■   川越夜戦・河越館  ■
■期日 H16年3月7日(日)  【埼玉県県】川越市・砂久保陣・夜戦激戦地・河越館
                       桶川市・三ツ木城・加納城・足立右馬充道元館
■ルート  自宅〜環2・保土ヶ谷BP〜相模原C〜R16〜川越C〜P12〜桶川C
         〜P12〜川越C〜R16〜相模原C〜保土ヶ谷BP・環2〜自宅
■コメント
 最近の出陣の準備パターンを紹介すると、@気温予想のご託宣で山/平地かを決める(だって、寒いのに山間部へは行けない) A行き先は、最近読んだ歴史小説でピーンときた城 Bピーンときた城とその周りの城を、ホームページで調べる、地図が添付されていれば、当然印刷する C木・金曜日と二日続けて酒は飲まず、体調を整える D金曜/土曜日の夜は早寝し、土/日の当日は朝早く起きる である。昔のパターンと異なるのは、BCDの追加である。この中でBは助かる、ウロウロすることがかなり少なくなった。そしてC、これは歳のせいか、へぼーなってしまい(飛騨弁講座参照)、飲むと次の日に早く起き出せない。で、パターン通りにコトを進め、早く目覚めて出っ発じゃぁ。今回は、松本清張氏の歴史小説(氏は社会派推理小説で有名であるが、もともとは歴史小説から出発されている、今回は「信玄戦旗」に触発)に影響されて、河越夜戦場から。日本の三大奇襲戦は、信長の桶狭間、元就の厳島、そして氏康の河越であることは、ツトに有名であるが、川越市を何回も通っている割には、今まで訪ねていなかったのである、大不覚。R16で八王子の渋滞をクグり抜け、そのまま川越市へ。先ず県道8号線から砂久保地区へ入り、地区の外れにある稲荷神社へ。ここは、北条氏康に対抗する山ノ内上杉憲政方の本陣が置かれた所である。当時は荒涼たる一面の原野であったらしいが、現在は住宅街で、何も遺構は残っていない、というか原野のイメージすらどこにも無い。 
 続いて、市内の志多町東明(とうみょう)寺へ。両軍の大激戦地である。夜襲で砂久保陣が大混乱に陥るに及び、敗走した山ノ内上杉軍、他の場所に居た扇谷上杉軍・公方軍と勢いに乗って攻める北条軍の合わせて9万人規模の戦闘地である。両上杉と公方側はここで決定的な大打撃を受けるのだが、さすが450年も経つと、何も遺構は残っていない。まぁ、合戦場の跡には、墓の他は何も残らないのが普通だから、ガッカリはしません。それにしても、上杉方8万人が北条の8千人+ろう城衆千人に完膚なきまでに負けてしまうとは...(松本氏はおそらく3万人対6千人位ではないかと、推定されている)。
砂久保陣址、案内板前にて
さぁてと、続いて河越氏の居館を攻めよう。入間川のそば、川越橋のそばに常楽寺があるが、この境内と周りが館跡である。上戸小学校近くにも土塁跡がかなりの長さ残っており、結構大きな館跡と思われます。小学校そばでは、大規模な発掘調査も行われてました。ここは国の史跡となってます、でも古びた木碑が門前に建っているだけというのもなぁー。
川越夜戦跡の石碑前にて
河越氏館址、土塁址
河越氏館址、常楽寺山門前
R16から県道12号線で桶川に鉄馬を進めると、これまでに何回か受講したホンダ・セイフティ・ドライブ・スクールが河川敷に現れる。橋の上から、練習風景が見えるが、中級か上級だろうか、とてつもなく恐ろしい走り(「鬼のような」の形容がフサワしい)をしている。完璧に鉄馬を責めている、これを垣間見ると私のは、「責める」のではなく、「鉄馬と戯れている」の方が間違いなく正しい。技量の大きな違いを感じて、肩を落として更に進むと、県道沿いに城址公園の案内板が出現。スクールに通うのは、JR桶川までは当然電車であるが、駅からはスクールのバスで現地に送迎される。このバスの窓越しに、いつもこの城址公園が見えるのだが、いつかは攻略するゾ、と思っていたものです。で、ようやく今日実現の運びに。整備された城址公園なんで、三ツ木(みつぎ)城の遺構も整備されているかと思いきや、公園内の他の施設と異なり、全く整備されていなく、荒れるにまかせたまま。変に整備されてなく、良いような悪いような気持ちで、アチコチとヤブこぎ。二重の空堀やら土塁などが広範囲に残ってます。堀底道が唯一整備された道、というくらい未整備ですので、要注意。
