■   御嶽城  ■
■期日 H17年1月22日(土) 【埼玉県】神川町・御嶽城、上里町・勅使河原館・南城、
                      本庄市・四方田館・小島館、美里町・猪俣小平六館
■ルート 戸塚自宅〜R16〜川越C〜R254〜児玉T〜R462〜神川T〜P22〜上里T〜R17
        〜本庄C〜R462〜児玉T〜R254〜嵐山小川IC〜関越・圏央道〜入間IC
           〜R16〜自宅
■コメント
   先週の土日はご託宣通り冷雨で、どこにも野駆け(ツーリング)は出来ず。さぁてとぉ、今度の土日はどうじゃろかい。日曜は悪そうであるが、土曜は寒いが快晴という有難いご託宣寒いのもイトわず、出かけるとしよう。で、攻める場所はというと、冬場の寒い時期に攻めようかと後回しにしていた近場の武蔵の国である。冬場の甲冑状況はというと、上:汗で発熱する下着+汗で発熱するインナー+普段着+フリース上着+ゴア・ウィンド・ストッパー+防寒ウェアという重装備である。下:発熱する下着+ゴア・ウィンド・ストッパー+防寒防風Gパン。胸・背中・膝にはプロテクタ(当然防風)を、また腹巻のような腰痛防止用の腹帯(?)も付けている。さらにサラニ、使い捨てカイロを腰に当て、靴用の使い捨てカイロ+2重の手袋の間にも使い捨てカイロ。これだから出っ発までに時間を要するのは致し方なし。朝早く起き出したにもかかわらず、6時45分に出っ発と相成ってしまった。R16の渋滞路をかき分け・カキワケして、川越を過ぎR254で児玉町へ。ここからR462で西の神川町へ向うと、山懐の国道沿いに金鑽(かなさな)神社の大きな鳥居が出現。手前の金鑽薬師と間違えないでネ。神社境内の駐車場に駒を留め、イザ山頂の御嶽城を攻め上ります。神社から5分ほどで、鏡岩という天然記念物の岩場に。鏡岩と呼ばれるだけあって、結構光を反射しているワイ。さらにここから3、4分で鞍部に到着。すぐにでも城を攻めたい所であるが、城とは反対側の岩場の方を先ず攻略。で、大正解でした。ともかく絶景なのである。御嶽城の方向だけが遠くの視界をサエギっているが、それ以外はずーっと遠くまで眺望がきく。鞍部に戻り、城の方向に進むと岩場の堀切が出現し、2、3分で狭い本郭に到着。ここからの眺望は×です。反対側を尾根伝いに下ると、堀切があり広い二の郭に。ココには土塁跡も残っており、周りには副郭も残存しています。
御嶽城、登城途中の岩山からの遠景 御嶽城、二の郭の土塁跡
御嶽城、本郭跡
 御嶽山を下りて、県道22号線でR17に入り、旧中仙道で以前に攻城した金窪城の金久保地区に。この旧道とR17とに挟まれた真ん中辺りに陽雲寺があります。何でも信玄の室の菩提寺とか。この寺を中心とした周りが南城。イロイロ信玄の真筆などが残っている寺らしいのですが、境内に土塁跡が僅かですが残存。折が入っているのも確認できます。でも、それ以上のものは見当たらず。
南城址、陽雲寺
南城址、土塁跡
 続いてR17に合流し北上、神流川を渡る手前の信号を左折し、勅使河原地区に。JR高崎線の下をクグった所に大光寺があり、寺門前に勅使河原館の石碑が建ってます。こういう展開の場合、遺構は皆無の場合が多いのですが、寺の裏側に回ると、そこには土塁・堀跡が僅かですが残っています、良かった、良かった。鎌倉時代の総門も残っていて感激です。
勅使河原館址、土塁跡
勅使河原館址、石碑前にて
