■   韮山砦群  ■
■期日 H17年2月13日(日) 【静岡県】韮山町・韮山城の出城(江川砦、天ヶ岳砦
                  和田島砦、土手和田砦)、函南町・仁田氏居館・田代城
■ルート 戸塚自宅〜R1〜茅ヶ崎C〜R134・湘南BP〜小田原C〜R134〜熱海C〜R135
             〜下田C〜R135・P11・R135〜函南T〜P11〜熱海C
                  〜R134・湘南BP・R134他〜自宅
■コメント
 三連休の最後の日曜日は、東京でも雪が降るという前日18時50分のご託宣である。オイオイ、それは無いだろう、楽しみにしていたんだから。なんとか晴れさせてくれぃ、と言ってもそれは無理。普通の人はこのNHK天気予報でキッパリ諦めるのだが、勇者単なるバカ)は違っている。晴れを信じて準備を進め、朝早く(それでも5時とちょっと遅め)起き出し、間違いであってくれ、とWebで気象庁を呼び出すのであった。数時間前の降雨状況と、これから6時間後までの降雨状況を予測する降水短時間予報のページを開く。すると何とか伊豆半島は雨にタタられなさそう。おーっ、やはり行いが良いと、天まで味方してくれるワイ、とウソブき、出っ発の準備開始。本当は、土曜にフェリーの事前調査していた安房の国へ舟+鉄馬で長駆する予定であったが、どうやら向こうは天気がわるいらしい。という訳で、前々回の伊豆のリベンジをするのココロなのダー。やられっぱなしの田子城と田代城を何が何でも攻め落とそうという魂胆である。R1、R134と走り、西湘BPを降りてからは再びR134で下田まで一気に南下。下田からはR135、県道16号線、R135とアッという間に(ウソ、すでに10:00)西伊豆の松崎を通過。ここまで3時間半、ヲイヲイいつもながら飛ばし過ぎだって。ところが、例の田子城が鬼門であった。事前準備もしていなかったこともあり、前回と同じ田子トンネルの上部という情報だけで、探索開始。R134には新田子トンネルはあるが、ただの田子トンネルはなし。旧道を走るも田子トンネルの上部はトテモじゃないが、城の雰囲気ゼロ。こうなりゃ、当たって砕けろ、でR134上の新田子トンネルの脇から上へ登る道が有ることを幸いに、突撃である。最初は立派な道も途中から獣道になり、最後は道なき道を登って頂上まで。でも残念、城ではなかった、見晴らしも悪い(涙)。おまけに帰りに道を間違え、とんでもない所に出てしまい、元の道に戻るのに時間を掛けてしまった(涙・涙)。旧道に戻り、田子地区/大田子地区の地元の方、それも年配の方にイロイロ聞きまくり。殆どの方が「?」であったが、「あそこの茅葺屋根のある家の後ろの山」と教えてくれた古老の話を信じ、再度R134で、教えて貰った辺りをウロウロ。でも、どうやら違うようだ。ヨクヨク考えるに、前に一度来た安良里城のすぐそばというコトに気が付いたのでした(この城も、先端まで行っても、それらしい遺構に出食わなかったので、未攻城のママにしているが、どうやら遺構がなさそうという情報がある)。先ほどの老人の話は、この安良里城のことを勘違いしているような気がしてきた。う〜ん、そうであればヒトマズ退散しよう。再々リベンジの機会を待とう、と殊勝なコトを口にするHYDでした。随分時間を浪費したが、R135をさらに北上し、韮山町まで。ここからは前にも攻城している韮山城へ向います。今日は、この出城(砦)を攻めるのである。先ずは江川邸へ向うと、邸の駐車場前に山木判官・平 兼盛館への標識発見。ツイツイその矢印に向って駒を進めるが、居館まで行けず。ウロウロしてもダメ。しょうがないので、江川邸の駐車場に戻ると、ボランティアのガイドさんが居られた。ラッキーと早速居館までの道筋を教えて頂き、難なく現着。でも、現在は個人のお宅で中まで入っていける雰囲気が無いので、門付近でデジカメをパチリ。宅の奥のほうに土塁様のモノを見つけて、思わずニッコリ。何も残っていないと思っていたが、土塁だけは残っていたんだぁ(ウソ、これは後世のモノです、例のガイドさんに尋ねると、言下に否定、どうやら伝・居館跡でもあるらしい)。
伝・平兼隆館址
伝・平兼隆館址
 そのガイドさんに再び、江川砦への登り口を尋ねると、「現在は江川邸に入ってからでないと行けない」ということであった。そうは言っても既に訪問済みの所に、またお金を払って行きたくもないので、受付で交渉開始。「邸の見学はなしで、江川砦にいきたいんですけれど」、受付の女性「そういう人も多いのですが、邸の管理者は保全のため許可無く江川砦に行かせてない」という返事。う〜ん、弱った魚は眼を見りゃ分かる。ウロウロして登り口を探すが、城池側には無し、ようやく邸より上流方向に進んだ所の竹薮からの登り口を発見し、登城開始。確かに江川砦側には金網があって入れないような構造になっている。でも、砦と隔てる大きな堀切の天ヶ岳側には防御施設はないのでこちらへ登って、向こうの江川砦を眺めると、どうやら本郭は神社になっている。まぁ、デジカメで撮って攻城済みにしよう。それにしても、この堀切の大きさ、深さ、急峻さ、すごいです。