三ツ木城址、空堀跡 三ツ木城址、案内板前にて
 このあと市内中心部に入っても県道12号線をなおも進み、加納地区に入ります。ここも住宅地化されてますが、畑地も残ってます。その両者の境目付近に加納城があります。土塁や空堀の遺構が少しありますが、宅地化で風前のトモシ火状態です。空堀前に小さな石碑と住宅地内の小さな公園内に加納城の案内板があります。
加納城址、石碑前にて
 続いて市内の末広地区へ。ここに市の総合福祉センタがありますが、ここが足立右馬允遠元館です。でも周りは完璧に立て込んだ住宅街で、石碑だけです。裏面に案内文が書いてあり、「宅地化で、ここが足立館跡であったということを、誰も知らなくなるのがツライので、この石碑を残す」との一文が。
伝・足立右馬充道元館址、石碑前にて
 3月に入り日も長くなっており、まだまだ時間も早いのだが、帰陣じゃぁ。って、これまでのパターンより、3時間近くも早く退鉦を叩くことに。横浜に引越ししてから、このパターンが結構増えてます。何故かというと「へぼーなってしまった」と「八王子の周辺の渋滞のイライラ」である。都市部に渋滞があるのはしょうがないのであるが、これが20Km以上も延々と続くと、スリ抜けやイライラを考えざるを得なく、気力が萎えてしまいます。で、早めに帰ろうということに。ここでトラブル発生!、桶川外れに来た時に、突然にエンストである。そろそろガスの補給をしようと考えていたところ、前方右側にGS出現。でも反対車線側だし、ガス警告灯が点灯してから計算すると、あと20Km近くは走れる筈だと確信して、そこでは当然給油せず。次に現れる左側のGSで入れよう、と思って止まらずに進み、急なカーブを曲がっている時に、いきなりエンスト。何とか体勢を立て直して倒れずにセーフ。ふーっ、怖かった! 徐に路肩によって、セルボタンを何度か押しても、ウンともスーとも言わない。オイルの警告灯とガスの警告灯だけがしっかり点灯してます。まだまだ走られると確信しているのでガスはOK、当然先日交換したばかりのオイルを100%疑います。で、エンジン下を覗くと、何やらオイルがニジんでいる、スワッ、オイルが無くなってしまったのかぁ、一大事じゃぁ。顔は真っ青、頭の中はもう真っ白!! 急いでオイル量を確認しようとするも、キャップが固くて素手では外れない。しょうがない、さっきのGSで工具を借りてキャップを外しオイル量を確認しよう、もしオイルが抜けて無かったら四輪用の化学合成オイルを暫定的に入れようか(愛車の仕様は鉱物油でないとNG)、ガスを満タンにすれば工具くらいは気持ちよく貸してくれるよなぁ、などなど考えながら重い鉄馬を押すのでした。 幸いにもヤリ過したGSまで300m程と近く、ラッキー。でも冬型の気圧配置で、3月なのに真冬並みの寒さもかかわらず、汗を流しながら、やっとの思いでGSに到着。先ずはガスを満タンに。次いで、工具を借りようと思ったが、念のためキーを入れてセルを回すと、アララ!?、一発で鉄馬は目覚めたのでした。「えーっ? これって、もろガス欠じゃん」。 ちゃんとガスの予備ボトルもケースに入れて有ったのに。ラッキーなのか、アンラッキーなのか分からず、しばし呆然・呆然...。でも、前向きのお馬鹿な性格は、GSまで近かった・オイル無しの大トラブルではなかった、ということでラッキー側に軍パイを挙げるのでした、オイオイ、違うだろうって。その後、八王子・相模原と渋滞の長々を過ぎ、それでもあまりイライラせずに無事に帰着、まだ17時だよー、まだ明るいようー。本日ALL下道の210Kmのショート・ツーリング、お疲れさんでした。
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