■   山田城  ■
■期日 H16年10月1日(日)  【群馬県】高山村・尻高城、中之条町・八幡城・
                                城峰城・桑田城・山田城
■ルート 戸塚自宅〜横浜新道・第3京浜〜玉川IC〜環八〜練馬IC〜関越道〜花園IC
       〜R140〜熊谷C〜R17〜伊勢崎C〜P114〜大胡T〜R353他〜昭和V〜R17
       〜沼田C〜R145〜中之条T〜R145〜沼田C〜R17〜昭和V〜R353他〜大胡T
       〜P114〜伊勢崎C〜R17〜熊谷C〜R140〜花園IC〜練馬IC〜環八〜玉川IC
       〜第3京浜・横浜新道〜自宅
■コメント
  非常に強い台風22号が又しても本土上陸、今度は首都圏直撃である。でも何故か心はウキウキ。だってぇ、台風一過の後は、好天が続くではないか。しかも10/10は晴れの特異日、東京オリンピックの開会式でもあるのダー。勿論、関東一円で降水確率10%という、ありがたいご託宣もある。当然4:30には起き出す中年オヤジがそこには居た。でも外を眺めて、?? である。どうも霧雨のようでもある。確かに小手を広げると手に冷たい感触が...。急いでPCを立上げ、気象庁の降雨実況・予想のページを開きます。ナニナニ、関東の所々で1mm以下という降水予想であるとな。でも、台風一過、10/10特異日、前日のご託宣を信じて、出っ発。わざわざ朝早く起きたんだしネー。10月にもなると5:30はまだ暗い(後から思うに、雲が厚かったため)中を北上します。そう、今日は上野国を狙い、その余勢を駆って草津・白根ルートの極上の雲上のツーリングを楽しむ予定である。しかるに、大胡町辺りで、カッパを着なければならないような小雨に遭遇。まぁ、その内に止むだろうと、楽天オヤジはなおも進む。でも赤城山麓を巻く頃には、もういけません。とても1mm以下というような状況ではなく、ジャンジャン降りに。そんな時突然、リア・ブレーキが効かなくなってしまった。雨の中、リア・ブレーキが×、最悪である。でもハマった中年ライダーはここで引き返す愚はしないのである。天気が悪ければ、草津・白根はアキラめ、城攻め中心に行こう。そしてフロント・ブレーキさえ生きていれば何とかなる、という能天気である。で、五里霧中のスゴイ状況下でなおも進み、昭和IC近くになると、雨も小降りになり、再度ブレーキを点検すると、アーっら不思議、直っているではないか。頭の中は「?」で一杯だが、とにかく進み、R145で高山村に到着。中山城址を過ぎ、尻高地区に入り、もうじき中之条町との境近くで右側に、尻高(しったか)城への案内板発見。相変わらずの動体視力である(ウソ、雨であまりスピードを出してなかった)。ほーおっ、こんな所に城があったんだー、急いで右折し山側に登り始めると、尻高城(並木城)という標識が出てきたのでそこを右折。道なりに登っても、それらしい場所に行き当たらず、泉竜寺の山門に。ここがそうかなぁ、と色々聞いてもどうも違うようである。この下のあの丘のような所が城で、現在は個人の庭だそうな。急いで戻ると、ちょうど家の方が外に出ておられており、慇懃な挨拶をして城址(小奇麗な大きな庭)を散策する許可を貰い、勇んで侵攻します。庭が本丸、コンニャク畑が二の丸跡と見た。ほかに堀切らしきものもあるが確信持てず。それにしても、城域が庭とは! 本丸の下に並木城址の石碑と案内板有り。中之条町側から沼田方向へ走ると、尻高城への案内板は土手の影になって、まず分からない筈です。「泉竜寺の高野槇」という大きな標識を目印にどうぞ。
尻高城址、入口標識からの城址 尻高城址、本丸跡
尻高城址、木碑前にて
