■   安倍城  ■
■期日 H16年12月26日(日) 【静岡県】静岡市・阿倍城・小瀬戸城、
                       芝川町・尾崎砦、富士川町・北松野城
■ルート 戸塚自宅〜P22〜厚木IC〜東名〜沼津IC〜R1〜静岡C〜R1〜興津〜
       R52・P75〜芝川T〜P76〜富士宮C〜R429他〜御殿場IC〜東名〜
         厚木IC〜P22〜自宅
■コメント
  今日は久し振りに駿河国を攻めよう、そして暑い夏場には攻め難い攻略に1時間はタップリかかる難級の山城を、ということで駿河・阿倍城を中心に狙います。これまで攻め登るのに大変だった城は、坂戸城・葛尾城・御坂城の3城であるが、さて阿倍城はどうであろうか。昨晩の酒がタタって、朝遅いお目覚め。しょうがないので、沼津ICまで東名で駆抜け、R1バイパスをぬわわKm以上で巡航し(オイオイというか、よわKm以下では流れに乗れず、かえって危険、ホンマです)、静清バイパス(R1)からR362で川根町方向に駒を進めます。ほどなく洞慶寺への標識が出てくるので、右折して寺を目指して進むと、古刹という感じの山懐の寺に到着。広い駐車場もあり、駒を停めて整備された案内板に従い、阿倍城址への登山道を進みます。線刻仏(観音様?)が登山道脇に立っており、道標とともにペース配分の役目もしてくれます。第33番目まであるので、あと幾つクリアすれば良いかが分かります。でも、この33番目が目的の本郭ではないので要注意、33番目は全体の2/3程度ですので、この後にまだまだ登りが待っていることをお忘れなく。33番目の観音様から2つ目のピークが久住砦跡、段郭などの遺構がありますが、それ以外には無さそう。ここから下って、さらに登るとイキナリ眺望が開け、本郭に到着です。ココからの眺めは大変素晴しく、静岡市内が眼下に一望出来ます。富士山もクッキリ(ウソ今日はガスっていてNG)で、ハイキングコースになっていて、登山客が多いのもウナズけます。さらに進んで反対側に下ると、曲輪跡やら堀切などが残存してましたが、さすがにそれ以上の遺構は確認できず。でも45分を休まず登り切ったという充実感と、景色の絶景さに気を良くして下山。
安倍城址、本郭跡 安倍城址、堀切跡
安倍城址からの賤機山(城址) 安倍城址、石碑前にて
  R362をホンの少し進み、藁科橋で藁科川の対岸へ。工事中の第二東名高速道路があるので、間違わない筈です。渡り切った目の前の小山が小瀬戸城です。でも第二東名の工事で、関係者以外進入禁止、その山懐に飛び込めない。イロイロとウロウロしても行けそうにもないので、工事中の空き地に鉄馬を停め、進入禁止のクサリ部分を乗り越えます。オイオイ大丈夫かいな? モチのロン、ダイジョウ・ヴイ。だって日曜のせいか、周りには誰も居ないのダァー。高速道の下を抜けるトンネル道を抜け、藁科川側の稜線から上へ登る薄茶色の幅2m程の階段を登ります。5分ちょっとで茶畑に到着しますが、ここが曲輪跡。立派な石碑と碑文が刻まれた案内石が立ってます。この他にややカスれてますが、城に因縁のある付近の地名などの案内板もありますヨ。堀切・土塁跡などが残存してますが、面白いのは石碑に用いられている石です。なんでも家康時代に、駿府城の石垣の大改修時、外様大名などに石を切り出させた痕跡を残した石を用いているのです。眺めは工事中の高速道でイマイチ。
小瀬戸城址、本曲輪からの眺め 小瀬戸城址、石碑前にて
石垣を切り出した城址碑の痕跡
  次いでR1を戻り、興津からR52を北上し、県道75号線で芝川町へ。県道沿いに浅間神社があるので社前の空き地に鉄馬を停め、参道の階段を登り神社に。小さな神社ですが、城址らしい雰囲気がプンプン。神社裏には土塁跡のようなモノも。さらに進むと、堀切が出現。「おーっ、しっかり残っているではないか」などと一人ゴチて、更に進むとさらに大きな堀切。3つほどの堀切が確認できます。疎林で眺めはイマイチですが、この尾崎砦は交通の要衝に築かれたことが良く分かります。
尾崎砦址、浅間神社 尾崎砦址、堀切跡
 さぁてとぉ、次へ。県道75号線をサラに進み、途中で県道10号線で富士川町方向に進みます。ほどなく県道76号線と交差するので、右折して山側へ。この76号線を500mほど進み、リバー富士カントリー・クラブのゴルフ場への標識に沿って進むと北松野地区に入ります。なおも進むとゴルフ場の大きなモニュメントのようなモノが道の真ん中(というか二つの道路の間)に出現。この辺りに北松野城が有るらしいのですが、それらしい雰囲気の有る場所は?です。結構住宅が多いので第一村人、第二村人...と、たて続けに神明神社を聞いても、「?」の返事ばかり。そう、神明神社の裏山が城だという情報を得ていたのですが、その肝心な神明神社が分からなくては、どうしようもない。という訳で聞くのはアキラめ、鉄馬で山懐をアチコチとウロウロ。すると、法被(ハッピ)を着ていて、何やら寺か神社の正月準備をしているような雰囲気の人に遭遇。その人に神明神社を尋ねると、「ココがそうだ」とノタマわれるのでした。でも、どうみても神社という雰囲気ではない。でもでも階段を登って行くと、確かに小さな神社が。それで、「この裏山に城址はあるか? それへの登り口は?」を連発。でもでもでも、いずれも「?」の返事。しょうがない、ダメモトで直登しよう。とても登れそうにもない伐採された急勾配の斜面を、難なく(ウソそんなに簡単なものではない、半ベソ状態で)5分弱で登り切ると、曲輪跡らしき所に。さらに登ると、堀切やら土塁などで本曲輪と思われる地点に。でも石碑・案内板等はなし。帯曲輪もいくつかあり、北松野城を確信。下るのに、登山道がないかと探しながらウロウロしましたが、どうやらなさそうです。来たルートをズリ落ちそうになり、又しても半ベソ状態で神社へ。
北松野城址 北松野城址、堀切跡
 この北松野城は手強かった。ココで時間と体力を使い果たしてしまった。ある意味、阿倍城よりも難敵であったワイ。「もう帰ろう」の影の声に黙って頷くのでした。富士宮市からR429で御殿場ICに出て、東名で厚木ICに。ここから長後街道で帰宅。本日320Kmと短距離の割りに、疲労感一杯、お疲れさん。
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