■   加納矢崎城  ■
■期日 H17年2月6日(日) 【静岡県】熱海市・網代城、南伊豆町・加納矢崎城、
                          松崎町・大沢城、中伊豆町・大見城
■ルート  戸塚自宅〜R1〜茅ヶ崎C〜R134・西湘BP〜小田原C〜R135〜下田C
         〜R136〜三島C〜R1〜沼津IC〜東名〜厚木IC〜P22〜自宅
■コメント
 土曜は先週の攻城で泥だらけに汚れた鉄馬の世話をカイガイしく行い、電熱手綱(グリップヒーター)の修理もして、満を持して日曜の今日を迎えた。で、行き先は先月に攻城失敗した伊豆のリベンジ(加納矢崎城、田代城)である。R1、R134、西湘BPと小田原へ進み、ここからR135の下道で熱海へ。ココからは南下して一路下田に向う筈が、網代駅への標識を目にして急にココロ変わり。網代にも城があるのを思い出してしまったのダー。伊東線の網代駅前の観光案内板を見ると、どうやら教案寺に網代城の石碑があり、また寺近くの朝日山公園が城址であるらしい。で、案内地図をメモして攻城開始の法螺貝を吹き鳴らすのでした。でもこの地図が、極めて不可解なモノであることに気付くのに、時間はタイシテ要しなかった。とにかくスゴイ急斜面に家々が建っており、当然寺もその例外ではない。坂道だけが道であるため、地図のイメージと現実の道とが全く合わないのである。まず教案寺へ行きたいのだが、地元の人に聞いても新網代トンネルの上が朝日山で、近くに教案寺があるというコトだけで、トンネルの手前・先ともに上へ行ける道はない。地元民はトンネル手前から階段を歩いて登るらしいが、かなり上側に寺はあり、とにかくキツイとのこと。それでも遠回りになるが、車でも行けるというコトなので、イロイロ走って探すが、それらしい道は見つからない。そうしている内に、トンネルを通過しない海寄りのR135の旧道を走っていると、測候所への標識発見。地図をメモした際、測候所が近くにあることを思い出し、この標識に沿って山の上へ進むと、墓場のある寺へ到着。でもバット、全然別の寺名の表札である。さらに上へ行くと、別の寺へ着くが、ココも違う寺。そうこうしている内に、中網代中学校まで登ってきた。ココまで来たら、石碑より現物の朝日山公園である。鉄馬では全く問題ない狭い舗装道を進み、公園に現着。海側が開けていて、ナカナカ景色が良い、初島が眼下に見える感じでグッー。山頂全体が公園化されており、土塁跡かなぁ、とも思えるものもあるが、遺構は無さそう。江戸城の増改築で必要な石を切り出した痕跡のある岩もあり面白いですナ。で、マッターリした後下山。この途中、登る時には気が付かなかった大きな寺の屋根が遠くに見え、迷わず寄り道。狭くて急峻な坂道を下ると、探していた教案寺でした。階段部分に石碑が建ってましたが、案内板は無いです。たぶん、居館跡に寺が建ったんでしょうネ。それにしても、こんな急峻な所に、...。
網代城、本郭跡の土塁跡? 網代城、本郭と初島
網代城、石垣石への大名刻印 網代城、教案寺の石碑
 ズイブンと寄り道をしてしまったワイ。急いでR135の南下を継続。途中で、手綱がドンドン冷たくなってきてしまった。オカシイ!、又しても電源取り出し口の接触不良か。馬から下りて調べると、耐熱のマイナス電線がヘッドランプの熱で焼失、根元から切れている。どうも朝から変な臭いがしていたと思っていたのダ。それにしてもプラス側でなくて良かったワイ(ヲイヲイ、そういう問題じゃないだろう)。応急処置も出来そうにもないので、電熱手綱をアキラめて南下をなおも続行。下田を過ぎて、R136で南伊豆町役場の隣の郷土博物館へ。前回攻城に失敗した際、登り口の見当を付けていたのだが、それの確認のため立ち寄って話を聞こうというのである。受付には女性しか居なく、ココに寄って失敗したと痛感しながら、多分知らないであろうとは思いながらも、「矢崎城の登り口を教えて欲しい」と問うた。すると、何と! 丁寧にイロイロ教えて頂いた。@登り口はHYDが考えていた場所とは大きく異なる A現在は澤田さんの持ち山で、入山には許可が要る BR136「加納」の信号の脇に、当主の澤田さんの歯科医院と居宅がある ということでした。う〜ん、寄って良かったワイ(ゲンキンな)。で、前にも何回かウロウロしたクダンの信号へ行くと、温泉の源泉(持ち主も澤田さん)の煙突が立っており、隣に分かり難いが澤田歯科医院、奥が居宅。入山許可を奥様から頂き(普段はご主人が許可されるのだが、今日は他出されていた)、名前・住所とかを記帳して、庭を横切って急坂の登山道を登ります。ものの3、4分で三の郭に到着、いきなり空堀が迎えてくれます。「オーッ !」と声が出ますヨ。さらに二の郭、本郭と続きます。土塁跡、土橋跡、竪堀跡がよく残っており、ウロウロして下山。すると奥様が下で待っていて下さっていたようだ、ご心配かけてスイマセン。入山他のお礼を申し上げて、次へ。
