■   勝山城・御坂城  ■
■期日 H15年11月8日(土)【山梨県】都留市・谷村陣屋・谷村城・勝山城・小山田館
                          御坂町・御坂城
■ルート 横浜自宅〜P22他〜厚木C〜R412〜津久井T〜R413〜道志V〜P24
       〜都留C〜R139〜富士吉田C〜R137〜御坂峠〜R137〜一宮T
        〜R20相模湖T〜R412〜厚木C〜R129・P22〜自宅
■コメント
 先週は車で田舎(飛騨古川町)に帰った関係で、鉄馬に跨れなかった。どうも毎週乗って、責めてやらないとヘタル気がしてしまうのは、ハマった中年ライダーのサガか。それとも電気系統の弱いBMWの鉄馬の宿命なのか。それはともかく、使用している開放型のBATTというのは、恐ろしく自己放電が激しく、驚き入っている。それはともかく今週は夜更かしが多くて、疲労が疲れ果ててしまっているので、今回の城攻めは近場に決定。具体的には、先ず甲斐の歴史の街・都留市である。厚木を経てR413で道志村へ。ここから県道24号線で都留市に入りますが、この道は ○ です。適度なワインディング、白い線ばかり、景色もグッーときちゃあ、思わずアドレナリンが放出しまくり。峠を過ぎて、下りで後ろ足(後輪)がズリッときて、危うくコケそうになってからは(オイオイ、事故ったらどうするのぉ)、抑制モードに移り、難なく都留の中心部、市役所へ。すぐそばに裁判所がありますが、この敷地は谷村(やむら)陣屋址です。残念ながら遺構は完璧に無し。石碑前で記念撮影をパチリして、隣の谷村第一小学校に行きます。
 この小学校と市役所が谷村城址だったそうです。小学校の片隅に石碑があるのみで、ここも当然遺構無し。
谷村陣屋跡
谷村城址
 ここから谷村駅横の線路を越え、大きな清流の桂川の小さな橋を渡って、川棚地区の勝山城を攻めます。ここは山城ですから、いくらなんでも遺構はあるだろうと期待しながら(実は半分諦めて)、整備された道を登ると、先ずは大きな空堀(内堀と表示されてましたが)が出現。おーっ、これはこの先期待できるゾ。更に進むと川棚見張台が出現し、往古を偲ばせてくれます。それほど雰囲気があるのです。ここから桂川の対岸に谷村城(市役所)が手に取るように近くに見えます。さらに上に行くと三の丸、二の丸、本丸と続きます。城址は公園化されていますが、まだ桜木が小さく少ないので、それぞれ雰囲気が良いです。この桜が太くなり、枝を大きく伸ばすと、城址のイメージと違ったモノになるんだろうなぁ、と考えたりしながらマッタリーとして下山。
勝山城址、川棚見晴台址、眼下に都留市 勝山城址、本丸下の帯郭址
勝山城址、本丸址にて 川棚見晴台址からの都留市街
 一旦市役所近くに戻ると、歴史の街・都留市の案内板があります。フムフム、色々城や館があるようですが、近場の小山田館(中津森館)だけを攻めることに。桂川の対岸の中津森地区にある、用津院が館跡らしい。寺の前から見る限りは、とても遺構らしきモノは見当たらないが、寺の後ろ側から眺めると、それらしい雰囲気は残っています。でも遺構かどうかは不明。というわけで、ここもソコソコに、次の城を攻めます。
小山田館址、現在は用津院
 R139から富士吉田でR137に入り、御坂峠を目指します。御坂トンネル手前から旧道に入り、新フェアレディZと猛烈なバトルを繰り返している内に、アッという間に峠の「天下茶屋」に到着(もっと楽しみたかったのに...)。ここで鉄馬を停め、旧御坂峠への道を歩きます。案内板には「旧御坂峠まで70分」と書かれてます、かなりの城攻めになりそう。まずは太宰治の石碑を過ぎて、階段状の整備された登山道の直登です。かなりの比高で、ここだけで結構汗をかいてしまいました。これを過ぎれば、後は楽だろうと油断してしまいましたが、ここから、結構アップ・ダウンを繰り返し、標高1500m(位だったような気がします)の御坂山に到着した時は、かなりアゴが出ていました。もうこれからは、ダウンだけだろうと又しても油断して進みますが、又してもアップダウンの連続で、なかなか峠には行き着けません。恐ろしや御坂城、と慄きながら進み、大きな送電線の鉄塔の下をクグって、しばらく進んでようやく遺構らしきものに遭遇。歩いてきた道のりからすると、こじんまりした遺構で、少々ガッカリ。でも注意して周りをよくみると、土塁や空堀など結構大規模な城であったことが分かります。ここで所期の目的を達成したので、実は一瞬戻ろうかとも考えたのですが、まだ峠には来ていないということで、もう少し進むことに。ここからグングン下って、峠らしき所に。ここには何やら茶屋のようなモノがあります。よく見ると周りには、遺構らしき雰囲気もあり、案内板も立ってます。どうもここら辺りが城の中心部らしい。ここまでトレーニング不足の私の足で50分、遠ーかった。それでも気力を振り絞って、峠を境に反対側へ登って行くと、極めて長大で深い空堀址と土塁址が出現、それも幾筋も。「おーーっ、何だこれは」と思わず声が出てしまいました(本当です)。まだまだ登りましたが、遺構はそこかしこに残っており、城の規模はとてつもなく大きいことが、ようやく理解できました。峠の案内板の所に戻り、内容を読んでいくと、どうも最近まで城跡だと分かっていなかったようである。どうりで遺構が当時を偲ばせるほどよく保存されていた筈である。人里から随分離れており、かつその所在さえ分かっていなかったからなんだぁ。旧御坂峠は、鎌倉街道を扼する所に築城されたことも納得。景色も良いことから、かーなーりの間マッターリして(実はバテてしまったため)、帰陣することに。いきなり「麓の天下茶屋まで100分」の標識があり、思わずガックリ。それでも帰らない訳にはいかないので、元来た道を忠実に戻ります。サスガ疲れたとはいえ、一度歩いた道です、今度は余裕のよっちゃん(ウソです)で、天下茶屋のある現御坂峠に到着、約45分の行程でした。ここで風邪をひいてはたまらじと、汗でグッショリの下着とその上のシャツを脱いで、ウィンドストッパーとジャケットのみになり鉄馬に乗るのでした。この城は行き着くまでが大変ですが、その分感激もヒトシオで ○ です。
御坂城への途中からの河口湖・富士山 御坂城址、長大な空堀
旧御坂峠にある案内板前にて 御坂城址、土塁址
 R137を一宮町まで行き、ここからは何時ものR20で相模湖町に。さらにR412で厚木を経てR129,県道22号線を経て自宅に現着。本当にお疲れさん、本日オール下道 260Kmなり。
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