 この深くて急峻な堀切を登り切るのには苦労した。当時、韮山城を攻めるのに難儀した理由がよく分かるワイ。しかも危険を伴なうような急峻さ(クドイ)である、立入り禁止にする理由も分かる気がする。でも、こちとらぁ、そんなことお構い無しに、どんどん山の頂上に向ってヤセ尾根を登ります。途中にも大きな堀切があり、深く急峻で、しかも畝堀状の構造【この畝の部分は土ではなく、岩を削りだしたもので、以下の砦群に共通です】。そんなこんなの15分ほどで、天ヶ岳(てんがたけ)の頂上に到着。一汗も二汗もかいてしまったが、途中の堀切の見事さと、眼下の景色の良さに苦労が吹っ飛びます。頂上の天ヶ岳砦の本郭周辺には、特に遺構は無し、三角点があります。
江川砦横の急峻・深い堀切址
城池からの天ヶ岳砦遠景 天ヶ岳の頂上
  ここからさらに尾根を伝って今度は降りていきますが、壁のような斜面を降りていくスリルはたまらないです。落ちたら怪我程度では間違いなく済みません。汗をかいた身が、いきなり冷や汗になりそう。ロープが無ければ、普通の人は降りられないかも。でもHYDは元山岳部、平気でドンドン下っていきます。ヤミクモに下っていくと、例によってすごい堀切が出現し、10分ほどで簡易舗装した狭い道に出くわします。この道を小さなピーク目指して進むと、真新しい神社に到着。どうやら和田島砦跡らしいのだが、帯郭程度で他の遺構はなさそう。
和田島砦址
金谷砦遠望
  この簡易舗装の道を下って里に降りると、目の前に天ヶ岳からの尾根の一つで先端に小さなピークがあるのが見えてくる。よく見ると、そのピーク付近に何やら建物も見える。さらにその下まで来ると、山腹に小さな稲荷神社が立っており、脇に上へ続く道が見えた。よーし、登るゾ、と何のタメラいも無く登って行く。この習性はやはり山岳部員である。でも、これが大正解、稲荷神社の上の建物も神社であるが、さらにその上まで登ると、ここにも深くて広い見応えのあるL字型の畝堀状の堀が迎えてくれました。ココは土手和田砦跡です。この堀一つを見ただけでも、損にはなりません。
天ヶ岳砦下の畝堀址 土手和田砦の畝堀址
 マダこの他に金谷砦があるらしいのだが、時間の都合でパス。後は歩いてテクテクと江川邸まで戻り、大縦走の終了。この間2時間弱でした。この江川邸から少し北上し、函南町に入り、函南小学校の南隣の神社へ愛馬を進めます。この神社周辺が、仁田(にった)氏居館跡です。神社の隣が後裔の仁田さんの立派なお宅があり、その間に空堀が残っています。橋のタモトに案内板もありますヨ。
仁田館址、空堀跡 仁田館址、案内板
 函南の中心部から県道11号線で熱海峠方向に駒を進めると、途中の軽井沢地区から「メルヘンの里」への標識があるので迷わず左折して田代地区に入ります。結構大きな集落ですが、鉄馬だとウロウロしても15分もあれば集落の端からハシまで回れます。でも、田代城の場所を示すようなものは無し。こうなりゃ、聞くしかない。で、縁側に座っている古老の方に、オソルオソル聞いてみた。耳の遠い方なので、思わず大きな声で話していると、騒ぎを聞きつけて婦人も加わり、老夫婦でイロイロ教えていただく。どうやら町外れの川を渡った所を山側へ進み、その竹林に覆われた小さな丘上が城であるらしい。確かに近づくとそれらしい雰囲気がしてきた。上からの攻める道があり、迷わず駒を上へ。城の上部に停めて侵入開始、土塁が残っている。さらに進むと本郭らしきところに到着。木製の祠があり、段郭らしきものが残っているが、それ以外はなさそう。でも、リベンジ完了で引上げの法螺貝を鳴らすのでした。
田代城址、土塁跡 田代城址、本郭跡
 県道11号線をそのまま熱海方向に進み、熱海からR134で小田原を目指して走らせると、イキナリ大渋滞の中に突入。工事か何かで、渋滞しているのだろう、とタカをククっていたが、どうやらそうではなさそう。土日や連休には、R1も小田原周辺は大渋滞していることを思い出し、ここもその類だろうと推測するまでに、さほど時間は要らなかった。こうなりゃぁ、遵法精神もなにもあったものではない、いきなり黄色い線の右側の反対車線に駒を入れ、ずーっと走らせるのでした。こんなコトを10Km以上もして、ようやく小田原市内に入り、ここから西湘BPを経由して、茅ヶ崎辺りからR1に入り、そのまま帰陣。本日、往復の湘南BPのみ有料道、あとは下道のみで340Km、お疲れさん。
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