■   粟野城  ■
■期日 H16年11月13日(土) 【栃木県】粟野町・粟野城・大塚城、
                            鹿沼市・鹿沼城・茂呂城
■ルート 戸塚自宅〜横新・第3京浜・駒沢〜目黒〜山手・環七〜梅島〜R4〜上三川T
       〜R352〜今市C〜R120〜日光C〜R122〜大間々T〜P73〜伊勢崎C〜R17
       〜熊谷C〜R140〜花園IC〜関越道〜練馬IC〜環八〜玉川IC
          〜第3京浜・横新〜戸塚IC〜自宅
■コメント
 今回は下野・小山で単身赴任のお師匠様の無聊を慰めついでに、粟野町辺りを攻めるのダァ。ツイデに(ウソ、本当はメイン)中禅寺湖・金精峠を堪能しよう。で、横浜新道・第3京浜・駒沢通りで、目黒まで来ると、ここからは目黒在住時と全く同じルートで下野となる。違うのは、ここまでの40分ほどのロスと、帰りの1時間以上の余分な時間が必要なことである。都合2時間くらい行動時間を制限されてしまう、これは痛いのである。という訳で、なかなか下野方面はナオザリになってしまう、どこか良いルートがないものか(欲:抜け道ルート情報)。それでも朝のR4は快調である、順調に距離をこなして、ハヤ小山。鉄馬乗りのお師匠様の顔を見て、さらに北上します(オイオイ、無聊を慰めるのはどうした...すいません、顔を見ればそれで良いのです)。上三川からR352に入り、鹿沼から県道15号線で粟野町に。市内の中心部に大きな標識で「城山公園」とあるので右折して公園へ。城山が近づくにつれ、チョチ心配になってきます。規模の大きなローラー式の滑り台が山上から下へトグロを巻いて延びているのが良く分かります。「こりゃあ、遺構は無いかも」ネ。で、着到すると、いきなり粟野城の土塁・空堀・井戸跡という標識などが整備されていて、遺構もちゃんと残っているでは、あーりませんか。麓から見るに、山頂までの登山道も整備されていそう、これは楽に攻城できそう。ってんで、登り始めたのは良いが、朝イチということもあり、結構比高があったりして、バテバテで頂上に。この頂上には遺構はないですが、見晴らしは恐ろしくグーッの◎。街道を扼する絶好の位置と見た。さらに奥への道があるので、期待せずに進むと、本郭跡・狼煙台跡や帯郭・空堀・堀切跡などの遺構が残存してます。うれしい期待ハズレ、破顔で下山。でも、子供向けローラー滑り台が大いに邪魔、無ければもっと良いのだが。
粟野城址、堀切跡 粟野城址、木碑前にて
粟野城址、石垣跡 粟野城址、中腹からの粟野市街
 さらに県道15号線を進み、粕尾地区に入ります。ここの村社・五社稲荷神社裏手の山が大塚城という情報があるので、道沿いの神社に入ります。なかなか雰囲気のある神社で、その昔は麓の居館だったかも(神社境内の石碑を見ると、どうやら違うようだ)と思えるタタズまい。さて、ウロウロしても登り口はサッパリ分からない、思い余って他人に聞こうにも誰も居ない。結構、田舎なのです。そうこうしている内に、第一村人発見、でも老農婦人。こういうパターンでは殆どが「?」ですが、当たって砕けろ。ところが以外や以外、何と「私の家の山です、何もありませんヨ」という小林さんでした。早速、登るコトの許可と登り口を教えて頂いた。尾根伝いに登る方法もあるらしいが、道が無くなって大変らしい。で、お勧めの道で決行。神社から県道を思川の下流に200mほど進むと、右側に床屋があるが、それより20mほど手前の山側の家の横庭を進む(個人の家の脇を通るので、ちょっと勇気が要ります)と、用水路を跨ぐ小さな橋があります。その先に幅2尺ほどの狭く急な階段があるので、汗を流して登ります。決行キツイですが、手すりもあるので、3分ほどで地区の簡易浄水場のような所に到着。ナニゲに帯郭の雰囲気です。これは期待できそう、ってんで少し登ると、そこはもう本郭です。細長く狭くて何もありません、眺めもイマイチ。でも、北側に進んで尾根を下ると副郭との間に堀切跡が出現、さらに下るとまた次の郭との間に堀切が。帯郭跡も良く分かりニンマリ。誰も居ない、鬱蒼とした雑木林の中で、この状況を見た人が居たら、さぞかしコワイ風景の筈です。ずーっと、このまま尾根伝いに下っても良かったのですが、どうやら小林さんの言葉通り、道が不確かなので諦めて、例の階段を下りて下界へ。
