻め落とせなかったのもウナヅける気がする。で、イロイロ走っている内に、陣屋坂の頂上部付近の三叉路角に、玉縄城の石碑を発見。ここなら記念写真を撮ってもダイジョウブイ。この三叉路には「玉縄城址遺構」の標識が立っていて、ウロウロするがそれらしいものを発見できず。宅地化で消えてしまったのだろうか。標識の矢印に向かうと、七曲に出ます。ここは歩行者だけが通れるような狭く急坂の道であるが、無理して駄馬で下っていくと、周りはそれらしい雰囲気に。でも、この形(なり)では攻められない。坂下の左側に小公園があり、城の発掘状況の案内板が立ってます。コーポ鎌倉というマンションの脇です。随分時間を費やしたが、今日はこれでお終い。今度はそれなりの格好で、ブッシュを攻めることを誓うのでした。とにかく、いつもの何十分の一の超近場の野駆け攻城でした、お疲れさん、チャンチャン。
陣屋坂上の石碑前にて 七曲下の発掘現場の案内板
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