■   田口城  ■
■期日   H16年4月17日(土)【山梨県】韮崎市・穴山氏居館、須玉町・源太ヶ城
                     【長野県】南牧村・海尻城、臼田町・龍岡城・田口城

■ルート  戸塚自宅〜P22〜厚木IC〜東名〜御殿場IC〜R139〜川口湖T〜R137
        〜御坂T〜R20〜韮崎C〜R141〜臼田T〜R141〜韮崎C〜R20〜御坂T
         〜R137〜川口湖T〜R139〜御殿場IC〜東名〜厚木IC〜P22〜自宅
■コメント
 今度の土日は「両日とも雨は降らない」との御託宣。で、どっちにする? よし、降水確率のより低い土曜に決定。ここまで決まれば、次なるは、行き先である。何時もと違い、ここでチョチ悩んだのだが、途中で諦めてしまって、どうにかして退治しなければならない幾つかの城を思い出すのでした。数々有るのだが、中でも思い出したのが、田口城。で、ネットで検索すると、従来は岐阜県の田口城しかヒットしなかったのに、今回は長野県の田口城もヒット。急いでそのページを見に行くと、行く方法も詳細に伝授されている。これは行かなくちゃぁ、ってんで、行き先決定です。天気も○ということもあり、富士五湖の山中・河口湖を廻りながらのルートと決め、金曜は早々に就寝。明けて朝も早よから(ウソ、予定より30分遅れの5:30)、出っ発です。さすが最高気温予想が22度といっても、山間の朝は寒い、真冬並みの服装で丁度良い。快適に二つの湖を廻り、御坂峠を越して甲斐へ。ここからR20で韮崎へ行き、R141で北上開始。まもなく穴山駅の標識が見えてきました。そうだぁ、穴山氏の居館もリベンジ対象だったっけ。行き掛けの駄賃である、寄ってコらしめてやろう。穴山駅へ行くと、攻略済みの能見城が眼の前の山です。駅構内は殆ど駐車場になっていて、隅に付近の案内板が立ってました。以前来た時には無かったような、前からあったっけ? と思いながらも、期待して覗き込むと、有りました穴山氏居館。急いで地図をメモって攻城開始。案内地図通りに、県道から細い道を辿って、果樹園の中を進むと、山懐に木碑と案内板が立ってます。周りをウロウロしましたが、遺構らしきモノはなし。まぁ、南アルプスが果樹園越しにきれいに見えて景色は良いし、すんなり攻城できたんで、良しとしよう。今日はこの辺にしておこう、パチパチ。
穴山氏居館址、木碑前にて
続いて、R141に戻り北上を再開。清里近くになって、大門ダムへの標識が出てくるので、迷わず右折し大門ダムへ。ダムから見える山が源太ケ城です。ダムを突っ切り、更に進むとウッドペッカーキャンプ場です。このキャンプ場の手前脇に林道があり、これを登ればOKというネット情報(最近はこのネット情報で、ウロウロ回数と涙を飲む回数は激減、感謝・感謝)で、更に進むと、すぐに自衛隊の顕彰碑が。何でこんな所に?と思いますが、気にせずに、ここを戻るようにして右折。ここからは厳しい林道になります。
事故で亡くした前の愛馬では、到底進めない荒れたグラベルですが、そこは30Kg以上も軽い愛馬F650、鞭を打って進みます。でも、ベルトドライブのベルトに小石を噛むとベルトが切れるので、本当はグラベルは止めた方が良いのですが、無理して進みます。左右から背丈の長い雑草やら、小枝やらが邪魔してきます。夏場では、もっと繁茂しているでしょうから、麓から歩いた方が無難というか、バイクでは無理でしょう。四輪でも同じです、無理せず歩きましょう。で、何度か停めて歩こうかと思いましたが、無理(本当に無理しました、後悔先に立たず、と何回も思ったのですが...)して、とうとう頂上直下まで来てしまいました。さて副郭(?)には例の武田軍団の烽火台が復元されています。主郭(?、主と副と反対かも)には、小さな祠と木碑があり、堀切が二つほど確認できましたが、他は無いようです。どうも城というより、砦か烽火櫓と言った方が正解かも。
源太ヶ城址、復元・烽火櫓 大門ダムよりの、源太ヶ城址遠望
 来た道を慎重に下って、再びR141を北上。清里、野辺山を軽快に通過、八ヶ岳もきれいでルンルンで進軍。海ノ口城への標識を過ぎてしばらく走ると、「海尻城跡」という信号機の標識が出現します。あれーっ、この道は随分走ったけれど、こんな標識ってあったっけ? 得意の動体視力が黄色信号でも、あまり悩まず、すぐに手綱を引いて愛馬を止めます。大月川が流れており、そばの医王院(寺)へ入ると、いきなり海尻城への木門が迎えてくれます。で、整備された道を登ると、ものの2、3分で頂上の本郭に現着。大きく立派な海尻城址の石碑が建ってます。三つの郭で構成された山城で、二つの副郭にも祠が祀られています。比高は低いのですが、見晴らしは良く、交通を扼する絶好の位置に建てられた城という印象です。
海尻城址、立派な石碑 海尻城址からの南側の眺め
 さて、さらに北上を続け、何回か来た臼田町へ。ここの龍岡城は五稜郭で有名ですが、今回はこの龍岡城を山上の田口城から眺めようという魂胆です。これまで、田口城は田口峠の近くだという先入観でいたので、到底見つけられなかったのですが、今回は
http://www5f.biglobe.ne.jp/~shingen/index.html
のネット情報で容易に攻城できそうです。余裕のヨッチャンなので、先ずは桜満開の龍岡城を攻めます。残念ながら、この頃から曇ってしまい、チョチ景色がイマイチ。函館の五稜郭の桜満開の景色には、及びませんが花見客が少ないので、ノンビリ・シッカリ観賞して、いよいよ田口城へ。ここへのルートは先のページを参照してネ。この情報なしでは行けません(キッパリ)。で、忠実に情報通りに進み、難なく現着。城への林道はグラベルですが、源太ケ城と比べると、荒れていない分、バイクでも楽勝です。しかし残念ながら、ここからの龍岡城は、雑木やら唐松やらが邪魔します、過度に期待しないように。私は龍岡城から見た際に、山の状態からハナから諦めてました。どこかに龍岡城を望見できる展望台があるらしいのですが、分かりませんでした。でも、田口城址は規模も大きく見ごたえがあります。数多くの石積みの土塁やら、空堀・土塁・堀切なども僅かに残っています。
龍岡城址からの田口城址遠望 田口城址からの龍岡城址遠望
田口城址、本郭したの石塁
 しばらくマッターリしたので、退鉦を叩きます。当初はこのまま上野国へ出て、南下して帰ろうかと思っていたのですが、また八ヶ岳の雄姿を見ながら野駆けをしよう、という気持ちの方が勝り、同じ道を引き返すことに。天気は曇りですが、残雪を頂いた八ヶ岳を再び見ながら快適に走らせ、野駆けハイ状態に。このあと能は無いのですが、来た同じ道をそのまま辿って帰着。う〜ん、リベンジを二つも成し遂げて、ハレバレしてうまいビールを飲み干すのでした。本日460Kmなり、お疲れさん。
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