■   神流川古戦場  ■
■期日 H16年3月27日(土) 【埼玉県】上里町・長浜氏居館・金井氏居館・金窪城
                     【群馬県】前橋市・石倉城・大友城・勝山城・蒼海城
■ルート 戸塚自宅〜R1・環2・保土ヶ谷BP〜相模原C〜R16〜狭山C〜R299・P30
      〜寄居T〜R254〜上里T〜R17〜前橋C〜前橋IC〜関越・圏央道〜狭山IC
      〜R16〜相模原C〜保土ヶ谷BP・環2・R1〜自宅
■コメント
 今週の土日は両方とも「晴れ」の、有難いご託宣である、さぁてとどちらにする? 二日とも城攻めに行けるほど、相方に対して主導権を握っていないので、こういう悩みもあるのである。で、今回は土曜日に決定して、5時前に早起きするのでした。でも出っ発は、6時ちょっと過ぎ、というのが我ながらドンくさい。今回は上野・武蔵の境、神流川古戦場を目指すことにします。前々から行きたいと考えていたのだが、ken-youさん●歴史の扉●というホームページ(私と同じ、鉄馬による攻城がメイン)を見て、さらに思いが強くなり、今回の出陣である。大規模で戦死者も極めて多い激戦であったにもかかわらず、後年秀吉と喧嘩をする滝川一益が戦の一方の主人公であったためか、はたまた中央での戦でなく、地方の戦であったためなのか、あまり有名でないのがチョチ残念。下道で行くことにしたのだが、さすが土曜日、日曜日と比べると道路は混んでいて、八王子を過ぎるまで、日曜+20%も時間を要している。R16、R299、県道30、R254と走り、群馬県との境の埼玉県上里町に到着。まずは県道23号線で長浜地区に入り、途中から県道を外れ、民家がまばらな所に有る長浜氏居館を攻めます。道端に黒い大きな石碑が建っていて、すぐに発見。朝っぱらから、グラサンをした中年ライダーなる胡乱な人間が、ウロウロするから、飼い犬が吠えまくります。とうとう家人も出てきて、「何ですか?」。朝の第一村人の発言は、いつもこのパターンです。「いやぁ、実は横浜からこの城を目当てに来たんですヨ!」。「エーッ、横浜から...」これも、いつものパターンです。この後、実に親切に色々教えて頂けるのは言うまでもありません。で、今回も「あの家の後ろ側に遺構があるから、是非見て行きなさい...」のアドバイスを頂き、攻城開始。なるほど、堀跡やら土塁址が残っておりますナ。宅地化や耕作地化で、遺構はかなり破壊されてしまってますが、少しでも残っているとうれしいです。
長浜氏居館址、石碑前にて
 続いて、隣の七本木地区に入り、七本木神社に。ここが金井氏居館の館域らしいですが、神社境内には遺構は無し。雰囲気的に庚申塚が物見櫓址かもしれないです。隣の民家の裏庭(というか畑)にオズオズ入って行くと、土塁・堀跡らしきモノと小さな小さな祠が祀ってあります。ここが館の中心部かもしれませんネ。ここでも僅かな遺構があったので、気分を良くして、次ーっに。
金井氏居館址、土塁跡
 今度は、神流川の戦いで重要な意味を持つ、金窪城を攻めます。R17に入り、前橋方面に走り「金久保」交差点を右折し、金久保地区をウロウロすると、難なく金窪城址公園発見。小さな公園ですが、そばに城址の石碑・案内板が立ってます。案内板には、3箇所の土塁が残っていると書かれてますが、この石碑の裏側の竹薮だらけの空き地にだけ、土塁址が残っているだけのようです。まぁ、宅地化で止むを得ないかも。この僅かな遺構もその内に消えるんだろうナァ。
金窪城址、石碑前にて
 R17に戻り、前橋方向に進むと、程なく神流川に。橋のそばに(埼玉県側)、神流川古戦場の案内板があります。確か、石碑があるというネット情報であった筈だが...、と思い出したのだが、「まぁいいかぁ、気のせい・気のせい」と記念撮影をして、なおも前橋方向に進みます。橋を渡って、群馬県側に入ってすぐのところに、今度は自衛隊駐屯地側に石碑を発見。なるほど、ネット情報通りじゃわい。交通量が多い中で、記念撮影。すると、第二村人が声を掛けてきました。「(鉄馬のナンバーを見て)横浜からですかぁ、随分遠い所から...」これもいつものパターン。「この石碑の他に、首塚や胴塚もあるよ、軍配山もあるよ...」と教えて頂く。塚には用はないので、軍配山をチョイス。
神流川古戦場
神流川古戦場、石碑前にて
 R17から県道40号線で玉村町に移動。途中から軍配山古墳の標識が現われるので、これにそって難なく現着。案内板が立っていて、滝川一益がここに本陣を置き、軍を指揮したらしい云々、が書かれています。田んぼの中の古墳で、確かに眺めが良く、本陣が置かれていてもおかしくないナァと、カナリの時間マッターリ。だって、天気も良いしー↑、見晴らしも良いしー↑、朝早くから起き出しているしー↑...。(をいをい、変な女子高生言葉を使用しないように!)
