■   熊城  ■
■期日 H17年5月8日(日)   【山梨県】甲府市・熊城、大月市・駒宮砦
■ルート 戸塚自宅〜P22〜伊勢原C〜R246〜御殿場C〜P151・R138〜山中湖〜R137
        〜甲府C〜R20〜相模湖〜R412〜厚木C〜R129〜平塚C〜R1〜自宅
■コメント
  大型連休(どうやらゴールデン・ウィークというのは、映画業界の和製英語で、儲けられる週間の意らしいので、某国営放送のように、大型連休というのが正しい、をいをいウンチクはいいヨ)は飛騨で田植えの準備と畑の草むしりを実施。期間中はいい天気続きで、鉄馬に乗った野駆けの皆さんを羨ましく思って見ていた。こちとらぁ、母親を一人で田舎に暮らさせている手前、罪滅ぼしで百姓仕事にイソしむのである。相方・子供の「大型連休・夏休み・冬休みに、どこかへ出掛けたことって無いよねぇー」のイヤミに長年にわたって耳も貸せず、年中行事に田舎に帰っている。それでも飛騨に帰ってイロイロ調べて見ると、沢山の城址があることに改めて驚いた次第です。まぁ、その内に攻略しよう、と心に秘めるのでした。横浜に戻った後の連休最後はどうやら晴れるというご託宣であったので、イソイソと土曜は準備を進め、例によって早めの就寝。で、日曜は5時チョチ過ぎには出っ発である、行き先は甲斐の国。先ずはニー・ヨン・ロク(国道246号線)で御殿場に出て県道151、国道138、137号線で山中湖、河口湖を経て甲府で朝飯。戦の前の腹ごしらえを済ませ、躑躅ヶ崎館北の積翠寺の要害温泉を目指します。ってことは、今回は再度の要害山城? ではありません、この支城の熊城の方を攻略します。かなり前に要害山城を攻めた時、麓の案内板(要害温泉ホテル入口)に熊城のことが書かれていたのですが、イロイロあって今回の攻城です。再度、要害山麓の案内板を見て、位置・道等をメモします。どうやら要害山城からも行けそうですが、今回は根小屋地区から攻めることにします。根小屋地区の奥に日吉神社があり、近くに根小屋地区の由来などの案内板が立っています。この道をなおも奥に進むと、要害山城への登り口の標識・案内板が立っています。でもさらに進んで深草観音を目指します。案内板の50m上に、山側に入る道と橋を渡る道の分岐点がありますが、山に入る方の狭い道を選びます。ここを300mも進むと、「二輪も通行できません」の標識が出てくるので、ここに鉄馬を停め歩いて進みます。が、簡単に見つかるツモリであった登り口が分からない。「この道は...」と思っても、途中で絶壁になったりと、登り口は全く見つからない。結局、かなり上まで登ってしまい、大きな林道と交わる部分に出てしまいました。が、どう見ても城がある尾根筋とは異なるので、引き返すことに。これは直登しかないと意を決し(この辺りは山岳部、ワンゲル部とは異なる)、「二輪も不可」の標識から3分位奥の小さな沢を登ります。沢の両岸は、ズイブン上の方まで、石積みで階段状に補強されているので分かり易い筈。でも、すごく急峻です(キッパリ)。10分位格闘し、アエギあえぎ登って稜線にたどり着いた時には、正直「ほっ」としました。ここで、例によって上の方に向って尾根筋を登りましたが、× 。どうやら熊城は下の方の尾根上でした。考えてみたら、当たり前田のクラッカー、要害山城より高い所に支城はあまり作らない筈だよネ。それで今度はグーッと下って、本城と同じくらいの高さになったところで、いきなり大きな堀切に。難行苦行でここまで来たので、「オーッ!」と声が出ます。これを乗り越えると、石積みで補強された土塁と郭が出現。そりゃぁ石塁フェチのHYD、当然声が出るよネ、「オーッ!」。さらに下側にも堀切や大きな郭や虎口、いずれも石積みで補強されています。郭はさらに下側にも幾つかあり、支城とはいえかなりの規模の城です。ところが、最下段まで下ったのですが、道が無い。ちゃんとした道が、どこかにあるだろうと考えていたので、急に「シュン!」となるのでした。で、ウロウロしながら再び登って行くのでしたが、やはり道は見当たらない。おかしい、要害山城の麓の案内板には道が有ることになっているのだが。
