■   天方城  ■
■期日 H16年3月14日(日) 【静岡県】森町・天方城・飯田城、
                      掛川市・倉真(くらみ)城・松浦兵庫守居館
■ルート 戸塚自宅〜P22〜厚木IC〜東名〜御殿場IC〜R246〜沼津C〜R1
        〜掛川C〜P39・P81〜倉真〜P40・P58他〜森T〜P58・P41
         〜大須賀T〜R150〜藤枝C〜R1〜沼津C〜R246〜御殿場IC
          〜東名〜厚木IC〜P22〜自宅
■コメント
 昨日は、スーパー超近場の藤沢の大庭城を攻めたが、やはり物足りない。そういやぁ、最近は寒いこともあって、長距離を走っていないなぁ。で、天気も晴れで暖かいという、有り難いご託宣を信じて、すこし遠い所を攻めよう。で、遠江を攻めよう、とキッパリ決定。朝早く起き出し、鉄馬を引き出し、出っ発じゃぁ。まず、厚木まで下道を走り、ここから東名に乗って、少し倹約モード。御殿場で降りて、又しても倹約モードを続行。いつものように横浜ICから乗るより、350円も安いのである。往復すると、昼飯代は楽勝に浮く筈である。御殿場から、246、コクイチと走り、掛川に。ここで倉真温泉への標識発見。そーだ、たしか倉真城が有った筈、行きがけの駄賃である、まずここを攻城しよう。県道39、81号線で倉真(くらみ)地区に入ると、県道81号線沿いに世楽院入り口の石碑が建っています。ここを左折して、世楽院に到ると、そこはもう倉真城の城域です。堀やら土塁などの遺構が残っています。由緒有る寺の境内から裏山にかけて散策しましたが、結構大きな城であったように思われます。特に案内板はありませんが、石碑があるという情報で、ウロウロしましたが見つからず、思い余って住職に尋ねたところ、色々と面白い話を伺うことが出来ました。その一つ、本堂の前の大きな石は腰掛石と冑置き石で、ここで首実検をした筈である云々...。確かに、そのように思われるから不思議である。で、石碑の方はずーっと離れた畑地の中にあるというコトで、教えてもらった道順で行くことが出来ました。どうも場所がらから、こちらの方は、倉真城主の松浦兵庫守の居館跡のようです(住職は御殿跡だと言ってました)。周りは畑地で遺構は何も有りません。本当に畠の真ん中ですヨ。
倉真城址、本堂前の腰掛石・冑置石
倉真城址、世楽院全景
 ついで県道40号線等で森町に入り、さらに県道58号を北上すると、太田川を渡る橋の所に天方(あまがた)城への標識が出ています。標識に従って麓までは簡単にいけますが、山上まで行く道が少し分りづらい。思わず二回も間違えて、とんでもない所まで行ってしまいましたが、その度に麓に戻り、ようやく城址公園への入り口を見つけ、狭いですが簡易舗装の道を鞭を振るって勇んで登っていきます。駐車場も整備された立派な公園ですが、一組の家族連れがいるだけで他は誰も居ません。桜のシーズンは訪れる人も多いのかもしれませんが、今日は静かで、広々とした園内を、しばしマッターリ。空堀、土塁、腰曲輪などの遺構がはっきり残っていて、森町の眺望も○です。
松浦但馬守居館址、石碑前にて
天方城址、石碑前にて
天方城址、空堀跡
 さて58号線を戻り、道路沿いの山名神社近くで、飯田地区に入ります。ウロウロして宗信寺への標識を見つけ、標識に従って行くと、飯田公民館に行き着き、そこの横の細い道を登っていくと、宗信寺の山門に。山門前に飯田城址という小さく簡単な案内板が立っているが、ここは城主の禅宗に並々ならぬ帰依の元、庇護を受けた寺云々と書かれています。寺の境内が城域といういつものパターンではないのが不思議な感じです。この山門から南方を眺めると、茶畑の向こう側にそれらしい森がある小山が見えます。たぶん、これだろうと見当をつけて、茶畑の中の簡易舗装道を進みます。ものの5分も歩かない内に、城址入り口の標識発見。すぐに攻城ですが、どうも果樹園・茶畑などで、かなり遺構は崩されてしまった感じです。それでも、石碑の辺りには、土塁・空堀・腰曲輪などの遺構がはっきり確認できます。
飯田城址、石碑前にて
宗信寺山門前の案内板前にて
i飯田城址、山門前よりの遠景
 さぁてと、次はどこを攻めようかとも考えましたが、今日は「走り」モードの初志貫徹。県道41号線でR150に出て、速度違反を注意しながら(本当かよー)、何度か通った道を堪能(途中、渋滞もありんす、(>_<) )しながら焼津へ。ここからR1に出て、あとは来る時と同じ道を戻り、久方ぶりの充実感を味わって、無事帰陣。本日480Kmなり。
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