■   林城・桐原城  ■
■期日   H16年4月11日(日)  【長野県】松本市・林城・桐原城
■ルート  戸塚自宅〜R1・環2・保土ヶ谷BP・R16〜八王子IC〜甲府昭和IC〜R20
        〜富士見T〜P17・R152〜白樺湖〜ビーナスライン〜和田峠〜R142
         〜武石V〜R152・R254〜松本C〜R19他〜塩尻北IC〜八王子IC
          〜R16・保土ヶ谷BP・環2・R1〜自宅
■コメント
 春である、絶好の鉄馬での野駆け(ツーリング)の時候である。天気も上々のご託宣、しかも甲州の桃の花が満開であることをホームページのBBSで知らせて頂いた。そうだぁ、甲斐の国に行こう、桃の花を見に行こう、と木曜日までには決めていたのです。ところがである、金曜日に何処を攻めようか迷ってしまったのだぁ。こういうコトは、今まであまり無かったんだが、優柔不断な性格が又しても露顕するのでした。一つには、下諏訪町の、4年に一度の御柱祭りである。会社で木曜から年休を取って地元に帰っている者のササヤキもあった。一つには、ビーナスラインがそろそろ開通した筈、残雪が残る雲上の野駆けは楽しいぞーの影の声。で、甲州の桃の花は、途中で見るだけにして、甲州の武田信玄を攻めるのではなく、信玄が攻めた隣の信州・小笠原氏の林城を攻めることに。土曜日は早めに就寝し、日曜は5:30には出っ発、予定より30分遅れでした。このツマズキが、後々まで尾を引いてしまうことになろうとは、その時は思いもよらなかったです。長駆ということもあり、八王子ICから甲府昭和ICまで高速をオゴって駆け抜けます。ここからR20をトコトコ(?)と松本方面へ馬首を廻らせるのでした。途中、全開の桃の花を愛で、風流な気分に。勿論、速度を落として走ります。すると動体視力が良いから、色々と目に付いてしまうのです。城址の石碑だと思って、鉄馬の手綱を曳いて下馬し、見て見ると、明治天皇の行幸の碑だとか明治天皇の野点の跡だとかの石碑で、城とは何の関係もなし。う〜ん、随分と時間をロスったわい。富士見町からは、県道17号に入り途中からR142に。白樺湖からは、いよいよビーナスラインです。白い点線の道を鞭を打って豪快に走ります。眼下に諏訪湖・安曇野、遠くに北アルプス・南アルプス・八ヶ岳・富士山と素晴しい景色です(これが無料道路、やればできるじゃないか、国土交通省)。誰でもこの景色にウットリする筈です。しかも鉄馬で風を切って走っているから、もうエクスタシー。シーズン前というコトからか、観光バスもいなく、アッという間に前半を終了して和田峠へ。ここから後半のビーナスラインを攻め、終点からまた戻って来て、途中から松本側に降りれば中入城・林城他の山辺地区へという筋書きでしたが、ココでモロクも × 。何と、和田峠から先は、4/22まで凍結のため通行禁止という立看が。えーっ、聞いてないよー、と大声を出しても、エコーが返ってくるだけ。この誤算は大きいのでした。この後、峠を諏訪側に降りれば、御柱祭りへ行けるのだが、R20の所々には「下諏訪町内は祭りで交通止め」の立看がありましたので、この祭りは諦めていたのです。そんな状況下では、諏訪側へは降りられないのである。R142、R152と上田方面に向って走り、武石村からは今度はR254で戻って松本に入ります。途中、三才トンネルで400円ものお金をふんだくられて...。これって、おかしい! 大したことのないトンネルを通過するだけで、しかも経済の動脈国道・生活道での有料。その額が400円というのは、超理不尽。松本市民は立ち上がらないのだろうか。否、長野県人は武装蜂起しないのだろうか。
  田中知事、何とかしてネ!!
