■   新堀城  ■
■期日 H16年7月3日(土) 【群馬県】吉井町・新堀城・一郷山城・多胡館・
                           長根城・奥平城
■ルート 戸塚自宅〜横浜新道・第三京浜〜玉川IC〜環八〜練馬IC〜関越道
       〜花園IC〜R254〜佐久C〜R141〜韮崎C〜R52〜静岡〜R1〜沼津IC
        〜東名〜厚木IC〜P22〜自宅
■コメント
 う〜ん、愛馬に跨れなかった期間が長過ぎた、イライラを通り越してイ゛ライ゛ラという感じ。仕事の方でもちょっと、お疲れ状態だったので、「晴れ」のご託宣の今日をどれほど心待ちにしたことか。で、そんな精神状態で今日はどこへ行くかというと、いつものように唐突に上州なのです。脈絡はな〜んも無し。あるとすれば、少し走りたい(帰りは信州を回って長駆としよう)という位です。出っ発は、睡眠時間を削って5時半。オイオイ4時間しか眠ってないよー、ってその位は我慢しなさい。横浜から東京に一旦戻って、環八から関越へ入り、東京在住時代によく利用した花園ICで降りて、R254で攻め上ります、目指すは、吉井町。この町は何回も通り過ぎているのだが、目的地にしたのは、今回が初めてです。先ずは新堀(多比良たいら)城から攻めます。R254線上で、多比良建設、多比良食品、というような看板が出始めてきたので、急いで山側の道に入り、多比良地区へ。でも、この多比良地区というのは、恐ろしく広い。ウロウロしてもそれらしき城へ行き着けない、弱った、もう少し調べてから来るのだった。と後悔してもしょうがないのだが、諦めずにさらにウロウロ。すると遠くの山頂に天守閣が見えてきました。あれぞ一郷山城、というので、先ずはこれから攻めることに。でも登り口が分からず、又してもウロウロ。とうとう藤岡市の金山城・平井城まで来てしまったワイ。これはマズイ、引返すことに。いくらなんでも、山の頂に天守閣が有るのだから、立派な道が有る筈である、当然標識も有る筈である、という推理で県道41号線を進んで、ウロウロしている内に、偶然バス停「多比良」へ。しかも、新堀城への怪しげな標識もあります。思わず、「ヤッタネ」。でも矢印の方向に行っても何も無し。ダメモトで地元の老農婦の方に「新堀城はどこですか?」と聞くと、女性へのこの種の質問の場合、普通は「??」の答えが返ってくる筈が、「そこのバス道路の道をどこまでも真直ぐに行き、突き当たった家の裏側が城址」と親切に教えて頂く。ひぇーっ、よくご存知だこと、これまでの先入観を改めなければ。バス停から北側へ500mほど下がった所です。現在は畑地になっていますが、堀・土塁址と思われる遺構が残っています。畑仕事をされていた老農夫婦が話しかけて来られ、イロイロ雑談モードに。愛馬のナンバーをメザトく見られて「横浜から来られたのですか?」、「ハイ、そうです」、「1ヶ月前にも、川越から来られてましたヨ」、「物好きな方も居られますネ」、「今までの最高は、九州から来られてます」、「エーッ、それは凄い物好きナ...」などなどの会話後、辞して一郷山城へ。
新堀城址、本郭址 新堀城址、案内板前にて
  バス道に戻り、駒を進めていると、牛伏山自然公園への標識が。これが一郷山城だろうと見当をつけ、標識に沿って進むと、山頂の模擬天守閣に到着。途中にアジサイが一杯咲いていて、なかなかの景観でしたが、それよりもここからの眺めは ◎ です。ほぼ360度開けており、モヤがたっていて遠くまでの眺望はききませんでしたが、超スゴイです。でも、ここに不釣合いな天守閣を作った吉井町も、悪い意味で超スゴイです、だれも反対しなかったのかしらん。天守閣の中は無料で、ちょっとした資料館になっています。一郷山城の遺構図もありましたが、私には図に示されていた遺構は確認できず。
一郷山城址、模擬天守閣(オカシイ!)
