■   於曽屋敷  ■
■期日 H15年10月25、26日(土、日)
          【山梨県】塩山市・於曽屋敷、山梨市・連坊屋敷
■ルート 横浜自宅〜P22他〜厚木C〜R417〜相模湖T〜R20〜勝沼T〜P38
       〜山梨C〜R140〜秩父C〜R299〜正丸峠〜P53〜名栗V <泊>
       名栗V〜P53他〜飯能C〜P15他〜川越C〜R16〜厚木C
        〜R129・P22〜自宅
■コメント
 今回はアマ無線のSSTV仲間との「ご苦労さん会とコンテスト集計他作業」に参加するため、泊りがけなのである。目的地は埼玉県の名栗村。で、どういうルート行くかであるが、山梨市を経由し、雁坂トンネルで秩父に出て、正丸峠から名栗村に入ろう、という計画が単細胞的能天気コンピュータは、はじき出したのである。そうと決まれば、いつものように出発前日だけは、早めに就寝するHYDでした。ところが今週は疲れることが多かったせいか、起き出したのは5時半過ぎ、いつもより1時間も遅く、当然出っ発も6時半過ぎと先行き心配に。まぁ、それでも順調に、相模湖、笹子トンネルと下道を走り塩山市に。先ずは、於曽屋敷を攻めるのである。塩山駅そばの東京電力・NTTビルそば、という街の中心部のため、さほど時間を掛けずに現着。先ずは大きな土塁が待ち構えていた。住宅街の中なので、土塁横は住宅等であるため、迫力はイマイチであるが結構高い土塁である。これがほぼ四囲を囲んでおり、当時を偲ばせるゼィ。土塁内は公園になっており、ボランティアの人たちが花畑の手入れに勤しんでおられます。案内板によると、於曽氏の祖先が現在もこの地に居られ、城域は全て個人の持ち物だったようであるが、これを寄付して公園化し、屋敷跡を次世代に残されることにしたようである。う〜ん、すごいことである。ここは塩山市でも、一等地に近いはず、エライ!! 土塁と堀跡のみですが、なかなかの屋敷跡です。
於曽屋敷跡、土塁上からのショット 於曽屋敷址、入口
 続いて、お隣の山梨市へ。東山梨駅の裏手、国宝の「清白寺」すぐそばの連方屋敷を攻めます。ここも個人(一人ではなく複数人?)の所有と思われますが、郭内の住居・畑以外は手入れがされていないため、荒れ放題です。土塁と堀跡は確認できるのですが、デジカメではうまく撮れない。なぜならば、雑木や竹林が密生しているため、うまく撮れないのです。土塁の中は住宅・畑と、やはり雑草で荒れ果てた空き地になっており、当時の雰囲気は全く味わえず、残念。グルリを歩いてみたが、高い土塁跡や深い堀跡もあり、惜しいです。
連方屋敷址、石碑前にて 連方屋敷址、畑地からの土塁址
 さぁてと、続いて同じ山梨市の小田野山城を攻めるべく、R140から県道208号線に入り、城下地区へ。地元の人に登り口を聞いて、勇んで愛馬に鞭を入れ、鉄馬でなければ登れない細い林道を登りつめ、そこから徒歩立ちで登ります。でも行けども行けども、それらしい雰囲気は無し。う〜ん、道を間違えたかぁ? グズグズしていると、今日の集合時間に間に合わない。宴会にだけ参加じゃ、何を言われるか、分かったものじゃない、早々に切り上げよう。また来るからな、覚えておけよ、小田野城!
 R140に戻り、後は秩父市を目指して進みます。高い有料道路の雁坂トンネルを過ぎた辺りは、紅葉真っ盛りで風景を楽しみながら鉄馬に鞭を入れ(ヲイヲイ、こんな景色の良い所は普通手綱を引くだろうが)、一路秩父市へ。市内からR299で正丸峠手前で県道53号線に入り、九十九折れを下って、民宿に現着。
  <しかして夜になり、酔っ払いが民宿を占拠>
 あくる日曜は快晴に。こんなに天気が良いのに、今日はただただ帰るのみ。飯能、川越と進み、途中でR16で南下し、いつものように、長後街道で帰着。今回はアルコール疲れが気になるツーリングでした、お疲れさん、二日間でたったの345Kmなり。
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