■   稲村城  ■
■期日 H17年2月27日(日) 【千葉県】富浦町・岡本城・宮本城、
              館山市・稲村城・南条城・大井城・神余城、三芳村・滝田城
■ルート 戸塚自宅〜環2・P22〜金沢八景〜R16他〜久里浜〜フェリー〜金谷〜R127
       〜館山C〜P86・R410・P257〜三芳V〜P88・P89〜鋸南T〜R127〜金谷
       〜フェリー〜久里浜〜R16・P22・環2〜自宅
■コメント
 そろそろ物理的に近くて、交通的に遠い安房の国を攻めよう、ということで久里浜・金谷間の東京湾フェリーの時刻表や料金を調査済み。で、満を持して水軍を利用しての安房へ。今回は館山周辺を重点に考え、イロイロ調べておいた。当然、近場というコトで野駆けは余り楽しめそうにもないのだが、久し振りの安房で、それなりに心ワクワク。目覚めはスッキリだったが、出っ発は6時過ぎになってしまった。まぁ、まだ2月だからネ、暗い内に飛び出すのもナニだしネ。R16を走って久里浜のフェリー乗り場に7時過ぎに到着。どうやらまだ早い時間帯なので、乗船する人間も車も少なく、出航ギリギリではあるが、乗れるらしい。急いで切符を買って来て、不安気に船中の駐車場に入った。実は鉄馬では初めてのフェリー乗船なのである。鉄馬での乗船はHYDただ一人であった。乗り込んで間もなく出航、グッド・タイミングでした。船内の売店でオニギリを買い、戦の前の腹ごしらえ完了。ものの30分ほどで、対岸の金谷到着。R127を走り出したのは、8時チョチ過ぎであった。横浜を駆け抜け、大東京を横断し、混雑する千葉市を抜けて金谷辺りに到着するには、高速を多用しても、この時間に着くのは超難しい。などと思いながらR127を走っていると、富浦町に入ってすぐに「里見公園(岡本城址)」の標識発見。標識に従って、国道から100mほど入り、崖下にある登り口に現着。ここに鉄馬を停め、急な階段を登ること2、3分で本郭に到着。登る途中に名産のビワ畑が多いのだが、雰囲気的に腰郭跡なのかも。柔らかい岩を削った虎口・堀切などが残ってます。本郭には立派な石碑が建ってますが、この先に眺望の見晴らし岩があります。江戸湾や遠く富士まで見渡せる景色は文句なしの ◎ です
岡本城址、虎口跡 岡本城址、本郭の石碑
岡本城址からの江戸湾
 さぁてとぉ、富浦町には岡本城の他に宮本城があることを調べ上げていたのだが、場所までは調べ切れていない。何時ものように、役場か駅を訪ねます。JR富浦駅が近かったので、小さな駅舎へ行き、観光案内のパンフの中に宮本城を発見。どうやら県道185号線の大津地区らしい。で、この快適な県道を駆けて、道の駅「おおつの里・花倶楽部」を過ぎてスグに、宮本城への標識発見。幾つもの標識にそって山懐に入ります。いかにも、という感じの山が城山で、すぐに分かる筈です。かなり上まで、狭く急な坂ながらも簡易舗装の道があります。四輪ではチョチ厳しいかもネ。こちとら、軽い鉄馬なんで、口笛吹きながら余裕のヨッチャン(ウソ、かなり厳しい道、腕にリキミが入ります)で道のドンまで。ここに鉄馬を停めて攻城開始。といっても、整備された登山道を、ものの5分も歩かない内に、随分と広い本郭に到着です。堀切などもありますが、何と言っても、ここからの太平洋の景色が ◎ ですネ。そうそう、本郭下に「ホルトの木」なる珍しい大樹が奥のほうに立ってます(HYDには有難味はありませんが)。
宮本城址、本郭跡
宮本城址からの眺め
宮本城址、本郭の石碑前にて
