■   大築城  ■
■期日 H17年1月8日(土) 【埼玉県】越生町・大築城、嵐山町・大蔵館、
                東松山市・青鳥城、川越市・大堀山城、坂戸市・田波目城
■ルート 戸塚自宅〜R16〜入間C〜P30〜越生T〜P74・R254他〜東松山C〜
        P256・P74他〜入間C〜R16〜自宅
■コメント
  ’05年のスタート、さて今年最初の攻城はどこにしよう。幸先が悪いとマズイので、城好きの方ご推薦の城を攻めよう、ハズレは無いし、何より城を探しアグねることもない。もう一つの近場の攻城の理由は、正月に食べ過ぎ・飲みすぎで、ちょっとお疲れ気味であったのダー。で、武蔵の国は大築(おおづく)城をメインに攻めます。この城は、同じ神奈川の山城好き、馬念さんのお奨めです。サスガお疲れ、6時半過ぎにやっとで起床、出っ発は7時半頃。最近、こんなに遅い出っ発はない、さぞかしR16は混んでいることだろう。と、予想にタガわず大渋滞。新年早々、スリ抜けの連続で狭山へ。ここから県道30号線で北上開始。この道は昨年何回走ったことだろう、などと考えながら、快適に飛ばして越生町へ。ここから県道61号線に入り、有名な梅園を過ぎてからは県道を離れて、あじさい山公園の標識に従いドンドン山の中に入って行きます。すると道路の隅には除雪した雪の塊が...。これは道路凍結を用心しなければならない。数年前のアノ悪夢が頭をヨギります。山峡のカーブを幾つか回った所で、道路前方に怪しげな情景。どうみても氷っている。でも急ブレーキは掛けられないので、恐る恐る速度を落としたが、その鈍い光を放つ所に入ってしまった。4輪と異なり、鉄馬は止まると倒れるので、足で支えなければならない。でも、「!!」であった。両の足がツルツル滑るのである。完璧に氷上のバレリーナ。ここから、又しても超オソル・オソル状態でバック開始。たった3m程をツルツル滑る両足で支えながら(正確にはバランスを取りながら、とても滑って支えられないのダー)戻ったのだが、実に2分以上も掛けて戻るのに大成功。足がジカにアスファルト面に接した時には、大きなタメ息を2回もついたものだ。鉄馬を傍らに置き、道路幅一杯に鈍い光を放つ10m長の所をキャラバン風シューズで歩いたが、歩くよりは滑るという表現が正しい。どうやら沢の水が道路に流れて、それが凍ってアイス・リンクになったらしい。良くぞ前進時に滑らず、また後退時も滑らなかったものだ、と天に感謝・感謝。この道路状態では、大築城への登山口である麦原地区まで鉄馬では行けそうにもない。スッパリと鉄馬を諦め、徒歩(カチ)で進軍開始。15分ほども歩いて、麦原地区の住吉神社に到着。ここに付近のハイキングコースの案内があり、目指す大築城がある城山も案内してある。案内図をヨクヨク頭に叩き込み、さらに道を登って行くと、10分強で道路が行き詰まり、城山への登り口の標識が。う〜ん、鉄馬であればココまで難なく来られたのに。などと、先ほどの天恵を忘れて、ボヤクのでした。ここから整備された登山道を登りますが、先の馬念さんの案内通り、山林で周りが鬱蒼とした所から、急に開けた場所に出た所(登山道から10分強)が道を間違い易いですネ。新しく作成中の林道と登山道がブツかるのですが、ココは直進して下るのが正解。間違っても新しい林道に沿って、右折して上へ登ってはいけません。このあたりから、モロドノ曲輪がクッキリ見えます。少し下ると、50m程で城山への標識が再度出現し、これに従って登ると、モロドノ(茂呂殿?)曲輪。ここからの遠景は大変素晴しいです。さらに登ると大規模な堀切の連続する複郭で、最上部がやや細長い本郭に。虎口や土塁もしっかり残存。モロドノ曲輪と異なり、ここからの眺めはイマイチ。反対側の都幾川村の部落が樹木の間から間近に見えます。深くて広い堀切などに圧倒されて、着いたトタンに「凄ッゲー」と思わず大声を出したことを告白しておきます(「いい年こいて!」は無しネ、恥ずかしヤ)。しばし、マッターリしてから下山。
大築城、モロドノ曲輪の遠景 大築城、モロドノ曲輪よりの遠景
大築城址、案内板前にて 大築城址、深くて幅広の空堀跡
  次は前々から行きたかった青鳥(おおどり)城。県道172号線で嵐山町を東松山方向に走っていると、何やら標識がヨギリます。自慢の動体視力に頼らなくても、大きな標識なのでスグ分かります。「大蔵館跡」と書かれており、当然手綱を引いて止まります。館の存在は知っていたのだが、こんな所に在ったとは。現在は大蔵神社で、周りは住宅地ですので、遺構は少なしと思いましたが、アニ・ハカランヤ、神社の裏・西側に土塁と空堀が結構残っていて、思わずニッタリして徘徊。ニタニタした怪しげな男がウロウロするので、犬が吠えまくり、しょうがないので尻尾を巻いて退散ヲイヲイ反対だって)。
