■   千馬山城  ■
■期日 H16年11月3日(水) 【埼玉県】横瀬町・根古屋城、
                            皆野町・玉川氏館・千馬山城
■ルート 戸塚自宅〜R1・R16〜入間C〜R299・P30・P15・R299〜秩父C〜P11・P82
       〜皆野T〜R140〜塩山C〜P38他〜勝沼T〜R20〜相模湖T〜R412
         〜厚木C〜P22〜自宅
■コメント
 今回も下道だけでの攻城。で、第2弾は道路が凍結すると行けなくなる秩父周辺と決めていた。用意万端整っていたにもカカワらず、好事魔多し、イロイロあって寝たのが12時過ぎ、当然起き出すのも、遅れてしまった。出っ発は予定を1時間半以上もオーバーして7時近くに。下道だけでの攻城にはこれは致命的、でも心配したほど大きな渋滞に巻き込まれずにR16〜R299と正丸峠を越えた。しばらく走ると、横瀬町に入り、左側のその名も根古屋地区に。札所8番の標識を参考にすると良いと思います。根古屋地区に入ったら、今度は甲武御嶽神社の標識に従い、御嶽神社の社前に。ここに城谷澤の井戸があり、立派な石碑も建ってます。これから攻める根古屋城の城主がこの井戸水を使用して絹生産を奨励したとか、云々が書かれてます。ここに鉄馬を停め、井戸横の道を進むと、山懐に小さな赤い鳥居の数柱が見えてきます。タブンこの鳥居の先が城だろうと、鳥居から2、3分も進むと、いきなり空堀・土塁・堀切と出現し、西の郭内に入ります。立派な案内板が立っていて、フムフムと読んでみると、どうもここは本郭ではないそうな。本郭は採石でかなり破壊された...と書かれてます。でも、行くっきゃない、と急坂をなおも進むと幾つかの帯郭やら土塁などが出現し、本郭の一部らしき所に到着。でも、ちょっと山城の雰囲気ではない。下の西の郭の雰囲気が良かった分、本郭は×です。登るのも大変だったしネ。結構寒いと思って秩父に乗り込んだのだが、この攻城で汗ダクダク。西の郭でしばしマッターリし、汗が引いた後、いよいよ秩父市へ。
御嶽神社前の城谷澤の井戸 根古屋城址、西郭の案内板
根古屋城址、木碑前にて 根古屋城址、遠景
 でも秩父に入る手前から、R299は渋滞して、なかなか駒を進められない。市内はもっと混雑しているだろうと踏んで、急遽方針変換。秩父市の隣の皆野町の城を攻めよう。で、県道11号線から北上し、県道82号線で三沢地区に入ると、秩父国際ゴルフクラブへの標識が出てくるので、県道からそれて、ゴルフ場に向う道に。500mほども進むと、下三沢集落からゴルフ場への専用道へ入る入り口に来るが、このトイメンが正光寺で、山腹に墓地と共に小さなお堂が建っている。この寺域が玉川氏居館ですが、遺構はなしとみた。寺の横に堀跡のようにも見える部分もあるが、気のセイか。でも中世の居館跡の雰囲気は残っている。寺の周辺はあらかた墓地になっていて、あと10年もすれば、さらに墓地が増えて居館跡という雰囲気すら無くなるんだろうナァ。
玉川氏居館址、遠景
 県道82号線に戻り、三沢川に沿ってさらに下流に進むと、橋の右側タモトそばに何やら案内板のようなモノが目に入ってきた。老眼になったとはいえ、まだまだ動体視力は衰えていない。千馬山(龍ヶ谷)城の詳細な案内板です。橋の名前は「強石橋(こわいしはし)」と書かれてます。下流側から上流に県道82号線を進むと、この案内板は目に入らないかも、要注意。案内板には登り口までは書かれていないが、道なりに進むと老農婦人に遭遇。ダメモトで登り口を尋ねると、イトも簡単かつ適切に教えて頂いた。案内板から500mほど先に、辺りにある農家とは全く別のタタズまいの平屋の家があり、その横に登山道がある、これを登れば城址へ行けるそうな。