 さらにR127を走り館山に入って、R128で今度は東へ。館山市は国道・県道沿いに、大きな地区名の標識を立てていて、地区名の確認が楽です。で、まもなく「稲」に到着。すると、その名も「稲の交差点」というオカシな名前の信号標識があるので、ココを南(右折)へ曲がります。これを道なりに進まず、細い道を真直ぐ進み、踏み切りを過ぎて100m程で右折すると、目の前の少しハゲている舌状丘陵が稲村城。HYDはアチコチの地元民に聞いて、ようやくココに到着です。登り口をこれまた稲地区の村人の方に教えて貰い、早速攻城開始。「東の水往来」という標識があり、切り通しの整備された道を登って行くと、5分弱で本郭に到着。途中、やはりビワやミカン畑になっている腰郭跡が多く、鬱蒼とした雑木林ではナカナカ味わえない、当時の雰囲気が伝わってきます。本郭には結構高い土塁も残っています。そして、ここからの眺めも ◎ です。虎口・堀切・土塁・井戸跡(麓の民家脇)などがシッカリ残っています。他の館山の城とは異なり、ここはボランティアの方々が、イロイロ保存活動を進めておられるらしい、有難いことです。「東の...」があるくらいですから、まだ他の登り口があるのかもしれませんが、これにて攻城了。
稲村城址の遠景 稲村城址への登り口、東の水往来
稲村城址の主郭 稲村城址、土塁跡
稲村城址、虎口跡 稲村城址、本郭跡
 大満足で山を下り、R128をさらに東へ。今度は「大井」地区です。丁度、地元の方々が総出で、地区の掃除(?)をされていたので、すかさず「大井城」の場所と登り口を聞きます。500mほど戻ったトコロらしいのですが、地元の人も登り口までは説明しづらいらしく、教えて貰えませんでした。特に目印になるようなものがなかったので、説明も出来ませんが、デジカメ写真を参考に城の舌状丘陵を探して下さいナ。地元の人に聞くのが手っ取り早い筈です。で、城のある丘は分かったのですが、やはり登り口が分かりません。どうやら、皆さん総出で作業されているためか、丘陵下の地区には誰もいないのです。しょうがないので、それらしき所から攻め上ります。奥の方の最後の民家(立派な家)の先に、上へ行けそうな道があったので、こことぞばかりに登り始めます。柔らかい岩を削って階段状にしてあったりと、随分と整備された道で、これは簡単に攻城できそう。稜線に着くと、そこは100基くらいある墓場でした。道理で道が整備されている訳だ。で、ここから国道側でなく、もっと高い方へ登ってしまい、思い出したくない悲劇が始まったのでした。地元の人の、「道がないからネ」を信じて、ドンドン道なき道を登って行くのですが、頭や額を枝で何度も傷つけられるわ、ズボンと服は雑草のトゲトゲの種で真っ黒になるわ、で大変な難行。こんな苦労をしても、それらしい遺構に出会わず。それでも竹薮やら腰郭らしいモノがあるので、気を取り直して、さらに登るのでした。すると随分進んだトコロでイキナリ「?」。未舗装ですが、立派な林道に遭遇。アレレのレ、道は無い筈なのに。ここでスグに引き返せば良かったものの、この道をさらに・さらに登るのでした。小さな石の祠などが幾つか道端にあり、イヨイヨ確信して進むも、どうにも・こうにも城址の雰囲気がゼロに。アキラめて引き返す際に、麓への近道だろうとタカをくくって、ビワ畑の道を下り始めたものの、不思議なことに途中でドンに。もう一回登って元の道に戻り、どうにか・こうにか元の道なき道に戻れて、ようやく墓場の所まで到着。ここで諦めて下りるツモリであったが、もしかすると、この墓場の先の国道側にあるのでは、と思い直してマタも道なき道を進むと、いきなり大きな堀切が出現。「おおーっ」と叫ぶウソ、吼えるが正しい)のでした。そりゃぁ、そうだよネ、ココまでがメチャ大変だったから。さらに進むと、また大きな堀切と土橋。本郭前にも幅広の堀切があるので、都合3つでしょうか。それぞれの郭内は、竹ヤブがすごくて、進むのも大変な状況です。遠くへの眺望は全くできず、せいぜい、郭の横の帯郭が確認できる程度、超・残念ですぅ。本郭には小さな祠が祀ってあります。三の郭にも祠がありますが、この祠にお参りするための整備された道があったので、帰りは道の無い墓場まで戻らず、この道から下山。門構えの立派な農家の裏庭に出てしまいました。ここから登れば、簡単に攻城出来ると思います。【デジカメ写真参照(でも、登らせてくれるかどうかは不明です、誰も居なかったから、無断で庭を突っ切りました、すまんそ)】
大井城址、堀切跡
大井城址、本郭跡の土塁跡
登り口と反対側からの城址遠景
三の郭への登り口の農家と城址遠景