  山を下りてR254に戻ると、すぐに多胡碑記念館の標識が。この種のモノには、あまり興味が無いのだが、話の種にでもと、フラッと寄ります。フムフム、歴史を感じさせる石碑が、建物の中(勿論、屋根付、これって不思議な感覚)に鎮座ましましてます。隣の記念館に足を運ぶと、そこには吉井町の無料の詳細歴史マップが棚に並べてあり、よくよく見るとこれから攻める城・館の所在地が明記されてます。ラッキー、これさえあればウロウロすることもないワイ(というか、先にこれをゲットしていれば、新堀城も一郷山城も簡単に攻城できたのにネー)。良い子は、先ずこの記念館に来て、地図をゲットすべし。で、地図に従って城之内公園の南側の多胡館へ現着。館は竹林と住宅街になっていて、遺構の全体像は掴めません。でも、竹林の中をウロウロした結果、堀・土塁址が確認できました。
多胡館址、案内板
  R254を佐久方面に駒を進めると、「長根」の交差点へ。この交差点の南側の丘陵地が長根城です。交差点から南側に入る超狭い道があります。四輪ではむりでも、我が愛馬は狭い道もなんのその、駆け上がって城へ。勿論、迂回路はありますから、民家の軒下を走るようなことを、良い子は真似しないでネ。案内板によると、二の郭の西側に堀跡が残っていると書かれてますがそれらしきモノは見つけられましたが、遺構かどうかは?でした。遺構は無い、と考えた方が良いかも。
長根城址、入口の碑・案内板
 少し戻って、今度は県道吉井・安中線で、奥平地区を目指します。県道後賀・山名停車場線との分岐点の下奥平三叉路の信号を北へ曲がり、信号直後10m程先の左への狭い道を200mほど進むと、奥平城です。案内板によると、三河の奥平氏の祖のようなことが書かれてます。城は二つの郭に分かれているようで、下側の郭は現在は畑地で、端は崖になっています。上側は本郭と思われますが、その昔は畑地のようです、現在は雑草が伸び放題になっていて、進入不可。生半可な雑草ではなく、竹林もあって遺構の確認も出来ず。まぁいいかぁと、諦めの早いHYDでした。だって、走りたいんだもの。
奥平城址、入口
 で、時間はまだ11時ちょっと過ぎですが、そろそろ走り屋モードに変身じゃぁ。本当は、安中市内の城攻めもプランに入っていたのだが、ウズウズしだしてきたのです。R254は何回も走っているので、黄色い線ばかりということは分かってますが、内山峠へ行く途中の、アソコとアソコには白い線がある、という情報を脳みその端っこから堀りくり出して走ります。とてもじゃないが、遅いトラックの後に付いた日にやぁ、免停直前でも、プッツンする可能性大なのである(イイ年こいて、は言いっこなしネ)。途中、排煙を撒き散らす眼の前のトラック数台をまとめて、サイドミラーの点にして溜飲を下げ佐久市へ。途中、佐久市内は混雑するので、平賀の信号から、いつものように県道で臼田町で抜け、その名も「城下」信号(稲荷山城の下)から、R141へ入ります。ここの信号待ちで、「臼田宇宙空間観測所」への標識を発見。ここの信号待ちを何回もしてきたが、この標識を見たのは初めです。う〜ん、ウカツであったワイ。野辺山の45mΦ大アンテナと比べても、見劣りしない大パラボラアンテナであるということを思い出すと、居ても立っても居られず(というか愛馬に跨ったままで)、標識に沿った道をぬふわKmで飛ばすのでした。だって、国道でも県道でもない田舎の道だし、交通取り締まりは普通しないし、民家も無い山の中だもの。R254から15Kmほどでしたが、すれ違う車に一度も出会わず、「アッ」というまに現着。野辺山のアンテナ・ファームと異なり、ここには、ただ一基の大アンテナがデーンと鎮座ましましてます。丁度、アンテナは風を避けるためか天頂を向いていたので、パラボラ・アンテナ(たぶんカセグレン式と見た)らしくはありませんが、圧倒する大きさに口をあんぐり。だって、上を見続けている内に、アゴが疲れてくるんだもの。私HYDの他には、ピクニックに来ている1家族のみ、野辺山とは見物人の数も、訪れる目的も異なるようです。
 しばしマッターリした後、R141を南下。野辺山・清里を脇目も振らずに走り去りR20に出ます。ここから甲府・八王子で帰るのでは芸が無いナァ。よし、折角だから太平洋まで行こう。こういうところが、ソロ・ツーリングの良いところ、と一人ゴチながらR52を走っているのでした。南アルプス市内は結構混雑していたが、鰍沢辺りからは順調に走り出し、身延を過ぎて清水へ。ここはちょっと前まで、清水市であったが、今は静岡市。全国的に合併が進んで、紛らわしいこと、コノウエない。ここから、R1で沼津に出て、東名に入るのでした。結構快調に走れて厚木で下り、長後街道で帰着。ヲーッ、550Kmも走ったゾイ、遅くなった筈である。6月の一ヶ月分を今日一日で走り切るとは。オソル・恐る、「ただいま!」って、返答なし。今日は奥方は外出してたみたい、ヤレヤレ。
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