■   本庄城  ■
■期日 H16年2月1日(日) 【埼玉県】深谷市・深谷城・庁鼻和城・皿沼館・
                            人見館・秋元館・荏原館・増田館
                岡部町・岡部六弥太館、本庄市・本庄城・五十子城
■ルート 自宅〜横浜新道・第三京浜・環八〜練馬IC〜関越道〜花園IC〜R140
        〜熊谷C〜R17〜本庄C〜R17〜熊谷C〜R140〜花園IC〜関越道
         〜練馬IC〜環八・第三京浜・横浜新道〜自宅
■コメント
 又しても寝坊である。目覚ましのセットは、夏時期より一時間遅い6時ちょっと過ぎにセットしたのに、起きたのは7時半過ぎ、疲れているのかしらん。バタバタと準備をして出っ発は9時近くになってしもうた。しょうがない、今日も有料道路多用としよう。遅く出た分、もうすっかり明るく暖かい。さて、今日は埼玉・本庄辺りを攻めよう。実は、先々週に仕事で本庄へ出向き、駅ビルの観光案内所で、色々情報をゲットしていたのである。まず、第三京浜で東京に入り、環八から関越道に。ここまで来ると、使い慣れた道である、あっという間に花園に着き、熊谷を経て深谷ネギで有名な深谷市に。ココは、城・館が多いのも特徴である。まず、R17号線沿いにある国済寺へ。交差点の標識で表示されているので、すぐに分かりました。この境内が庁鼻和城の城域なようです。市街の中心部なので、殆ど遺構はないかと思いましたが、境内ということで、土塁と築山が本堂の裏側に残っています。しかし、この庁鼻和(こばなわ)城は難読ですネ。 
国済寺(庁鼻和城)境内の上杉氏の墓 庁鼻和城址、土塁跡
 ココからR17をほんの少し深谷市中心部に進むと、城址公園の標識が出現。難なく深谷城の攻城開始、でも市街地で遺構は無し、隣接する富士浅間(智行)神社の周りの水路が往時のモノであると書かれているのだが...。
深谷城址公園前にて
 続いて、県道69号線を走ると新幹線付近にビッグタートルの標識があり、大きな競技場が見えてきます。この近くに上水施設があり、そのそばに人見館があります。近くには携帯電話用のアンテナ施設があるので迷ったら、目印にして下さい。実は、なかなか見つからず、人に聞いても皆さん「?」なため、思い余って消防署で聞いたら、数名の署員の一人だけが知っていて、親切に教えて頂きました。遺構は水田・宅地化で、かなり減じられていましたが、二重の堀や土塁の一部が残っています。
人見館址 人見館址、空堀と土塁跡
 引続いて、元来た道を戻り、ピラミッドの頂部だけを切り取ったような、大きなマンションがある所をウロウロします。このマンションの付近にあるという館を探すのですが、ナカナカ発見できず。ようやくマンションから少し離れた、住宅街のローターリーとなっている所で秋元館を発見。さすが宅地化で遺構は無し。
秋元氏館址、大きな石碑前にて
 少しウロウロした筈なのにもう4城も攻城、この調子で次を狙います。皿沼地区に入り、唐沢川の橋のタモトに案内板がある、という情報があるので、橋を順番に探して見ようかと考えていたが、どういう訳か最初の橋(3号橋)のタモトに案内板を発見。気を良くしたものの、周りには遺構は無し。洪水、宅地・耕作地化で消失ようである、残念。
皿沼氏館址、案内板前にて
 今度は県道127号線で藤野木の標識がある交差点付近を少し徘徊。ほどなく諏訪山神社を発見、たぶんこの辺りが城域だろうと、さらにウロウロすると増田館の案内板を見つけることが出来ました。でも、遺構は分からず。周りには深谷ネギの収穫して、出荷できるよう外側の表皮を取り除く作業をしている家が多く、独特の臭いが漂ってます。私は百姓の子倅ですから、この臭いに嫌悪感は全く無し。懐かしい臭いとさえ感じてココを後にしました。
増田氏館址、案内板前にて
 さらに今度は県道45号線で妻沼から深谷に入ったすぐの所(江原地区)で、 摩利支天堂と大きな看板が目に入ってきます。この天台宗の小さなお堂周辺が荏原氏館です。丁度、屋根の工事のために、養生用のシートで周りを覆ってあったので、少し見難かったのですが、壁板に大きな文字で荏原氏館跡と書かれてます。遺構は無いですが、堂の裏手に荏原館と芭蕉碑の案内板が立ってます。深谷市の各城址には、キチンとした案内板が立ってます。遺構は無くても、これのお陰でそれぞれを確認できることが出来ました。
    
偉いぞ、深谷上杉顕彰会の皆さん
荏原氏館址、案内板前にて
 さて、R17に戻り、本庄方向に駒を進め、岡部町に入って直ぐの所に、普済寺の標識が出てきます。ここが有名な岡部六弥太忠澄の館です。境内には遺構は無いのですが、少し離れた所に六弥太の墓があり、そのそばに櫓台跡や土塁跡も一部残っています。山城と異なり、だだっ広い関東平野の平城は、水田・宅地化ですぐに遺構は消滅してしまうのでしょうネ。
岡部氏館址、普済寺前にて 岡部氏館址、櫓台跡にて
 R17をなおも進み、本庄市に入ってすぐに、国道沿いに「城山ビジネスホテル」の看板が出現。あわてて鉄馬を停め、入り口にGO。ここが、五十子(いかつこ)城です、でも遺構は全く無し。このビジホの看板が無ければ、絶対に分からないような気がします。それでもこの入り口付近に、本庄カルタの石碑が、ここが五十子城に関連していることを示してます。
五十子城址、本庄カルタ碑前にて
 なおも進み、市街地に入った所で本庄市役所へ向い、そばの城下公園に現着。ここも市街地化で遺構はありませんが、稲荷神社の辺りに、それらしい雰囲気が残ってます。この神社前にある本庄城址石碑でパチリして時計を見ると、3時近くになってます。昼飯も忘れて、調子よく攻城を続けている内に丁度10城攻城。今までの最高数じゃワイ、平城である上、順調に探し出せたことが大きいゾ、などと悦に入っているも、そろそろ帰らなくては。
本庄城址、石碑前にて
 芸も無く、来た道をほぼそのまま帰ることにして、鉄馬に鞭を当て、渋滞した関越、環八を通り6時には無事帰着、ヨッお疲れさん、本日310Kmなり〜。
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