■   長野原城  ■
■期日 H16年10月16日(土) 【群馬県】中之条町・嵩山城・内山城、
                            長野原町・長野原古戦場・長野原城
■ルート 戸塚自宅〜横浜新道・第3京浜〜玉川IC〜環8〜練馬IC〜昭和IC〜R17
       〜沼田C〜R145〜長野原T〜R146他〜佐久C〜R141〜須玉IC〜
        八王子IC〜R16・八王子BP・保土ヶ谷BP・環2・R1〜自宅
■コメント
  久し振りに、今度の土日は晴れのご託宣である。念には念を入れ、金曜日の夜遅くの気象庁Webの最新情報もチェ〜ック。よしよし、どうも問題ないようである。日曜は、隣の区の横浜・栄区アマ無線クラブのバーベキュー懇親会があるので、土曜に攻城することにしよう。で、まだ暗い内に起き出し、イソイソ準備を始めるのでした。でも、準備万端整ってから、自作回路の点検等を実施したため、5:30出発予定が、6時ちょっと過ぎと、かなり出遅れてしまった。田舎ではこの30分位の時間差は何でもないが、大東京を相手にする時には、この時間差はフェータルである。そう、今日は前回のリベンジを狙って、同じコースで同じ所を攻めるのである。ルートも東京をほぼ縦断しなければならない。心配した通り東京都内に入り、環八で練馬ICまでの時間が長〜かった。計画通り30分前に出ていたら、20分もかからずに超楽勝に行けるのに、何と1時間近く要してしまった。関越自動車道も行楽客が多くて大混雑。「こりゃぁ、時間を短縮するため、高速を多用しなければ」ということで、いつもの花園ICではなく、もっと先の先のICまで高速利用に決定。何とこの柔弱者メが。朝早いので、寒いとは心づもりしていたが、川越IC辺りからドンドン体が冷えて行く。その内に晴れてくれば、気温も上がるだろうと、それに期待して北上を続けるが、雲の厚さは一向に変わらず。夏用の鎖帷子(くさりかたびら、メッシュのジャケット)から、この秋初めて着用の冬用の黒糸縅鎧(厚手のジャケット)を着込んではいるが、歯がガチガチ言いっぱなし。
   「ヲイヲイ、どうした気象庁、晴れるんじゃなかったのかヨ!」
と怨み節をブツも、唇寒し。休憩の赤城のSAで、ヨソのバイカーの連中も、カッパを着込んだりと、寒さ対策をしている。一様に、気象庁をノノシっているではないか、我輩も当然同調。次の昭和ICで高速を降りて(2500円、高けーッ)、沼田に入りR145で中之条町に到着。先週、小雨の城峰城から見た、嵩山(たけやま)城を先ず攻めます。県道53号線沿いには、色々案内標識が立っているので、難なく麓の登山道入口に着到。登山道の入口は公園になっていて、嵩山ハイキングコースの案内がありますので、これをよく読んでから、侵攻開始。大変良く整備された登山道を登ること15分くらいで、大天狗と小天狗との分岐点である鞍部に到着。迷わず大天狗を攻めます。ここから5分弱で、中天狗という小さなピークに。ここから大天狗という岩だらけのピークが良く見えます。で、中天狗を降りると、そこは実の城(みのじょう、別名:ムジョウ)平。ここがどうやら本郭址らしい。ちょっと狭いので、ニワカには信じられない。この先の大天狗への取り付き部の方が、広くて本郭跡のようにさえ思えます。この取り付き部からは、岩場になっており、ご丁寧にクサリまで垂れています。まぁ、クサリが無くても登れる程なのですが、老人・子供にも登られるようにとの配慮に感謝して、3、4分で大天狗のピークに。落城の際、ここから城主が落ちて自害したとか。単純に落ちたとは思えず、割腹してから落ちたであろうナァなどと、考えながらピークに立つと、そこは360度の大パノラマです。晴れてはいませんでしたが、随分遠くまで開けていて、絶景・絶景の石川五右衛門。しばし、マッターリして下山。
嵩山城址、入口案内板 嵩山城址、本郭跡