で、そこから勇んで登り始めます。雨の後というコトもあり、滑りやすい登山道で、足元をシッカリ見ないとヒックリ返るようである。このため足元を見ざるを得ないのだが、何やら足跡が。どうやら獣ではなく、人間の足跡である。それも昨日今日というような新しい跡がクッキリ。どの山城も獣の足跡がアチコチに見られるが、人間様のモノは久し振りである。そうこうしている内に小さな堀切と石塁を見つけ、これはかなり期待できそう、と思いながら進むと、突然二人のアヤしき人間が何やらウロウロ。何やら城址の学術調査をしている雰囲気。どうみても単なるハイカーではなく、城目当ての様子なので、一声掛けてみた。お互い名乗りあう必然性もないので、タワイない「学術調査ですか」「イヤー、そういうものではない」「頂上には有名な斉藤さんが居られます」などの2、3の会話後、二人と分かれて、なおも上を目指します。有名な山城ならともかく、千馬山城のような無名の城で人に遇うことは初めての経験で、「世の中にはモノ好きな人間も居るもんだナァ」などと、自分のことを棚にあげて、ツブヤくのでした。で、下から15分弱で頂上の本郭跡に到着。確かに先ほどとは違う二人のモノ好きが、何やらノートに縄張り図を書き込んでおり、学術調査のような雰囲気で居る。向こうも、今日はオカしげな人間がまた来た、と思っているらしい。ここでも、2、3の会話後、辺りを散策。コチトラは調査ではない、雰囲気を楽しみに来ているだけなので、デジカメを首にブラ下げ、状態が良い空堀の堀底道をアッチ・コッチとウロウロしてはパチリ・パチリ。堀切やら土塁などの遺構も残存してます。雑木により、眺めがイマイチではあるが、山城の雰囲気がプンプンしていて、お薦めです。遅い出っ発だったこともあって、すでに12時を回ってしまっている。腹が減ってグーグー、そういやぁ、朝飯らしきものも食ってなかったナァ。急いで下山し早いトコ、何かを食しよう。ソソクサと鉄馬の所に戻ると、何やら白い紙が置いてあります、どうやら置手紙。どうも最初に出会った二人連れの方のメモであった。Web上でも活躍されているヤブレンジャーの方々で、我が鉄馬を見て、飛騨の山猿大王(HYD)を思い出して頂いたらしい。そうかぁ、こんな山城に来る人って、限られているから、名乗っておけば良かったナァ、と猛反省。すると遠くの方からオープンカーに乗った人がこちらに向って来るではないですか。そうかぁ、置手紙はしてあったが、まだ帰っていなかったんダー。そうする内に眼の前にスポーツカーに乗った、ヤブレンジャーのオレンジャー(余湖)さんとオカレンジャーさんのお二人登場。「バイクを見て思い出しました」「いやー奇遇ですネー」等などの初対面のような、初対面じゃないようなオカシな会話。「その内、千葉・茨城の城攻めに伺うので、その節には...」というようなのをシオに、再会を約してバイバイ。
千馬山城址、遠景 千馬山城址、案内板前にて
千馬山城址、石積みで補強
千馬山城址、空堀跡
千馬山城址、本郭跡 千馬山城址、本郭下の空堀
 さぁてとぉ、今日は面白い体験をしたし、いい雰囲気の山城を二つも落としたし、ということで、下道だけでの攻城ではソロソロ時間切れ、帰陣するコトに。腹が減っていたのを思い出し、途中でメンラーを食し、R140を南下。有料の雁坂トンネルだけは避けられないので、ココだけは金を払い(それにしても560円は高い)、塩山からは県道で勝沼に。ここからR20で相模湖まで走り、R412と長後街道と進んで18時チョチ過ぎに無事帰陣。日が短くなったモノだ、もう暗い。当然、余裕のヨッチャンで夕飯前、本日も下道だけで攻城、320Kmなり、お疲れさん。
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