 R145で中之条に入って間もなく、横尾の信号を右折し、県道231号線を北上、ピッタシ500m走ると八幡地区で、山側に入る道があるので迷わず入ります。このまま100mほど道なりに走ると一軒の民家に。この家の手前を左折する細いコンクリート道が有るので登っていくと、途中から砂利道に。ここに鉄馬を停め、左右に立派な墓域を眺めながら歩くこと2、3分で八幡城へ着到。土塁・虎口・空堀跡が残存している小さな城址で、幾つかの曲輪もあります。
八幡城址、石碑前にて
 さて中之条町には町指定史跡の城がこの他に、あと4城あるらしいのだが、場所が良く分からない。えーい、ままよ、と出掛けたのには、町の歴史資料館へ行けば、何とかなるだろう、という何時もの能天気な性格からである。迷わず、立派な歴史資料館へ。受付嬢(ウソ、オバサン)に聞くもラチがあかず、ヤリトリしている内に、館長らしき方が出てきて色々教えて頂き、レッツGO。先ずは、R353と並行している町役場前の農免道路を西に向かい、篠原観光バス会社の横の道を山側に折れて、道なりに進むと頂上に。ここには何かを建設中(たぶん箱物行政の所産)ですが、その脇に城峰城への標識が立ってます。この標識に勇んで進むも、5mほどで竹薮に阻まれて×。それでも無理して10m位は進んだのですが、「土塁は残っているが、現在は竹薮で中には入れないと思う」という館長の言葉が思い出されます。一度は諦めたのですが、雨中ココまで来たのだからと、少し下ってから侵攻再開。するとなんとか竹薮を迂回でき、本丸らしき場所に到着。小さな祠が2基建ってますので、間違いないと思います。二の丸らしき曲輪・土塁・堀切跡が残ってます。城址への標識の場所からの嵩山の眺めはなかなか○です。本当は嵩山城へも行きたいのですが、この雨ではネー、依然カッパは着たまま。
城峰城城址、土塁跡
城峰城址、本丸跡 城峰城址からの嵩山(城)
 続いて、内山城を攻めるつもりです。R353上の折田トンネルの崖上が城らしいのですが、登り口が分からない。タブンこの山が城であろうとは見当は付くのですが、地元の方にも遭遇できないし、篠つく雨も止まないので、次の桑田城へ。大きな吊橋である上妻橋のタモトに付近の案内図があり、すぐに登り口を発見。不動滝の上で、行沢(なめりざわ)橋の脇にあり、鉄馬を停めて登ると2、3分で山の端に到着。でもそこからが×なのです。イノシシ除けかと思いますが、高圧線が張り巡らされているのです。桑田城址という木碑も立っているのに、しごく残念。でもこの高圧線を越えてまで行く蛮勇はないので、ここでEND。
内山城址遠景ウソ、隣の山
桑田城址、入口の木碑 桑田城址遠景
 今度は橋端の案内図にあった山田城を攻めます。ここは町指定史跡でもないので、期待せずに(その割には、雨もイトわず登るのだから...)、下山田集落センタ脇の道を登って行きます。10分ほどで、頂上らしき所に出ましたが、特に城址の雰囲気がありません。う〜ん、ちょっとは期待していたのだが(何じゃ、それは)、がっかり。でもなおもウロウロしていると、まだ高所がありそう、てんで進むと、いきなり水の手曲輪。辺りを見渡すと、雨煙の中に幾つかの曲輪址や堀切が見て取れます。おーっ、なかなか雰囲気のある山城(雨中行軍でもあったので、評価は少し差し引いてネ)だこと。最頂部には民家もあるというコトは、ちゃんとした道路もあるとみた。
山田城址、水の手曲輪跡
山田城址、本丸跡にて 山田城址、帯曲輪・土塁跡
  さぁてとぉ、お昼は過ぎたが、この後どうすべい。雨は止みそうにもない、ヒトマズ退却するとしよう。芸は無いのだが、来た道をそのまま忠実に戻って暗くなってから帰宅。殆ど一日中カッパを着ての行軍、お疲れさんでした。本日465Kmなり、鉄馬も泥だらけ、カッパも泥だらけ、ほーんと疲れたヨー、チャンチャン。
★ ホームページのトップへ