■   高麗山城  ■
■期日 H17年3月5日(土) 【神奈川県】大磯町・高麗山城・王城山城
                    平塚市・山下長者屋敷・真田城・矢崎城
■ルート 戸塚自宅〜R1〜大磯T〜P63他〜平塚C〜R1〜自宅
■コメント
  「今度の土日は雪模様、寒いです」のご託宣が出ていたものだから、金曜の夜は遅くまで飲んでしまい、日付が土曜になってもコップを片手にしていた。当然、土曜の朝は8時過ぎに起き出す始末。で、外の天気を見て驚いてしまった。「晴ている!」ではないか。急いでPCを立ち上げ、ご託宣を再度うかがうと、どうやら「昼過ぎには曇にはなるが、雨・雪の確率は低い」とのこと。「しまった!」、早く寝て早く起きれば良かった。と云ってもこぼれたものは盆に返らず。明日の日曜は間違いなく(?、本当かいナ)雪になるらしいので、随分遅くなってしまったが、出掛けることに決定。出遅れたこともあり、近場を攻めることにしよう。いつもの愛馬ではなく、駄馬の原付スクター号に跨って行こう。などと朝飯・諸準備を進めて出っ発は11時に。R1を西上して行きますが、すでに日が高いこともあり、街中は車・車の渋滞続き。こういうシチュエーションでは駄馬が良く似合う。スイスイとすり抜けを繰り返して、30分ほどで、大磯町に入ります。花水川を渡ると目の前にフタこぶの山が見えてきます。これまで平野ばかりで、山が少しも見えていなかったので、こういう山って城址だったりするんだよネー、などと思っていると、川を渡って3つ目の信号でイキナリSTOP。「高来神社前」の標識でした。この神社の裏山が、高麗山城の情報を得ていたのです。神社の駐車場に駄馬を停め、イザ進軍。神社裏に高麗山のハイキングの案内があり、どうやら30分ほどで頂上に行けるらしい。登るには男坂・女坂があるが、迷わず男坂を選びます。こちとらぁ、チンタラ・チンタラ登るのはイヤなタイプ。名前の響きから、男坂なのです。景色を楽しみながらも、12分ほどで頂上の大堂に。オイオイ、30分の標識はウソなのかい、って言うより、チョチ飛ばし過ぎですネ。本郭には旧高来神社の礎石が残っていて、その後に櫓跡やら、土塁跡が残っていて、景色もナカナカです。でも、案内板も石碑もなし、チョチ物足りない感じ。このまま下ろうかとも思ったのだが、あまりにも早く到着したので、少し遠回りして帰ることに。ウソ、どうやらココは有名なハイキング・コースらしく、多くのハイカーに付いて行っただけ。でも、これが大正解。八俵山との間に、大きな堀切が2つもあったのです。八俵山側の堀切はそのまま竪堀になっています。このピークから下山して、丁度12時に。
高麗山城址、本郭跡 高麗山城址、最初の堀切跡
高麗山城址、2つ目の堀切跡 高麗山城址からの眺め
 R1を少し進むと、「化粧坂」という優雅な名前の信号。ここを山側に入っていくと、王城山への標識が立っているので、これに沿って進みます。途中から未舗装になりますが、難なく頂上の王城山城址の削平地に到着。上水場の設備らしきものがありますが、この他に「明治天皇観漁記念碑」の立派な石碑が立ってます。石碑の後側に空堀跡と思われる遺構の他、周りには、帯郭と思われる削平地があります。この他に遺構・案内板・石碑等はなし、先ほど登った高麗山がよく眺められますヨ。
王城山城址、本郭跡 王城山城址、本郭脇の空堀跡
王城山城址よりの高麗山城
 R1を今度は戻り、花水川のタモトの「花水橋」信号を左折して、県道609号線を山沿いに駄馬を進めます。少し走ると山の端に「高根」の信号がある山下地区で駄馬を停めて、ウロウロします。平塚市の消防団の器具保管庫の前の狭い道を進むと、3m弱の高さの土塁跡が迎えてくれます。山下長者屋敷跡の案内板も立っていますが、個人の家なので中に入るのはタメラわれて、外からだけでガマンの子。グルリと回ると、やはり高い土塁跡が残っていて、当時の居館の大きさが分かります。空堀跡と、近くには仇討ちで有名な蘇我兄弟の弟の愛妾・虎御前の閑居跡がありますヨ。
山下長者屋敷址、高い土塁跡 山下長者屋敷址、土塁跡の上から
山下長者屋敷址、高い土塁跡
 この県道609号線と63、62号線等で、平塚・真田地区に入り、612号線を進むと真田神社に。この近くでウロウロすると、真田城址・天徳寺などの文字が踊っているサビだらけの看板を発見。ということで、この天徳寺を探すと、すぐに分かり境内へ。境内にも同様のサビサビ看板が立ってます。境内の真田神社は櫓跡と見た、が、それ以外には遺構はなさそう。でもなかったです。何やら巨大な重機がアチコチにあり、大規模な開発が行なわれようとしてますが、その開発で遺構が出てきて、発掘調査をしているらしい。地面下の空堀跡が工事中の囲いの中に見えます。ウロウロすると、そのようなものがアチコチに。ふ〜ん、なるほどなるほど、と感心して次へ。
真田城址、空堀跡 真田城址、空堀跡など
  東海大学のキャンパスを過ぎて、土屋地区に入り土屋城を攻めようと探すが、全く分からず。諦めて今度は岡崎地区へ。ここには、以前に岡崎城(伊勢原市岡崎地区)を攻めに来た所だ。今度は支城の矢崎城(大森氏頼居館・平塚市岡崎地区、う〜ん、マギらわしい)を攻めます。ウロウロしている内に、岡崎小学校脇の岡崎公民館に岡崎頼実の銅像に遭遇。どうやら、この近くであるらしい。さらにウロウロして、バス停「岡崎城址入口」近くの紫雲寺へ。どうやらこの境内が居館跡らしい。山門前に石碑が建ってます。寺内の墓場辺りは櫓跡かしらん。それ以上の遺構は無さそう。この平塚や隣の藤沢には、マダマダ城は多いのだが、ぐっーっと冷えてきたのでジ・エンド。白いモノもチラチラとしてきたシー、それに昼飯もまだ食べていないシー。
真田城址、天徳寺山門前
矢崎城近くの岡崎頼実像前にて 矢崎城址、櫓跡か
矢崎城址(大森氏頼居館跡)の石碑
  駄馬の馬首を東に向け帰館開始。途中コンビニで昼飯を摂取して、少し元気が出てきたのだが、やはり寒い。混んだR1を急いで帰り、16時には「ただいまー」でした。たった76Kmのプチプチ・野駆けだったが、原付駄馬でも結構楽しめるワイ、と一人ゴチたのでした。近場は鉄馬ではなく、この駄馬を使うことにしよう、チャン、チャン。
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