嵩山城址、大天狗よりのパノラマ 嵩山城址、遠景(右のピークが大天狗)
 続いて前回、雨で悪条件・登り口分からず、で諦めた内山城を攻めます。R353の折田トンネルの真上の山が城だとは聞いていたのですが、トンネルを過ぎた所から見える、岩(崖)山の頂上部がそうだと前回確信済み。折良く、第一村人・発見。早速登り口を尋ねると、「イヤ、あの岩山ではなく、トンネルの真上の山である、登り口は折田地区の地元の人に聞いてくれ」。ということは、高圧送電線の鉄塔が建っている山頂が城、というわけで、トンネルをまた戻ります。人家のある折田地区に入る少し手前で、山懐に何やら小さな標識発見。遠目にも内山城址と書かれてます。ヤッタネー、登り口発見。車一台分が駐車できる路肩に鉄馬を停めようかとも思いましたが、最近鉄馬専門の馬泥棒が多く、盗まれても困るので、50m先で道路傍でリンゴ・きのこを売っている店先に鉄馬を置き、リンゴを2個購入し「おばちゃん、馬を見ておいてヨ」と頼んで登るのでした。リンゴは昼飯代わりです、最近極貧状態なもので...。攻城の道はどうも送電線の鉄塔保全用の登山道で、良く整備されてます。15分ほどで、鉄塔基部に到着。ここから5分ほどで本郭跡です。でも堀切・竪堀跡と思われる遺構の他は、確認できず。ヒノキ他の木々で見通しも悪く、残念・無念。頂上には三角点が設置されてます。ここで昼飯を食べて、下山。オイオイ、少し時間がかかってしまったワイ、この調子では、草津・白根・横手・志賀の極上の雲の上散歩が出来ないではないか。
内山城址、登り口 内山城址、堀切跡
 などと心配しながらR145を西進すると、「草津・志賀道路、積雪のためチェーン必要」の国道標識。「エーッ、聞いてないヨ」、寒いはずだぁ、と又しても気象庁をノロうのでした。しょうがない、R292の極上ツーリングは来年の雪解けまでオアズケ。その代わり長野原町の幾つかの城を攻めよう。ってんで、先ずは旧R145で市内の諏訪神社へ。ここの社前で大きな合戦があったのです。すると、何と境内の道路に面した所に、大きな「長野原合戦場跡」の石碑が建っており、驚き・桃の木・山椒の木。う〜ん、大したモノだ。でも、街中でもあるので、当然遺構は無し。
諏訪神社社前の古戦場石碑
さらに旧国道を進むと、右側に長野原城址への標識発見。建物の影になっているので、ボーッとしていては見つかりません。得意の動体視力のタマモノです。でも、標識の通りに路地を入っていくも、鉄馬を停められそうになし。しょうがないので、もう少し先の町役場の片隅に鉄馬を停め(四輪は絶対無理です、念のため)、侵攻開始。整備された道を15分ほどで本郭跡と書いてある石碑のトコロに到着。でも遺構は無さそう、少々がっかり。でも一服してから周りをグルグル廻ると、落胆から驚きに変わりました。堀切・竪堀・空堀・幾つかの曲輪跡が残存してます。それぞれは、規模が小さいですが、今日の山城の中では秀逸。残念ながら、ここからの眺めもイマイチ、ちょっと惜しい。
長野原城址、石碑前にて 長野原城址、本郭の土塁跡
  さぁてとぉ、随分と日が傾いてきた。長野原にはマダマダいくらも城があるのだが、これ以上寒くならない内に帰陣しよう。それでなくても、今日はメチャ寒い。「寒びい寒びい、気象庁のバカ野郎、責任をどう取るんじゃぁ」などとブツブツ言いながら、軽井沢・野辺山・韮崎と南下。そして、とうとう須玉ICの標識が見えたところで、ジ・エンド。ここから高速に乗って、帰陣です。我ながらコラエ性がないなぁ。でも高速を使ったお陰で、夕飯前に無事帰着。夕飯の湯気・家族の暖かい視線、バカに横浜は暖かく思えたものである。本日、一日中冷蔵庫の中、そんな中で500Km超、本当マジで寒かった、お疲れさん。
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