 今度はR17を戻り本庄市に入ります。小島地区の「小島」信号を右折すると、左側に小さな唐鈴神社があり、この参道が続いています。良く見ると、土塁のような雰囲気がプンプン。神社の東側が長松寺で、この寺域が小島館跡です。寺の山門前に堂々と鉄馬を留め、辺りをウロウロ。竹薮の辺りに堀、土塁の遺構が残っていますが、どうやらこれだけのようだ。まぁ、農地化・宅地化が進む中で、これだけ残っていれば○でしょう。でもちょっと心配は、工事関係者のような人が何やら重機で多量の竹を車に積んでいる。もしかして、竹薮(遺構)を壊して何かの工事でもするのかしらん。
小島館址、長松寺 小島館址、土塁跡
 さらにR17を戻り、R462で南下して新幹線をクグリ、関越道の本庄ICの入口まで来ます。ここからICの東側の四方田地区に入ります。ICへ入る道が邪魔でナカナカ地区に入りづらく、ウロウロしながらたどり着くと、眼の前に光明寺が見えます。この寺域を中心とした所が、四方田氏館跡です。ここも遺構は僅かだろうなぁ、と思いながら、駒を留めてウロウロ開始。境内には土塁・堀跡が僅かですが残っていて、「まぁこんなもんだろう」と帰ろうとした時、畑の中に堀跡とオボしきモノを発見。再度鉄馬を留め、この堀に沿ってウロウロ継続。すると、幅広で深い堀に遭遇。思わず「オーッ!」の声が。この堀の中心にあるのが大きな屋敷で、表札には四方田の文字が。どうやら四方田氏の後裔が現在も同地に居られる様子です。 
四方田館址、光明寺 四方田館址、空堀跡
 さぁてとぉ、だいぶ陽が傾いてきた、ソロソロ帰ろうかぁ、R462からR254へ。「そうだぁ、思い出したぁ!」R254の途中で猪俣小平六の墓へ寄って行こう。っていうのも、この墓への案内標識は以前から知っていたのだが、墓近くに猪俣氏の居館跡があるらしい情報を最近得ていたのだぁ。で、通い慣れたR254でクダンの標識で山側に入り、難なく猪俣小平六の墓に現着。でもオイラは墓にはあまり興味は無く、館の方を探します。周りは小さな寺があるだけで、民家は無く畑とゲートボール場、空き地などがあるだけです。容易に見つかると思いきや、アニハカランヤ、ウロウロ^2しても発見できず。人に聞こうにも、誰一人周りには居ない。陽はドンドン翳ってきた、う〜ん、困ったぞぉ。しょうがない、人が居そうな場所へ移動しよう。で、墓から西北西の方向に500m程行った所の猪俣地区をウロウロし、村人の発見に努めます。で、村人を探しだす前に、道端の館跡の石碑を発見、「なぁ〜んだ、こんなトコロに」。石碑の前に竹薮があり、遺構を思わせますが、どうやら遺構ではなさそう、苦労して探した割には残念。石碑の横には、地区への緊急無線放送用のスピーカーとアンテナが設置されている10m高のパンザ・マストがありますので、これと地区の消防団の機材庫を目印にどうぞ。
猪俣小平六館址、石碑前にて(夕暮れ)
 ちょっと探し出すまでのロスが多かったワイ、この調子では下道を帰ったのでは、夕飯にとても間に合いそうも無い。今日はALL下道と考えていたのだが、「えぇ〜い、ままよ、高速を使おう」ってんで、新しく出来た嵐山・小川ICから関越道に入り、圏央道の入間ICで降り、ここからは再び渋滞したR16でヒタすら我が家へ。1100円の出費のお陰か、夕飯にはシッカリ間に合って、家族揃っての鍋モノ、「いただきま〜す」。う〜ん、疲れた体に酒がドンドン入って、心地よく沁み渡っていく、この感じが良いヨネー。本日320Km、お疲れさんでした。
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