■   高天神城  ■
■期日 H15年10月5日(土) 【静岡県】掛川市・掛川城、大東町・高天神城
           大須賀町・横須賀城、小笠町・黒田代官所、菊川町・横地城
■ルート 横浜自宅〜横浜新道・保土ヶ谷BP〜横浜IC〜東名〜御殿場IC
       〜R246〜沼津C〜R1・藤枝BP〜掛川C〜P38〜大東T〜P69
       〜大須賀T〜P69他〜小笠T〜P37・P79・R473〜金谷T〜
        R1・藤枝BP〜沼津C〜R246〜御殿場IC〜東名〜横浜IC〜
        保土ヶ谷BP・横浜新道〜自宅

■コメント
 横浜からの第二陣、今度は遠江を攻めよう。といつものように唐突に決定するも、さぁてと、どこを攻めようかしらん。そうだ、高天神城を攻めよう。この城は、名古屋に単身赴任中に攻略しているが、当時はデジカメを所有していなかったため、記録は銀塩フィルムに収まっている。でもしかし、ディジタル化していないのだぁ。それはともかく、最近、信玄の本や家康の本などを再読しているのだが、この高天神城がとにかく頻繁に出てくる。信玄と家康の攻防の中心なのだから当然である。津本 陽氏の「暗殺の城」はこの城が舞台でもある。早めに目覚ましをセットし、5時半のまだまだ暗い時間に出っ発。前回の攻城では、夏用のメッシュジャケットの鎧を着ていたが、冬用のを着込み、寒さ対策を施して東名高速を西へ。足柄SA近くが、やはり一番寒く、ガタガタ歯を鳴らして御殿場で降り、R246とR1の下道と藤枝バイパス(400円は高い!)で、掛川までアッというまに着到。 まず掛川城を攻めますが、既に中まで押し入っているので、今回は外からのみの攻城。山内一豊時代の掛川城はどんな風だったか想像しながら、グルリを一周。一服した後、狙いの高天神へ。 
掛川城、石碑前にてにて
  県道38号線を南に下り、大東町へ。県道沿いに高天神城搦手門入り口の標識がありますが、これをやり過ごしてしばらく走ると、大手門への入り口の大きな標識が出現するので、ここを右折して大手門下の駐車場で下馬。前回は搦手門から攻城したので、今回は正々堂々と大手門から攻めるのでした。整備された登山道を登りますが、すぐに本丸に到着です。この城山は比高が低いのです。では、なぜ攻めにくかったのかというと、四方が切り立った崖になっているのです。三の丸、本丸、御前曲輪、二の丸というような順序で回りましたが、それぞれの郭の周りは急峻な崖になってます。空堀、堀切、井戸、土塁等の遺構のほか、石牢など、小説に出てくる場所が目の前にあると、妙な気持ちになります。でも、いただけないのが、御前曲輪跡にある、記念撮影用の、武士と姫の立看板。例の顔の部分が開いていて、ここに顔を突っ込み写真を撮ろうという、アレです。なんでこんなものを置くのだぁ! 攻城で命を落とした武士や名も無い兵に申し訳ないだろう。あえて、この風景を添付します。大東町の大きな恥ですから、是非とも「ご撤去を!」。それでも、登山道の整備や、本丸跡等の草刈などで、大変きれいにされていることには、大いなる敬意を表します。かなりの時間、マッターリしてから下山。この城は、立看板のマイナス面がありますが、強い思い入れもあり ◎ です。う〜ん、また来よう。今度来た時には、立看板が無いこと(くどいゾ)を祈ります。
高天神城址、石碑前にて 高天神城址、御前曲輪址の×
高天神城址、大河内氏幽閉の石窟 高天神城址、堀切址
  続いて、隣町の大須賀町の横須賀城へ、ここも二度目です。前回は地元の人に聞いても分からず、かなりウロウロしましたが、二回目ともなると、すんなり着到。県道69号線を走ると、城址公園への小さな標識がありますので、注意して走って下さいナ。本当に低い比高の芝生の丘が、この城です。駐車場があります、トイレもきれいです、案内板も整備されてます、当時の礎石など分かり易く復元されています、などなど。さてこの城は、高天神城を落とすため、家康が築城したものですが、城の周りは昔は海だった所です。現在では周りは住宅地や田んぼで、海岸線までずいぶん距離があります。地震で隆起したらしいのですが、とても信じられませんネ。国の指定史跡で、かなり詳細に発掘調査されており、その調査結果が説明板(陶板)になっています。城址公園化されてますが、なかなか雰囲気がある城です。ここでもマッターリして、次へ。
横須賀城址、石碑前にて 横須賀城址、本丸址
 県道247号線を走ると、黒田代官所の標識が出現。寄って行くかぁ、と愛馬を停めて周りをグルリと散策。代官所とはいえ、小さな城なみの環濠がきれいに残っていて驚きです。環濠の中の住宅・倉などもちゃんと残っていて全国的にも珍しい存在だとか。でも、ここでは長居をせず、次に。
黒田代官所の環濠
 県道245号線を菊川町方向に走ると、かなり山の中で、横地城への標識があります。ここを右折して、城址入り口の標識の所に愛馬を停め、攻城しようとしますが、工事中であったため、断念。少し先へ行くと、駐車場があり、案内板があります。どうやら、いくつも登り口があるらしい。ここから千畳敷へ向って登ろうかとも思ったが、先客がいたので、天邪鬼的にあえて工事中の登り口から、攻城開始。さすが、立入禁止の道だけあって、簡易舗装はされているものの、落ち葉や枝などが道全体を覆っていて、不気味な状態です。更に登ると幅は同じだが、落ち葉の無い歩き易い道となってきました。どうやら車が頻繁に通るらしい。この道をなおも登ると、「金玉落し」なる崖が出現。妙な名前だが、どうやらその昔に、軍事演習のために、金の玉を崖下に落として、これを持ち帰ることを競わせていたらしい。さらに進むと、首洗い井戸を経て、千畳敷に到着。立派な石碑があります。脇には二の丸跡に造られた横地神社が。土塁・空堀跡が確認できます。さらに進むと本丸跡です。僅かに土塁跡がありますが、本丸下には井戸・堀切・空堀・郭跡がありました。説明版も整備されていて、菊川町の意気込みが伝わってきます。
   偉いゾ > 菊川町
遺構は少ないのですが、横地城は味が有り、○ です。下山して県道をなおも進むと、集落に入ります。ここにも横地城への標識が。ここから登れば、車で楽勝に登れたんですネ。横地氏の墓や居館跡があるので、この道からも再度攻城。居館跡は現在茶畑になっており遺構は確認できませんでした。ここでUターンして帰路へ。
横地城址、石碑前にて 横地城址、藤丸氏居宅址
 ほぼ来る時と同じルートで、御殿場から東名に入り、横浜を降りてからは、保土ヶ谷バイパス・横浜新道と走り、帰着。何とか、夕飯前には「ただいま!」、ギリギリ間に合った。本日470Kmなり。
★ ホームページのトップへ