大蔵館址、石碑前にて
大蔵館址、土塁跡
 さて肝心の青鳥(おおどり)城を狙いますが、事前調査で関越自動車道・東松山ICのそばのLisseというラブホテルの前ということで、難なく現着。確かにラブホの入口前に案内板が立ってます。でも城域はココだけではなく、この辺り全体のようだ。さっそくウロウロ開始するも、その間にラブホから出てくるカップルの多いこと・多いこと、日本は平和である。半分羨ましく(ヲイヲイ)思いながら、歩き回るとホテルの西裏側に高い土塁と空堀を発見。土塁の内側は民家、民家...と住宅が連なっていますが、よくぞ残存していてくれた。あまりにも土塁が高過ぎて、住宅地にする際に壊すことが出来なかったのかも。さらにアチコチ歩き回りましたが、相当広い範囲に深い空堀や高い土塁(中には折邪「おりひずみ」部分もあり)などがあり、ツイツイ歩き過ぎて道に迷うほど。かなりの部分が雑木林で、中に入れない所もありますが、その広大さと防御方法だけは肌(ウソ、足)で実感。青鳥城址の石碑は、かなり離れた所にあるので要注意。マッターリするというより、歩きづくめで疲れ果てて攻城終了。
青鳥城址碑の前にて 青鳥城址、土塁と郭内
青鳥城址、折邪の土塁 青鳥城址、空堀跡
 今度は県道256号線そばの大堀山城です。名前通りであれば堀が楽しみ。川越市とはいっても、坂戸市と入組んでいる部分で、川越市に入ってすぐの下広谷地区で鉄馬を停めますが、地区が広い上に、それらしい丘陵・林などが多い、これは難儀しそう。で、県道に近い所にあるというキーワードを調べてあったので、県道を歩いている人達に聞きまくり。その内に、「あーそれなら、家(うち)の裏側だヨ」という中年の御仁に遭遇、超ラッキー。教えて頂いた所は大変分かりづらい場所で、標識も石碑も一切なし。今回親切な御仁に出会わなかったら、100%攻城は無理でした。さて鉄馬を林の前の狭い道路に停め、勇んで林の中に入っていく工事用の道のような所を行くと、いきなり浅いがずーっと続く空堀に遭遇。サラに進むと、木を切り倒して広々とした本郭と思しき場所に行き当たります。西側には約5mと幅広で50m長ほどの土塁(ちょっと幅広すぎて、土塁ではないかも)が残っています。冬季なので雑草は枯れてますが、足元は繁茂の残骸で歩き難い。夏場はこの土塁の上には立てないかもネ。本郭の隅には小さな木製の祠が祀ってあります。この北側へ足を踏み入れてビックリ、三重の空堀がシッカリ残存、こんなにも宅地化が進んでいるのに...。三重のうち真ん中は、結構幅広で深い空堀です。大堀城の名前に恥じない、なかなかの城と見たのですが、如何せん、ナンにも案内板などが無いのが残念。肝心の場所ですが、県道沿いに「パチンコ倶楽部」というパチンコ屋があり、この駐車場が2箇所あり、北西側の小さい方の駐車場から北側を見たときに見える林の中です。林の隣には、アマ無線用の八木アンテナ群が建っている家があるので、これを目印にしても良いかも。

 情報を頂きました、どうやらこの城址には陸軍の手が入っているようです。土塁は後世のモノのようですし、どうやら堀にも手が入っていそうです。下記の情報を参考にして下さい。
    【下総介さんのInfo.です】
大堀山城址、本郭と土塁 大堀山城址、空堀跡
大堀山城址、本郭にある祠前にて
 さぁてとぉ、坂戸市の西南端の多和目地区へ県道74号線で向いますが、遠くから高麗川の向こう側にそれらしい山が見えるので、当たりを付けて進み、その山の麓に着くと、その名も城山中学校に。まず間違いなくこの山であろう、でも、ここから登るのは大変だナァと思いながら、さらに進むと今度は山腹に城山小学校。まだまだ上へ行けそう、ってんで鉄馬に鞭をくれて登りきると、グランドがあり、さらにその上まで舗装道を進むと、ドンになり城址の案内板が立ってます。どうやら楽勝に攻城出来そう。ここからものの2、3分で頂上に到着。でも簡易上水場が本郭の一番良い場所を占拠しているではないか。見づらい案内板(だって、網状のフェンスの向こう側に密着させて取り付けてある)をフムフム読み、散策開始。空堀・土塁が僅かに残っているだけで、他は見当たらず、眺望もイマイチ、まぁ、こんなもんでしょうかネー。
田波目城址、登り口の案内板前にて
田波目城址、本郭の土塁跡
 今日は天恵で鉄馬もコケずに済んだし、スリ抜け時に黄色い線をイッパイまたいだ時もPOLIさんは見逃してくれたし、こいつぁ春から縁起が良いワイ。まだまだ走り足りないが、この良い状態のまま、ミソが付かない内に早めに帰ろう。来た道をそのまま戻って、夕飯には余裕でセーフ。本日、オール下道230Km、お疲れさん。
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