大塚城址、麓の五社神社(雰囲気は良いのだが) 大塚城址、堀切跡
 次いで本日のメーンエベント、日光いろは坂を越え、金精峠を越えるR120を堪能しようという目論見ですが、如何せん今年の冬初めての木枯らし、朝の内は山々の頂は雪を抱いていたので、諦めることに。残念、無念、でもこのまま帰らないのがHYD。前に行きそびれた鹿沼市の城を攻略しよう、と鹿沼へ入るのでした。茂呂地区で、R121そば、東北道に程近い所にある、茂呂城を攻めるのですが、情報はこれだけ、でも勇者は進む(普通はバカとも云う)。愛馬と共に走ってみたが、茂呂地区の広いの何のって...。当然見つかる筈もなく、思い余って、庭木の手入れをしていた人に聞くと、「ここだヨ、そこに堀跡がある」。なにか、もの凄くハッピーになった気がしてきますから不思議。早速ウロウロする許可を貰い、アチコチ徘徊。土塁跡と空堀跡が残存してますが、その他は無さそう。標識や案内板類も無いとのコト。場所はR121で南下し、東北道と交差する手前約500mにセブンイレブンが左側にあるので、ここを右折し、500mほど行ったところを左折した所です。分からなかったら、地元の人に聞きましょう。でも、お名前は失念、失礼。何でも、家を新築する際、土の中から古銭がザクザク出てきたそうな。「御殿山の城跡も見て行きなさい」ということで、この後は市役所へ。
茂呂城址、土塁跡 茂呂城址、堀跡
 市役所へ向うと、御殿山病院の標識が出ていますので、多分コレだろうと当たりを付け病院へ。すると病院よりさらに上方に野球場が見えてきますので、さらに上へ。入口付近に鹿沼城の案内板が立ってます、ピンポーンでした。どうやら、本丸・二の丸・三の丸をツブして野球場にしたとか書いてあります。オイオイ、文化の薫りもないのか、鹿沼市には。「責任者、出て来い」とは言わないが、反対者の一人も居なかったのだろうか。でも球場の法面なんかは、土塁をそのまま利用している雰囲気がタップリ残ってます。球場より高い位置まで行くと、土塁跡がシッカリ残っていて少し安心。本郭であろう場所には大きな石碑が建ってますが、文字が読めない。「沼」の字だけは辛うじて分かるが、それ以外はサッパリ。城址碑のようで、そうでないような。で、例の記念撮影は止めて次へ。
鹿沼城址 鹿沼城址、最高部の土塁跡
  といっても鹿沼の情報はコレでお終い、雪は消えたかもしれないが、これから金精峠を越えるのは時間的に無理。じゃあ、足尾を通って帰陣しよう。今市を過ぎ日光に入り、そこからR121で大間々方面に進みます。日光市内は紅葉の時期を過ぎたにもかかわらず、大混雑であったが、R121で脇に外れたトタン、交通量激減。当然、鞭を入れます。あっという間にぬわわKm。でも、ここで何やら胸騒ぎ。どうせ、この先はカメさんトラックがいる筈、アセらないでゆくっり走ろう、と手綱を引いて100mも行かない内に、脇の草陰にアヤシゲなる人物発見。「ウーン、おかしい」、もう少し走ると、制服を着た人がタムロしているオイデ・オイデのコーナーがあるではないか。当然、ドキン! としたが、HYDにはオイデ・オイデは無し。超ラッキー、感謝感激雨霰。50Km制限の道であったから、軽く30Km超で、軽く免停になったところであったワイ。それにしても、今日はツイている、3連続のラッキー賞。特に最後のオイデ・オイデに引っかからなくて良かった。残り1点で、あと1ヶ月半さえクリアさえすれば、元のキレイな免許に戻る状態であったのダー。で、その後は黄色い線でも、ヒタすら前車の後塵を拝して走るのでした。大間々からは県道73号でR17に。ここからは何時ものように、熊谷を通り花園ICと走り、関越道で練馬ICへ。関越道も混雑してなく、環八もシカリ。ラッキーずくめで18時には無事帰着。余裕のヨッチャンで夕飯セーフ、本日430Km、お疲れさんでした。
★ ホームページのトップへ