■   西方城  ■
■期日 H16年12月18日(土) 【栃木県】南河内町・薬師寺城、壬生町・羽生田城、
                            国分寺町・箕輪城、西方町・西方城
■ルート  戸塚自宅〜新横・第3京浜・駒沢〜目黒〜山手・環7〜梅島〜R4〜南河内T
        〜R352他〜西方T〜R293〜足利C〜R50〜笠懸T〜P68他〜伊勢崎C
        〜R17〜熊谷C〜R140他〜花園IC〜関越道〜練馬IC〜環8〜玉川IC
         〜第3京浜・横新〜自宅
■コメント
 久し振りに鉄馬に跨がることが出来る、うれしくて昨夜はナカナカ眠りにつけない状態であった(ウソ、そんなことが無いように、しっかり飲んで寝たのであった)。朝早く起きだし、暗いうちに出っ発じゃあ。って言うても、すでに6時。そういやぁ、もうじき冬至だものナァ、そして昨晩は飲み過ぎたものナァ。少しく頭がふらつく状態で、横浜新道・第三京浜と進み、駒沢通りで、懐かしい目黒に。ココから山手通り・環七と走り、ようやくR4の日光街道へたどり着きます。そう、今日も前回と同じ小山市周辺を攻めるツモリ。だって、小山周辺は、未攻略の城が多いんだもの。で、R4バイパスの高速道のような道をいつものように、ぬわわKm前後で走らず、オトナしく走ります。だって、あと3日間、無事故・無違反で走れば、最後の違反から1年経過し、積もり積もった累積の違反点数がリセットされるのです。ココはじっと我慢の子。ようやく、小山に到着しますが、前に住んでいた目黒からだと1時間半強で到着するのに、横浜からだともう3時間になりそう。さて、この遅れた時間が気になり、鉄馬のお師匠さん宅の小山では止まらず、隣に南河内町へ。自治医大の標識を目当てに進み、医大前通りを進み、医大の東側にある、田んぼと畑と少しの住宅に囲まれた林の中に駒を進めます。もう、見るからに城址という雰囲気プンプン。で、近づくと、ピンポーンでした、薬師寺城の案内板が立ってます。フムフムと読むと、どうやら林の中に本郭があるものと推測される、などと書かれている。どうやら遺構はなさそう。でも、林の北側には直線で200m以上の堀跡が残っています。残念ながら、TVやら洗濯機などの家電品などのゴミ捨て場になっています。
 続いて、県道183号線を走り、姿川を渡って最初の信号を南下(左折)。道なりに走り、野球練習場などを過ぎて、町道に交差しますが、ここを西へ(右折)、すぐに箕輪城の標識に出くわします。ラッキー、箕輪地区にあるという情報だけで来たのです。河岸段丘のような比高30m位の丘の上に城があり、麓にも標識が立ってます。どうやら、城址に神社が建てられているようで、立派な階段がありトントン登っていくと、磐裂根裂(いわさくねさく)神社の社前に。横に箕輪城の案内板が立ってます。小さな城かと思いきや、かなり大きく、四囲の土塁もかなり残っており、堀もかなり残っています。ぐるーっと一周しましたが、周りは住宅地・畑地ですが、この神域(城域というか本郭)だけは良く保存されています。
薬師寺城址、案内板前にて
箕輪城址、空堀跡
箕輪城址、案内板前にて
 さて、隣の壬生町に移動します。県道3号線を駆けていると、羽生田小学校への標識が現れ、難なく小学校に現着。この小学校は、羽生田城の本丸に建てられているのです。その証拠に、校門そばに校歌の歌詞の石碑が建てられてますが、歌詞1番に「城址の丘に〜」、3番に「三重のお堀は〜」と歌われてます。
  う〜ん、立派! 子供の内から情操教育に城跡をしっかり取り入れているとは!!
河岸段丘のような丘上に小学校はあり、小学校の構内には遺構らしきものはありませんが、隣の八坂神社の社域(三の丸)には、土塁と深〜い堀跡が、また近くの観喜院にも堀跡らしきものが残ってます。
羽生田城址、三の丸の空堀跡
羽生田城址、三の丸跡
羽生田城址、三の丸跡と土塁跡 羽生田小学校の校歌
 深い堀などを堪能した後、R293で西方町に入り、県道177号線で、その名も本城地区に。県道から見える低いナダラカな城山の山並みのどこかに西方城があるのですが、東北自動車道が立ちはだかって、取り付く場所が見つからない。この手の場合、神社・寺を探すのが長年(ウソ、ここ2,3年の最近)の経験からのツボ。でも神社は無く、幾つかの寺も回ったが、それらしい登り口に行き当たらず。最後にダメモトで行った長徳寺がピンポーンでした。「聖観音立像」への標識に従って行けばOKです。この寺の境内入口に城の案内図と、墓地横に西方城址への登り口案内標識が有ります。これに従って、緩やかで幅広の整備された道を10分ほど登ると、イキナリ竪掘の堀底道になります。当然、ワクワク・ドキドキに。北の丸跡が先ず出現し、三の丸、二の丸と続きますが、空堀・土塁・土橋・仕切り土居・虎口などが次々と出現して、かなりテンションが高くなること請け合いです。でも、竹薮が繁茂していて、登山道以外をあまり歩き回れないのが残念。本丸跡は特にこの竹薮がスゴク邪魔していて、ガックリ。本丸の先にも、南丸跡などが残存しており、かなりの城域で、遺構も沢山残っていることが分かります。惜しむらくは、竹薮でその遺構が良く分からない(クドイ!)ことです。眺めも三の丸で西方町の一部が俯瞰出切る程度で、× です。でも全体的には久し振りの ○ でしょうか。かなりの時間、マッタ〜リしてから下山。
西方城址、仕切土居
西方城址、空堀跡
西方城址、南丸跡 西方城址、本丸跡の小鳥居
   緩くて距離も短い登山道でも、鉄馬の冬用の重装備では汗をかきます。そんな悪条件でも、汗を拭ける場所も方法もないので、仕方なくそのまま鉄馬に跨り、一路R293を走り続け、足利市内からR50に。ハイウェイのような快適な道をゆわKmで巡航(本当です、点数が無い...又してもクドイ)。途中から県道を使いR17に入り、ここからは何時ものワンパターン。練馬ICから、渋滞した環八をじっと我慢して玉川ICへ。ここからもワンパターンで帰着。夕飯にも余裕で間に合い、家族一緒の夕飯でした。今日一日で、一番疲れたのが、帰りの環八の渋滞路だったかも。それでも切れずに、良く頑張りました、ハナマルを上げます! 本日360Kmと短い距離でしたが、お疲れさん。
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