で、何時ものように前フリが長くなって、いよいよ県道67号線で入山辺地区に。県道沿いの旧入山辺村役場跡に、付近の史跡案内板が立っていて、フムフムと攻略順を決めます。先ずは、林城でしょう。ってんで、案内板の地図に書いてある通りに進み、難なく現着。最後の500m程が未舗装ですので、鉄馬は要注意です。車では楽勝でしょう、駐車場もあります。幾つかの曲輪跡のほか、石塁、土塁、空堀などの遺構が残っています。名門・小笠原氏が長い間守ってきた城としては、思ったよりは規模が小さいです。支城が多いからなんでしょうネ。林城も、大城(金華城)と小城(福山城)に分かれています。小城の方は、結構離れているので、後ほど攻めることにします。ここからの松本平の眺めが良ければ良いのですが、雑木等でイマイチ。東山探索道の途中からビューポイントがあります。
林城址、入口前にて 林城址、空堀址
林城址、本丸址の石塁 林城址、遠景
  さて、主城を落としたので、次いで中入(山家、やまべ)城を攻めようと、県道67号線に戻ると、何時もの動体視力で桐原城への案内標識の杭が眼に入りました。旧役場の案内板にも書いてあったゾ、これは行きがけの駄賃である、攻めよう。標識に従って山側に入ると、麓に桐原城の案内板が。これは簡単に攻城出来そう。で、なおも進んで行き止まりから小道を歩き始めますが、ドンドン反対側の山側に入ってしまう。この道はどうも違う、ということで案内板まで戻り、近くの第一村人に尋ねると、「左側の山の、松林と松林の間の雑木林の部分が城である。昔は道があったが今は無くなっていると思う。石垣が残っているヨ」という答えでした。案内板の所からそれらしい道を山側に入って行くが、途中で鉄馬にキーを挿したままであることを思い出し、アワてて引き返し、もう一度チャレンジ。今度は林道の行き止まりから、谷を渡って目的の山へ取り付きますが、それらしい道はあるのですが、途中から茨(イバラ)の林で前へ進めません。文字通り茨の道を進みますが、針が体に刺さって、痛くて途中でギブアップ。しょうがないので、ケモノ道を登ります。確かに鹿と思われるフン場やら足跡が残る急坂です。この急坂をよじ登りますが、鍛えているはずの体でも、2,3m登っては、ゼイゼイ息を整えながらの登りで、極めて厳しい攻城です。やっとの思いで、稜線の下に出ると、石塁のようなモノがアチコチに見えます。下から見ると、時代が新しく見え、また自然に出来たようにも見えるので、石塁とは断定できず。で、本郭らしき所よりさらに高い所に登って見ると、大きな堀切となっているのが分かり、周りには空堀・竪堀跡が確認できます。次いでイヨイヨ、急坂の本郭に登ってみると、「なんじゃぁ、これはー」と大声で叫んでいる自分が居ました。次いで「ウォーッ」という訳の分からない声を出してしまいました。スゴイのです。以前にも石塁で感動した「松尾古城」がありますが、あの比ではありません、とにかく何倍もスゴイ。高い石塁、しかも保存状態がすこぶる良好、しかも各曲輪に残っています。それぞれの曲輪の虎口もよく分かります。空堀・竪堀なども数多く残っています。とにかくお奨めで、雑木で眺めはイマイチでも、久し振りの ◎ です。どうも主郭から下に通じそうな道があります。これを辿って行けば、登り口へ出られるのでしょうが、鉄馬の所に戻りたいので、又しても道なき道を(今度は下りなので、楽)下って無事生還。(帰ってから、ネットで「桐原城」を検索すると、登山道があるという情報、ちゃんと調べておけばネー、後悔先に立たず)
桐原城址、本郭の遠景 桐原城址、本郭外側の石塁
桐原城址、本郭の高い石塁跡 桐原城址、二郭の石積みの虎口
 このあと、時間もおしてきたので、中入城を諦め、林城の小城攻めを。まずは、小笠原氏の居館を探したが見つからず、ついで小城の方であるが、これも麓の登り口を確認しただけで諦め、ジ・エンド。だって、この山を登る体力が残ってないヨー、時間もネ。今度は、4/23以降にリベンジじゃぁ、待っておれヨ、小笠原の城々よ。塩尻市内に入り、相変わらず(知っている限りでは30年前から)の渋滞のR19を進み、これも、限度を越えたので、塩尻北ICから長野道に入ります、軟弱である。今日の出っ発からの数々のツマズキを数えながら中央高速に入り、そのまま八王子ICまで。その後いつもの道で帰陣、今日は有料道路(約250Km)を多く使って、1950円+400円+3350円と大出費(早く政権を取って、高速道をタダにしてネ、菅代表)、お疲れさんでした、520Kmなり。
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