■   根小屋城  ■
■期日 H16年2月8日(日)  【群馬県】高崎市・倉賀野城・山名城・根小屋城・
                            木部城・(和田城)
■ルート  自宅〜環2・保土ヶ谷BP〜相模原C〜R16〜川越C〜R254・R407・R17
        〜高崎C〜R407〜狭山C〜R16〜相模原C〜保土ヶ谷BP・環2〜自宅
■コメント
 どうも最近、朝早く起きられなくなってしまった。早めに寝るために、深酒をするせいなのかしらん。というわけで、前夜は酒を飲まずに寝たのだが、果たして朝早く起き出すことに成功。ということは、飲むと早く起き出せられない、ということである、歳のせいかしらん。まぁ、そんな真偽を確かめることより、出っ発じゃぁ! 今回は高崎辺りを攻城予定、早く起き出したので、前回と同じ方向ながら下道で、鉄馬を走らせます。混雑するR16と承知の介で、八王子・狭山と過ぎ、途中からR407に入る筈が、曲がる道が?で、川越まで来てしまい、そのままR254、R407、R17と乗り継いで高崎に到着。市内に入りすぐに、「倉賀野」方向の標識があるので、迷わず進み倉賀野駅へ。ここから烏川方向へ進むと、川端に川に沿った細長い公園があります。ここに倉賀野城の立派で大きな石碑が鎮座してます、でも遺構は皆無。目の前に河川敷の市民ゴルフ場が河原にありますので、発見し易い筈です。
 簡単に攻城出来たのは良いが、遺構が無くてはつまらん、それじゃぁ今度の山名城はどうだろうか。烏川の対岸に山名駅があり、この裏山が山名城です。山名八幡宮の横から、麓まで細いながら舗装道があり、鉄馬に鞭をくれて1Kmほど登ると、山上碑・山の上古墳・根小屋城の入り口という標識が出現。近くに10台以上停められる駐車場やトイレも完備してあります。ここから登り始めて、ものの1分で、立派な古墳があり、さらに幅1.5m以上の整備された緩やかな登山道(高崎自然歩道)を2、3分も登ると山名城に到着。本丸は整備されてましたが、二の丸・三の丸等は未整備でなかなか歩き回ること能わず、残念。それでも、空堀・土塁・堀切等が確認でき、またここからの高崎市街の眺めも良くて、ニコニコして次へ。
倉賀野城址、石碑前にて
 尾根伝いの道(高崎自然歩道)をなおも登りますが、途中には数多く万葉集の石碑が建っていて、それらを読みながら10分ほどで、今度は根小屋城です。この根小屋城は、過去に2回挑戦して、2回とも攻城に失敗した城です。麓に根小屋地区があり、高台には城山という大規模な分譲住宅地があるので、当然ここに城があるものと判断し、この城山地区をウロウロしたのですが見つからなかったのです。今回は再々リベンジでしたが、なんと根小屋城は城山地区の隣の山でした。さて、この城を先に攻城した山名城の属城程度に考えていたのですが、どうも違うようです。規模・複雑さで圧倒してます。幾つかの郭とそれを防御する空堀・土塁・堀切・竪堀や幾つかの虎口などが残っています。二の丸跡には土橋跡と井戸跡も残されており、景色もなかなかで、もう少しで ○ になりそうなレベルです。う〜ん、と往時を偲びながらマッターリして同じ道を下山。この城への自然道は整備されていることや、万葉集の歌碑、緩斜面の登山道ということで、かなり歳を召されている多くの人に行き交いました。
山名城址、本丸跡の石碑前にて
根小屋城址 根小屋城址、空堀と土塁跡
  続いて、山名・根小屋城を要害城としていた木部氏の平城を攻略します。木部町地区の新幹線沿いに、心洞寺がありますが、この境内と一帯が木部城のようです。現在は、寺門の脇の土塁が一部残っている位で、他には無さそうでした。境内には、木部氏の墓があります。ちょっと残念ですが、根小屋城の余韻が残っているので、憤らずに次に。
木部城址、心洞寺前にて
 で、次は和田城でしたが、ここが × でした。R17沿いの和田橋のタモトに物見櫓址が残っているということで、攻城しようとしましたが、どうも現在は橋周辺の工事で、壊されたような気がします。う〜ん、残念。普通、工事で遺構を取り壊す場合、工事前に発掘調査などをして、工事終了後に遺構調査結果などを、その場所に表示することが多いので、それを期待して工事現場を離れました。
  ちゃんとやってね、国土交通省・高崎市

 まだまだ、物足りないのですが、そろそろ帰陣じゃぁ、ってんで、来た道をほぼそのまま戻り、渋滞したR16をモノともせずに(ウソ、本当はブチ切れそうにイライラしながら)、帰宅。本日ALL下道、320Kmなり、お疲れさん。
★ ホームページのトップへ