■   光城  ■
■期日 H16年9月18日(土) 【長野県】松本市・早落城・伊深城、
                          豊科町・上ノ山城・光城
■ルート 戸塚自宅〜横浜新道・R16・八王子BP〜八王子IC〜諏訪南IC〜P17他
       〜白樺湖〜ビーナスライン〜扉峠〜P67〜松本C〜P57他〜豊科T〜
       R19・R20〜甲府昭和IC〜八王子IC〜八王子BP・R16・環2他〜自宅

■コメント
  今年は台風の当たり年である。大きな台風もあり上陸数の新記録を次々と塗り替えようとしている。当然、出っ発の機会も減ってくる、ストレスはタマってくる、愛馬もスねてくる...。さぁ、今度の土日の天気はどうだぁ? 最近のご託宣も、芳しいものが少なく、今度の土日もダメかぁ、と思っていると「大丈ブイ!、晴れ」という有難いご託宣じゃぁ。それじゃぁ、ってんで金曜は早寝します。明日は、お江戸・日本橋からではなく、戸塚宿から「七つ立ち」をしよう。 でもヤッパリ無理でした、起き出したのでさえ、七つ(朝4時)より四半刻(30分)ほど遅いくらい。江戸時代のように七つに出っ発は無理、無理、絶対無理。「昔の人は偉かったー」と、ウダウダ言いながら鉄馬に跨り、信州を目指します。そう、今日は飽きもせずビーナスラインを攻めるのです。これまでとは違い、高速を長駆し諏訪南ICまで走ってから降ります。「オイオイ無駄使いをするナァ」は無しネ。ここから白樺湖を目指し、湖からは超楽しいビーナスラインを走ります。今年に入り今回で5回目、いつものコトながら、アドレナリンを過放出し、「アッ」という間に扉峠、ここから県道67号線で松本市内に降ります。麓に着いた処が美ヶ原温泉、ここから浅間温泉を抜け、洞地区へ。ところがバイク・ツーリング用の地図(通称マップル)に、その洞地区は表示されているものの、なかなか行き着けない。ウロウロしてもラチがあかない。洞地区の早落城を狙っていたのだが、早落ちどころか40分もロスしたところで諦めて、次の目標である伊深城を攻めることにします。R143とR254の分岐・六助池交差点の裏山が伊深城山であることが分かっているので、そこへ向う途中にナニゲに交差点の標識を見ると「洞」と書かれている。うっーそ、あのウロウロしたのは何だったんだろうか。洞地区に入り、女鳥羽川沿いのそれらしい雰囲気の山すそに住吉神社発見。たぶん城に関係しているだろうという読み通り、城への入り口でした。城址の案内板とちいさな石碑が立ってます。もともとは洞城・洞山城と言われていたが、早く落城してしまったため、早落城と呼ばれている云々、と書かれてます。何と情けないネーミングだこと。ここから整備された登山道を登り始めて10分位で、最初の堀切跡が出現。不思議なことに、「堀切」を「空掘」と誤解した案内板が立ってます。続いて幾つかの堀切を過ぎて二の郭と本郭に。二の郭と本郭とには案内板が立ってますが、この間には不思議なことに堀切はありません。本郭はイバラの木々で覆われていて、とてもじゃないが進入できず、パス。登ってきた方向とは反対側(南側)の尾根伝いにも登山道があります。この登り口は?ですが、こちらも整備された登山道です。本郭はイバラで覆われていますが、草地の所もあり、ここからの安曇野の眺めは ◎ です。残念ながら北アルプスは見られませんでしたが、それでも素晴しい眺めです。
早落城址、登山道入口の石碑 早落城址、途中の2段堀切
 続いて先ほどの六助池交差点に戻り、伊深城を攻めるべく登り口を探します。「麓の神社が登り口」という定説を信じて探すと、ありました若宮八幡神社。しかも脇に城址の登り口であるという木碑まで立ってます。迷わずに攻城出来そう、ってんで勇んで登り始めて10分ほどで、狭く細長い削平地の4、5段のトコロに。次いで、少し広い帯曲輪らしき削平地の3段くらいを過ぎると、かなり広い本郭跡です。登ってきた反対側にも足を踏み入れますが、こちらには大きな堀切が、かなりの規模を誇る城だったようです。しばしマッターリして下山。でも途中で道に迷い、右往左往。ヲイヲイ、これでは「往きは良い良い帰りは怖い」ではないか。でもこの右往左往で、竪堀が幾条かシッカリ残っていることが身を持って分かりました。この内の1条の堀底道を下って、無事生還。着いた所も登りと同じ神社の裏側でした、ホッ。
伊深城址、本郭跡の石碑 伊深城址、堀切と本郭跡
次いでR143から県道57号線に入り、豊科町方向に向けて走ります。この県道から林道に入り、光城を攻めるつもりです。ところが、ここで右側に入る林道に曲がらなければならないのに、左側の豊科ゴルフ場への道に入ってしまいました。九十九折れの道を1Kmほど走ると、豊科町指定史跡「上ノ山(うえのやま)城址」の標識が出現。「アレッ?」、お目当ての光城ではないゾ、と地図をシゲシゲ見ると、道をしっかり間違えてました。でもケガの巧妙、鉄馬を停めて整備された登山道を登るのでした。でも20m程ですぐに行き止まり、オカシイ。ひょっとして、行き止まりの右側がそうかも、と3mほど上に上ると、削平地。どうもここが本郭らしい。字が水アカで消えかけた立派な案内板が立ってます。雑木で安曇野の眺めもイマイチ、本郭・二の郭だけのかなり小規模な城址のようです。
上ノ山城址、本郭の案内板前にて
 県道57号線に戻り、豊科方面に200m程走ると、右側に「光城山」への大きな標識がしっかり立っていました。標識に従って林道に入り、クネクネ道を走ると、ほぼ最高所に光城山公園。駐車場に鉄馬を停め、駐車場から見える小屋へ向います。周りはどうも城址という雰囲気は無し。遺構も確認できず、公園化で破壊されたのかしらん。まぁ、一応攻略したということで下山しよう。で、降り際に、公園入り口の大きな案内板をナニゲに見ると、光古城と書かれてます。先ほどの場所より低い所にどうも城があったらしい。アワてて戻り、あまり歩かなくて本郭に着到。本郭跡には神社が建ってます。土塁・堀切が残存していて、城の雰囲気がプンプンしてきます。ここからの眺めも素晴しいです。心地よい秋の風に吹かれながら下界を眺め、暫し陶然とマッターリとして下山。
光城址、本郭跡と神社 光城址、本郭跡にて
光城址、本郭からの安曇野
 県道57号線に再度戻り、R19で松本方面に駒を進め、右に梓川を眺めながら下田地区に入ると、左側に平瀬城の標識が眼に入ります。この標識も大きく、見過ごすことはないでしょう。でも攻略は今度ネ、早落城を落とすのに、えらく手間取ってしまい時間切れです。
 R19とR20の下道をトコトコ走り、甲府昭和ICから中央高速に乗り、八王子で降りて混雑したR16でご帰還。ヨーッ、お疲れさん、本日高速道多用で525Kmなり。
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