 次いでR128を館山市内へ戻り、今度は県道188号線で東へ。例によって、大きな「南条」の標識辺りでウロウロ。今度は八幡神社を探します。この神社の裏山が南条城という情報があるのです。で、県道沿いに神社の石碑があり、難なく神社へ。城への道も神社左側にすぐに分かり、突撃開始。登って行くと、神社の丁度真上に出ます。ココだけ周りの木が切り払われているので、ナカナカの景色です。イヨイヨ城域かと思うのですが、ドンドン登って行っても、それらしい雰囲気はあるものの、何かが違う。1mほど底に水が溜っている井戸跡のような丸いモノが郭のような片隅にあるが、どうにも郭と断定するには ? である。お約束のすごい竹薮があり、堀切のようなものもあるのだが、どうにも違うような気がする。う〜ん、しょうがない戻ろう、疲れたしぃー。という訳で、先ほどと同じく道を間違えたかも、などとブツブツ考えながら下山。途中の神社上の開けたトコロで、突然ヒラメいた。もしかして、今度も山の上の方に行ってしまったからNGであったのではないか。もっと下の県道側に行けば良いのかも。で、肉体だけでなく精神的にも疲れた状況で、丘の先っぽ側へ進みます。すると、今度もまた「オオーッ」と言う声を。大きくはないが、間違いなく堀切である。で、ドンドン進むと切岸のような堀切があり、その上は本郭。でも不思議なことに、この削平地には、コンクリートの大きく深い水槽のようなモノがあります。なにかバルブのようなものがあるところを見ると、簡易上水場の跡かも。もう少し進むと、木を払った見晴らしの良い場所があります。本当はマッターリしたいトコロですが、コンクリートの水槽がイメージを壊すので、早々に下山。
南条城址、本郭跡 南条城址からの眺め
 大井城・南条城と二つ続けて道を間違え、精神・肉体ともに、本当に疲れ果てててしまったゾイ。と、思ったのだが、ここでハタと気が付いた。まだ昼飯を食ってなかったワイ。もう2時を過ぎている、ソロソロどこかでラーメンでも。でもこういう時って、見つからないんだよネー。そしてマフィーの法則通り、やはり見つからず。結局コンビニで軽い昼食摂取、そう食べるというより摂取。少し元気が戻ってきたトコロで、今度は県道86号線で白浜を目指して進むと、神余(かなまり)地区へ出ます。神余小学校北側の、県道に沿った真ん丸い丘が神余城。小学校側の山懐に小さな墓場があり、その左脇に登り道があります。ものの1、2分で本郭に到着。城というより小さな砦ですナー、これは。小さな単郭の城ですが、本郭の周りはキレイに土塁が残っていて、虎口もシッカリ分かります。
神余城址、本郭の虎口跡
神余城址、本郭の土塁跡
神余城址遠景、手前は神余小学校
 ここまで来れば、白浜の海と花畑を見て帰ろうカイ。という訳で、R410、フラワーラインを楽しんで、洲崎を廻って再び館山市内へ。ここからR127で真直ぐ帰ろうかとも思ったが、まだまだ時間があるので方針変更。県道88号線で北上し、三芳村・下滝田地区で県道沿いの「滝本城址」への標識で山側に入ります。山懐の駐車場に鉄馬を停め、標識に従って整備された道を登って行くと、立派な展望台に出ます。360度に近い大パノラマをシッカリ堪能して、さらに進むと滝本城の主郭に。麓から10分ほどかしらん。残念ながら、物見櫓跡には送電線の大きな鉄塔が建っており、超・興ザメ。でも、途中に見晴らしの良い所や、堀切・土橋があったから、「良し」としよう。
滝田城址、櫓跡
滝田城址、堀切跡
 ウソです、本当はこの県道88号線が良かったのでした。二車線で白い点線ばかり、お薦めです。この道を豪快に飛ばして、途中から県道89号線に入り、R127で金谷へ。ココからは朝と異なり、乗船者も鉄馬も四輪も全て満載したフェリーで久里浜へ。ここから、鉄馬・四輪の多くはヨコヨコの高速道で帰るのだが、こちとらは金欠病なんで、下道でR16を北上し、環2などを使用して19時過ぎに帰宅。僅か200Km弱のプチ野駆けでも、道に迷った子羊は疲労困憊、お疲れさんでした。
滝田城址、途中の展望台よりの眺め
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