■   土屋城  ■
■期日 H17年3月13日(日) 【神奈川県】平塚市・土屋城、茅ヶ崎市・懐島館
■ルート 戸塚自宅〜R1〜小田原C〜二宮T〜P71・P77〜平塚C〜P62他
          〜茅ヶ崎C〜R1〜自宅
■コメント
  「土曜は晴れ、そこそこ暖かい、でも日曜は曇りがちで寒い」のご託宣をマルッと信じて、昨日の土曜は伊豆に野駆けを楽しみに行ったのだが、曇りでえらく寒く、しかも超・風が強くて、楽しむにはほど遠い状態であった。で、それを癒すため、夜は遅くまで酒を呑んでしまった。このため日曜の朝は、例によって遅くなってからゴソゴソ起き出した。ナニゲに外を見て驚いた、ド・ピーカンの【晴れ】なのだった。この日差しのせいで、寒いと言うよりスコブル暖かい。「ヲイヲイ、気象庁はいつからオオカミ少年になったんだヨー」。昨日のウツウツとして楽しめなかった分、今日の天気で取り返してやろう、と11時ごろ出っ発、行き先は小田原である。馬念さんのページを見ていたら、大学建物の新築現場で、古・小田原城の障子堀の大規模なモノが出たらしい、発掘調査が行われ、その公開(05/02/20)の様子が書かれていたのである。何でも早い内に埋め戻されるらしいので、もうダメかもというコトでもあった。でも、ダメモトで行くのである、この寒空に勇者である(というかバカ、確認してから行けよナァ)。コクイチ(R1)をヒタすら西上し、先日行った高麗山城の下を過ぎて、さらに西へ。ところで、今日の乗り物はこの前と同じく50cc原付駄馬であるので、鞭を入れてもナカナカ速度が出ない。その代わり、狭い隙間もドンドンすり抜けられるので、混雑した道では650cc鉄馬より速いかも。勿論、四輪なんて「アッ」という間に、サイド・ミラーの点にしてしまう。それでも40Km強も距離があるので、1時間以上を費やしてようやく現着。新幹線と小田急の三角部分の土地は、某大学の建設予定地、きれいに埋め戻されていた、ガァーン。その「埋め戻した」とハッキリ分かる土地を眺めている内に、もう二度と見られない、と深い反省とともに思い至った。トタンに、さらにガァーンと頭が叩かれたようになった。情報化時代の真っ只中に居ながら、その情報を活かせられない自分をしょうがなくウラむのでした。でも、良い天気だし、野駆けは十分楽しめたから良かったんではないかい、と今度は慰めているのでした。その内に、折角だからこの間の平塚・土屋城のリベンジをしようと気持ちを切替え、県道71号線・77号線を走り、土屋地区に。前回は東海大学側を攻めて × だったので、今度は神奈川大学寄りを攻めてみよう。で、土屋小学校そば辺りの県道77号線沿いに「土屋一族の墓」の小さな標識を発見。この手の墓と城とが一致する確立は、経験的に少ないので心配ですが、数多く設置してある標識に従って駄馬を走らせると、大乗院に到着。ココまで来ると、土屋城址の文字も見出せます。案内板などをフムフムと読むと、どうやら土屋一族の墓がある辺りが居館跡らしく、大乗院の寺境内周辺は城址であるらしい。まず、丘陵下の土屋氏の墓の場所へ。数多くの古い墓が並んでいます。周りは畑地になっていて、雰囲気はあるものの、遺構はなし。今度は大乗院裏側の墓地をウロウロ。どうやら、郭・土塁・切岸などが残っており、寺脇の竹薮の中には空堀跡も残ってます。う〜ん、随分年月を経た割には、良くぞ残っていてくれた、と感謝するのでした。それと、数多くの標識・案内板にも多謝です。
土屋居館跡、一族の墓 土屋城址
土屋城址、空堀跡 土屋城址、案内板前にて
   この頃から晴天が曇天に、しかもえらく寒くなってきた。遠くの空を見ると、明らかに雪雲である。これは雪が降るゾ(雪国生まれは、こういう望天観測が大得意)、と駄馬を走らせていると、はたして白いモノがチラチラし始めてきた。おーいっ、どうした10%の降水確率は>気象庁。と言ってもしょうがない、この場面でどうするかだ。「まぁ、その内に止むだろう」とタカをくくって走り続け、県道45号線で茅ヶ崎市内に入ると、「円蔵」の信号標識が出ている。そうだぁ、この近くに懐嶋館がある筈、と駄馬の手綱を引くのであった。この雪の中なのに、良い子は真似しちゃダメダメ。といっても、館の場所のアテがあるからなのです。幸いなことに、神奈川県の詳細な道路地図を、駄馬の鞍の下に入れておいたことを思い出したのである。随分前に、目印を入れておいたのが役に立った。どうやら、この信号から程近いらしい。地図を見ながら、細い道を進み、大神明神社へ。名前はスゴイが、規模は神明社くらいである。街中ということもあり、境内はずいぶんと狭い。でも、境内の鳥居横と言わず、神社横、果ては神社後ろ側にと、オビタダしい石碑が林立している。その中には、難解で読めないのもあるが、概して新しいモノばかり。いずれも、この円蔵地区に関わる懐嶋氏の石碑や神社由来の石碑などである。極めつけは、懐嶋氏の像まで建っているではないか。恐ろしいばかりの郷土愛。神社裏は今のところまだ畑地であるが、ココもその内には宅地化の波に押しつぶされるんだろうナァ。その時は、この石碑群で往時を偲ぶことが出来るのだろうか、と他人事ながら心配に。とにかく遺構は無しです。でも、チョチ気になった小さな石碑(高さ50cm位)、懐嶋館土塁跡と刻まれてある。コンクリートの土間のような所に立ってます。あれーっ、どこに土塁址があるのかしらん。
懐嶋館址 懐嶋館址、土塁跡の謎の石碑
  そうこうしている内に、雪が雨に変わり、道路には水溜り。とても10%というレベルではないゾ。そうはいっても、カッパを着るのも面倒で、そのままR1で藤沢を通過したが、横浜に入る頃から道路は乾ききっている。どうやら平塚・茅ヶ崎・藤沢の湘南辺りだけが、雪雲の通り道なんだろうか。幸いなことに、余り濡れずにご帰館。駄馬の走行距離110Km、う〜ん、疲れたような・満足したような不思議な感覚。さぁ、今夜は酒が旨いゾ。
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