■   栃尾城  ■
■期日 H16年7月24日(土) 【新潟県】栃尾市・栃尾城、長岡市・栖吉城・
                           長岡城・蔵王堂城
■ルート 戸塚自宅〜横浜新道・第3京浜〜玉川IC〜環八〜練馬IC〜関越道
       〜月夜野IC〜R17〜小出T〜R252・R290〜栃尾C〜R351〜長岡C
       〜R17〜月夜野IC〜関越・圏央道〜入間IC〜R16〜横浜新道〜自宅
■コメント
  今年の5月〜7月はバイクによる攻城機会がメチャ少ない。月に2回というテイタラクで、ストレス増殖中です。もっとも、30〜40代では、月1回のツーリングでさえ難しい、という話を聞くので、ガマン・ガマンということか。さて、今回も3週間も乗れない期間があった、愛馬のBATTは大丈夫かしらん。実はBATT長寿命化計画で、太陽電池による満充電保管を試みた(F650CS使い勝手向上委員会のコーナー)のであるが、アエなく頓挫中。中国製の安物の太陽電池が、この連日の暑さでオカしな動作をしてしまうのである。折角イロイロ工夫して製作したモノだが、現在は外している(後継機は製作済み、近日公開予定)。出掛ける前にBATT電圧を測定すると、3週間前に12.75Vと完全満充電であったモノが、12.55Vと75%程の充電量に大きく低下していた(この計算で行くと、1ヵ月半で半分程度に低下)。でも、キーを回すと難なく愛馬はケナ気にも吠えてくれるのでした(ありがとうネ)。さて、今日は前々から越後の栃尾城を長駆して攻めることに決定していた。そう、あの長尾影虎(上杉謙信)の居城である。相模から越後までは遠いので、何処かでお泊り、ということも計画したのだが、何とかなるだろうという安易な考えで(ウソ、単なる金欠病)、今回も日帰りに。さて日帰りだとすると、朝早くに出っ発である。4時には起き出し、5時には2番太鼓を鳴らすつもりでしたが、思わぬ伏兵出現。愛馬の後ろに鞍嚢(トップケース)を取り付けようとしたのだが、基台とのロックが出来ないのです。イロイロ調べているうちに、どうも肝心な部品が外れてしまっていることに気が付きました。ネジが外れているようにも見えます。で、ネジ類などが入っているダンボール箱をゴソゴソ。その時、一緒に箱に入れていたパーツBOXの一つが、コンクリート下に落下。トランジスタ・コンデンサ・抵抗モロモロのオビタダしい数のパーツが辺り一面に散らばって...。暫し、呆然。「おーっ、マイ・ゴーッド!」 これらを片付けるのに、結構時間を要してしまいました。で、肝心の小さなネジを探し出して、ロック部品を締めようとするも、今度はネジが締まらない。良く見るとネジ穴が切ってない、どうやって留めてあったのだろうかしらん? しょうがないので、急遽エポキシ接着剤で固定することに。これが固まる時間もモドカしく、固着しない前に取り付け完了。オイオイ大丈夫かいナァ、振動で外れなければ良いのだが...。さて、いよいよ出っ発、予定より1時間近くも遅れてしまったワイ。横浜新道・第三京浜、環八と駒を進めて、練馬ICから関越道に。ここから法定速度(本当かーヨ ? もちウソです!)で巡航し、当初予定の赤城ICでは下りずに月夜野ICまで走り、少しここで遅れを取り戻そうという魂胆。ここから一般道R17で北上です。さすがメッシュのサマージャケットでは三国峠は寒いが、以前のように歯がガチガチするということはない。やはり遅れているからか、すでに日差しも高い。ここで快適なワインディングを楽しみ、新潟県側に。ここからは道が極端に良くなります、さすが角栄さん。さらに巡航スピードを増して、あっという間に小出町へ。ここからR252、R290と走り栃尾市へ入りますが、途中至る所で工事中の看板が出てました。最初は角栄さんが好きな、単なる道路工事かと思ってましたが、やたらと多いので、おかしいと思い始め、ようやく先日の集中豪雨による激甚災害に因るものだと理解、相当にニブイです。ようやく栃尾市内に入るも、どうも祭礼で市の中心部に入れないようである。諸車を通行止めしているお兄さんに質問、「鶴城山(つるしろやま)に行きたいのですが?」、一瞬「...」で、しばらくして「かくじょうさんなら、あそこの山です、でも今は行けません。先日の豪雨で至る所が崖崩れで、危険なため入山禁止です」とのこと。「せっかく来たので、途中まで登ってみたいのですが...」、「4箇所の登り口があるが、いずれも駄目です。1箇所の登り口の地区は、今も避難生活をしているんですヨ」というようなヤリトリ。こりゃぁ、無理だナァ、と諦めモードに突入です。それでも登り口までは行って見よう、と諏訪神社へ。神社入り口には、立派な栃尾城址の石碑が建ってます、一応記念写真をパチリ。それで境内へ入っていくと、立派な城址案内絵図が立っていて、見ている内にムラムラと登りたくなってきます。行ける所まで行って見ようかぁ、と登り始めるのに時間は要りませんでした。登り口の立ち入り禁止の立看板とロープを無視し、整備された道を登り始めてモノの2、3分で金井曲輪に到着。まだまだ上へ行けそう。てんで、さらに登ると、今度は広い馬場址に。なかなか好い雰囲気です。ここを過ぎると、又してもロープで通行止めになっていて、立入り禁止。たしかに谷側がエグれて、かなりの幅で土砂崩れしてます、危険信号明滅。