 しょうがないので、一番上の堀切の竪堀を下ることに決定。最初の内は、堀底道のような降り易い道であったのだが、途中から獣道(何かの動物の足跡も有り)に。その内に登って来た時の沢にぶつかり、ひとまず安堵。急勾配の沢を枝に掴まりながら下って、無事鉄馬の所に到着。ここで、大きな「ホッ!」のため息が出ました。なかなかな興味深い熊城ですが、特に案内板・石碑はありません、っていうか道さえ無いんだから当然か。でも熊城のある尾根の頂上部に行けそうな道が有るので、逆に尾根筋から下って攻められるかもしれません。
【どうやら、そうらしいです、カブキさんの信玄を探す旅参照、よく参考にしているページなのに、今回はウッカリCHKしてませんでした、馬念さん情報ありがとう】
無事鉄馬に跨り次の攻城を、と考えたのでしたが、重い鉄馬を押し動かしている内に、利き腕の右腕上部が痛くなっているのに気が付いた(ヲイヲイ、もっと早くに気が付かんかい!)。「う〜ん、おかしい!」、特に打撲した記憶もないのだが、打撲した時のような強い痛みが走る。シャツを脱いで確かめるも、打撲の跡はない、おかしい? 原因は分からないが、急勾配の沢筋を登り・降りした時に、イロイロな木々の枝や幹を掴みながら進んだが、その時に何かの弾みで腕を痛くしたのかもしれない。運動不足と歳を実感してしまう。ともかく、原因が分かったトコロで、直らないのではしょうがない。痛みも半端じゃないし、1W前から続いている偏頭痛も治まらない。その上、2W前に呑んだ時に駅構内でひっくり返って、右膝の皿をシコタマ打った痛みが引いていない。こりゃぁ、早々に帰れってことかなぁ、と考えるHYD。っていうか、そういう体調の時には出掛けるなよナー。まだ10時チョチ過ぎで、超モノ足りないが、キビスを返します。
熊城址、最初に現われる堀切り 熊城址、本郭跡と石積みで補強された土塁跡
熊城址、石積みで補強された虎口跡 熊城址、本郭跡と石積みで補強された土塁跡
熊城址、本郭跡と石積みで補強された土塁跡の前にて
  まだ日が高いこともあり、空いているR20を順調に飛ばして進んだトコロで、腕の痛みが少し和らいだのを幸いに、少し寄り道します。大月でR139に入り、岩殿城を過ぎて更に山奥に進むと、大月市七保町瀬戸地区あたりで、国道沿いに「駒宮」への大きな標識を発見。急いで右折し狭い道を進むと、天神峠への小さな標識が幾つか出てくるので、これに従って進みます。最後の天神峠の標識の所(個人の庭先)で鉄馬を停め、駒宮砦へ進軍開始。天神峠への標識に従って登ること丁度5分で、尾根の稜線部に到着。ここで標識の示す方向には進まずに、反対側の尾根の先端方向への怪しげな道を進みます。
ここも丁度5分で最初の堀切にぶつかります。本郭は小さいですが、土塁が残っており、虎口も僅かに残っています。小さな祠と江戸時代の墓状なモノ(すいません、字が難しくて分からない)が立っています。更に下へ行くと大きな郭や堀切・空堀があり、雑木で木々の切れ間からしか見えませんが、浅川地区と駒宮地区の両方を扼する要害の地に立てられた駒宮砦であることが分かります。堀切を上り下りする際、木々に掴まるので、例の腕の痛みが襲ってきてマッターリ出来る体調ではないが、それでもシバシ休んで砦を後にします。GPSをお持ちの方は2.5万分の一地図の標高496mのピークを入力していけば楽勝に攻城出来ると思います。
      【GPS、HYDも超欲しいです...いつもの物欲神がウズク】
駒宮砦址、本郭跡と土塁跡
駒宮砦址、本郭跡の虎口跡
駒宮砦址、本郭跡にて
 まだ昼前だというのに、頭と膝と腕の痛みの三重苦に耐えかね、帰陣開始。途中の上野原の城は見逃してやり、R20を相模湖まで行き、ここからR412で厚木を経て、今回は長後街道ではなく、天邪鬼的にR129+R1で帰館。えらく早く帰宅してしまい、家族一同+猫1匹は ? のご様子。本日ALL下道290Km、体をイタわってネ、チャンチャン。
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