軍配山古墳遠景 軍配山古墳よりの眺め
 一息入れて、引き続き前橋に向けて走り群馬県庁の利根川を挟んだ川向いの石倉地区に行きます。ここに名門・前橋商業のグランドがあり、このそばの石倉城を攻めますが、簡単に発見・攻城です。公園化されていて、周りも住宅地で、遺構は発見できず、残念。でも、この城への思い入れが強い人が多いらしく、立派な石碑(でも碑文は超ヘタクソな文字、う〜ん、良く見ると、失礼 福田赳夫君が書いたんだぁ)と黒い石に刻み込まれた案内板があります。
石倉城址、石碑前にて
 この後、石倉地区の西隣に大友地区があり、大友郵便局そばの長見寺を目指しますが、見つかりません。ここが大友城の中心部らしいのですが、いくらウロウロしても × 。郵便局のそばに大友神社があり、こちらは難なく発見できましたが、ここは城中心部ではないらしい。でも、城→神社になることって多いんだよネー。っていうことで、一応攻城終了に。周りに何かしらん遺構が残っているかもネ。で、鉄馬で、もう一回念のためウロウロ。すると、料亭としか思えないタタズまいの屋敷の門に、長見寺の名前を発見。う〜ん、どうみても寺には見えないゾ。この寺そばの交差点に土塁址らしき遺構を発見できたものの、これ以上の遺構は発見できず。
大友城址、長見寺前にて 大友城址、土塁跡(?)
 ここから北上して、総社・植野地区に。まず群馬総社駅に行き、付近の案内図を参考に、まずは勝山城址と思われる、元景寺や勝山小学校を訪ねます。寺の裏側に、それらしい雰囲気のモノはありますが、遺構かどうかは分かりません。まぁ、攻城終了というコトで。
勝山城址、現・元景寺
 よせば良いのに、さらに元総社地区の総社神社のそば、宮鍋神社へ。総社駅の案内板にも書かれていた蒼海(おうみ、あおみ)城を攻めます。この宮鍋神社が城域の中心部らしく、案内板には色々書かれております。でも、ここでも遺構は見当たらず。
蒼海城址、現・宮鍋神社
  う〜ん、今回は随分攻城したナァ。山城では上り下りが大変であるが、今回のように全て平城だと楽だワイ。といっても、もう随分時間が経ってしまった。そろそろ帰ろうってんで、帰陣の準備をし、どのルートで帰るか検討開始。今からだと、各所で一揆(渋滞)が勃発しているはず。え〜い面倒だ、高速で帰ろう(超軟弱中年ライダー)。近くの前橋ICからいきなり高速に乗り、圏央道・狭山ICで降り、ここからチンタラ渋滞道をタドって帰陣。本日330Kmと短いにもかかわらず、この最後の渋滞で疲れたワイ、お疲れさん。
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