でもココは千人溜り(千畳敷)、結構広い場所なので、崖崩れ部を横へ大きく迂回して上へ目指します。途中、もう一箇所ロープで危険地域となっている所がありましたが、崩れても大したことにはなりそうもない状況なので、崩れている横をスタスタ登ります。次いで大きな空堀跡などを過ぎて、本丸直下の金銘水という水場で、たっぷり水を補給し熱中症に対応。神社から10分ちょっとで、本丸に現着。すばらしく眺望がよく、栃尾市が眼下に広がっています。謙信も同じような景色を眺めた筈で、感慨無量...。かなりの時間、マッタ〜リして、隣の二の丸跡へ。ここには土塁址が残ってます。勿の論、この城は思い入れも強く、遺構などの雰囲気も好く、 ◎ です。城主居館址など、まだまだ遺構はたくさん残っているのですが、ウだるような暑さと、時間に負けて無念の下山。
(立入禁止です、私は120%安全という自信があったために登ってしまいました。良い子はマネしないでネ)
栃尾城址、千人溜址 栃尾城址、本丸跡からの市街
栃尾城址、本丸跡の案内板 栃尾城址、本丸址
  今度はR351で長岡市の栖吉(すよし)町地区の普済寺へ。この寺の右側の道を50mほど登ると、城山への登り口が有ります。山頂まで20分という標識が立っていて、傍らに登山杖が何本か立掛けてあり、途中で出くわす蜘蛛の巣を払うためにも、有難く借りることにします。さすが暑さもピークの12時前後、アゴが出ます、杖も蜘蛛の巣払い用というより、文字通りのツエの働き。20分という標識なので、10分ではキツくても、15分もあれば山頂に行けるだろうとタカをククっていたのですが、アニハカランヤ20分過ぎても、まだまだ遺構らしきモノなし。25分ほどで、ようやく城址の案内板が出現。そこから5分ほどで、削平地に、ようやく栖吉城です。三の丸、二の丸、本丸と、どの郭も当時をホウフツさせてくれます。大きな空堀や土塁も残ってます。残念ながら眺望は × ですが、なかなか味のある城址です。ココには栃尾城と異なり、周りに水場が見当たらず、熱中症になりそうなので早めに退散。それにしても、トレーニング不足を実感、もう少し鍛えなければ。帰る途中、諏訪神社への標識が立ってました。どうやら、2箇所の登り口があるようですが、どちらの登りの方が楽なのかは ? です。
(それにしても、あの20分の標識は...、絶対40分の間違いのような。これから行く人は、時間配分にお気をつけてネ)
栖吉城址、三の丸の土塁跡 栖吉城址、本丸跡にて
  ついで、市街地へ向けて走っていると、郷土資料館への標識発見。資料館のイロイロな郷土資料にはあまり興味が無いのですが、資料館の建物そのものに興味があり、標識に沿って進みます。悠久山公園に入り、愛馬を停めて進むと、でっかい模擬天守閣が迎えてくれます。でも、長岡市はエライ、長岡城と呼んでいないのです。あくまでも資料館であり、本物の長岡城にも天守閣は無かった、と案内板に堂々と明記してます。さらに長岡城は戊辰戦争で完膚なきまでに破壊され、現在は長岡駅となっているので、全く遺構はない、とも書かれてます。逆光での資料館との記念写真をパチリして長岡駅へ。駅西口に行くとヒッソリと城址の石碑が建ってます、誰にも見向きもされず、ちょっとかわいそう。
長岡市郷土資料館 長岡城址、石碑前にて
  今度は市内の信濃川そばの蔵王地区の金峰神社へ。この境内周辺が蔵王堂城です。神社の入り口に、当時と現在の建物等の様子の絵図面が書かれてますが、なかなか大きな縄張りの城であったことが分かります。平城なので、ここまで防御施設を施しておかないと、すぐに攻められるワナー、などと思うのですが、殆どの遺構は宅地化で消失していて、イメージだけの世界。でも水をタタえた堀の一部と、高くて幅広の土塁の一部が残存してます。
   (堀 直竒公の大きな像も建ってますヨ)
蔵王堂城址、石碑前にて
蔵王堂城址、大きな土塁跡
 あまりにも長駆し過ぎてます、そろそろ帰り支度をしなければ。下道のR17で行ける所まで行き、途中から高速に乗ろうという軟弱魂胆で、R17を南下します。練馬ICから長岡ICまで片道約240Km、高速であれば4時間もあれば往復できるのですが、そこは「なるべく下道を」という大前提があり、今回も踏襲します。途中、小千谷(not おじや but おぢや)市に入ったところで、中・高校時代の友人の懐かしい顔を思い出し、友人宅を訪問。以前に寄った時は留守で、今回はリベンジ成る。30年ぶりの再会を喜び、お互い歳を取った、太った・痩せた、等と慰めあうのでした。50歳を過ぎるとネー、だいたいこういうワン・パターンの会話に。それでも、越後でも、とびっきりウマイ「へぎそば」をごちそうになり、しかも家族分の生の「へぎそば」のお土産まで頂いて、別れるのでした。ありがとう、お返しに何かを送るからネ。
 う〜ん、随分時間をとられてしまったワイ。これじゃぁ、赤城ICまで行くのは無理かも。で案の定、月夜野ICで高速に乗り、圏央道の入間ICで下りて、R16で横浜へ。21時半を回ってご帰還、665Kmとは走ったものだワイ、疲れ果ててビール(うそ、発泡酒)1本でバタン・キュー、お休みなさい。
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