加納矢崎城址、本郭の土塁跡 加納矢崎城址、本郭横の堀切跡
加納矢崎城址、空堀と土橋 三の郭からの加納地区、源泉の湯煙
  R136の快適ロードを今度は北上、アッという間に松崎町へ。市内に入ってから、県道15号線で大沢温泉方面へ向います。温泉手前に「花の三聖苑・伊豆松崎」という道の駅があるので、迷わず入ります。道の駅は全国津々浦々にあって、トイレ休憩に便利に使わせて頂いているのだが、攻城目的では今回が初。昔の西洋建物の後側に神社があり、ちょっとした公園(大沢砦公園という立派な石碑あり)になってます。この裏山が大沢城址、簡単に攻城できそうですが、アニハカランヤ、神社の裏側15mほどで階段は無くなっており、道も無い。しょうがない、道無き道を、竹薮・ブッシュをかき分けカキワケ、登っていくと帯郭へ。さらに上の本郭へ。空堀・堀切跡が残存してますが、土塁は僅かに確認できる程度で、期待しない方が良いですネ。
大沢城址遠景 大沢城址、堀切跡
 続いてR136をひた走り、西伊豆町へ。国道沿いの田子地区に田子城がある筈なので、ウロウロ探すが見つからず。田子トンネルの上の山がそうらしいのだが、いかんせん新田子トンネル、田子トンネルと似たようなのがあり、どう見てもそれらしい雰囲気の山には見えない。しかも登り口も見つからないので、ココは超然とアキラメうそ、切歯扼腕状態)。そういやぁ、この先の安良里城へも行ったが、どこが本郭か分からず、遺構も見つからないので、未攻城のママにしているなぁ。どうやら伊豆は鬼門(自宅からは全く逆の方向だけど)なのかしらん。などどボヤキながら(なにが超然としてか)、土肥から山中に入り修善寺へ。ここは新しく伊豆市となってますネ。市内から県道12号線で中伊豆町へ向い、途中3年前の四輪との四つ相撲のイマワシイ事故現場を過ぎて、中伊豆役場へ。
大沢城址、公園石碑前にて
ここから県道をさらに少し行った所で、県道59号線に入ります。大見川を渡ってスグの、実成寺の目の前に神社の鳥居があるので、躊躇無く駒を止めます。鳥居前には大見城址の案内板が立ってます。ここに鉄馬を停め、神社への参道の階段を登っていくと、小ぶりな神社の社前に。この裏山が大見城址だということは、馬念さんのページで教えていただいているので、難なくココまで到着。でも、大変なのはココからです。ものの5mも行かない内に道が消失、ヤブコギ開始です。途中、運良く消失寸前の道に当たり、これを伝って三の郭、二の郭、本郭に。土塁、空堀がかろうじて残っている程度。でも登ってきた反対側の尾根の堀切は圧巻です。ズイブン深くて大きいのです。でも夏場であれば、この堀切には降りられない筈です。とにかく竹ヤブ・ブッシュがヒドいのです。HYDは小枝で目を2回も突っついたり、棘のある木を思わず掴んで、指先が血だらけになるし...、大変でした。どういう訳か、本郭跡には、墓の形をしたモノが傾いて立ってます。どうも墓や石碑ではないことは確かだが、よく字が読めない。気味が悪いし、見通しも悪く、マッターリする雰囲気では無いので、速攻で下山。神社までの道すがらに、下界の眺めを楽しんでくださいナ。
大見城址、堀切跡 大見城址、本郭跡の謎の墓石?
大見城址、鳥居前の案内板
 さぁてとぉ、まだまだ時間は早いが、この最後の攻城で体力と気力をなくしてしまったワイ。このあと、田代城のリベンジをしたかったのだが、今日はこの辺で勘弁してやろう。ということで、R136の下道を北上し、いつも渋滞の韮山市内、三島・玉川の交差点を過ぎてからR1で沼津へ。ここから東名で帰陣、手綱が冷たかったのだが、昼過ぎてから少し暖かくなり、ぬうわKmで巡航(オイオイ、飛ばし過ぎだっていうの)、あっという間に厚木ICに。ここから日曜で多少空いている長後街道で帰宅。当然、早く帰り過ぎて、相方は唖然状態、夕飯には間があり過ぎだっちゅーうの。本日370Km、よーっ、お疲れさん。
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