■   葛尾城  ■
■期日 H15年5月18日(日)
     【長野県】佐久市・平賀城址、真田町・松尾古城址、上田市・矢沢城址
           坂城町・葛尾城址
■ルート 目黒自宅〜山手・目白〜練馬IC〜関越道〜花園IC〜R254〜
       佐久C〜R141他〜東部T〜P4〜真田T〜R144他〜坂城T〜
        R18他〜東部T〜R141他〜佐久C〜R254〜下仁田IC〜
         関越道から練馬IC〜目白・山手〜自宅  総距離 450Km
■コメント
 5月に入ってからまだツーリング無し、結構ストレスが溜っています。で、週の初めのご託宣では、「土日は雨」ときちゃあ、このストレスをどこにぶちまけようか、と考えていたんだが、金曜日のご託宣では土曜日△、日曜日●に変化。よーっし、土曜日は出掛けるゾ、と決定。But、土曜の朝起きると胃潰瘍の時と同じ腹痛が...。しかも痛みがそれより、はるかに大きい。これはマズイと本気で思い、出発を思い止め、良い子状態に。が、H2ブロッカーなんぞをいくら飲んでも効果なし。その内に悪寒も走ってきて、これは風邪かぁとようやく気付き、寝込む(というか、フラフラ状態で、寝られずにおられない)ことに。幸いなることに(?)、外は小雨に。今日出掛けなくて良かったワイ、と訳の分らなく脳内混濁。それにしても悪寒と腹痛がますます悪くなるのに反比例して、日曜日の降水確率はドンドン下がって30%以下に。これは、何が何でも、今日中に風邪を直して、明日は出陣じゃあ。まず、風邪と分れば、いつものように『葛根湯』とビタミンCの大量摂取。葛根湯を4袋、ハイC1000を5本を薬代わりにぶち込んで、布団の中でじーっとして、悪寒状態から汗が出るのをひたすら待ち、出た所で着替えて再度就寝。このままいけば、いつものように明日には回復するゾ。そう、「病は気から」なのです。昼間たっぷり寝たんで、日曜は朝の3時には、もう目が覚めたんです。まだ、直りきってなく体の節々が痛いが、ストレスよりはマシ。もう少し寝て、風邪の症状を再度確認して起き出して、よーっし出発。5時丁度。
 さすが勇者(普通は馬鹿という)、これしきりのことでは休まない。で、今回の攻城は信州・坂城町の葛尾城。池波正太郎氏の「真田太平記」を読んでから、攻めたかった城だが、最近読み始めた新田次郎氏の「武田信玄」を読み進むにつれ、更に拍車がかかりました。
 で、何時ものように関越の花園ICまで高速を利用し、ここからR254で佐久市まで順調に下道を。先ず以前に攻城失敗している平賀(ひらか)城を再度攻めます。前回は林道側から攻め上って分譲墓地まで行き、そこでスゴスゴ引き返したが、今回は反対側の住宅地側から攻めました。Webで、住宅地の奥に大手道があるという情報だけで進軍です。山懐に近づくと、大規模な分譲住宅地の案内があります。まだ分譲地は殆ど売れていませんが、最上部の宅地が売れていて、家が建っており、この横に城への大手道らしき道が有ります。山頂方向に伸びているので間違いないだろうということで、結構広い道を登って、ものの5分弱で本丸到着。幾つかの腰郭、空堀などが残っています。ここからの佐久平の眺めは、Goodです。朝(この時、8:00頃)のひと時を、こういう城址で過ごすのも良いですネ。暫しマッタリした後、次の城攻めに。
平賀城址、二の丸の石碑前にて
 一気に葛尾城とも思ったのですが、R18の途中で真田町へ回り道。実は、この県道4号線は楽しいんです。適度なワインディングで、全線殆どが白線、交通量も信号も極少。十分堪能した(ん〜、本当はマダマダ走りたいの心)頃、真田町に入ります。真田本城の標識がある所を曲がって、本城へ。ここは2度目の攻城です。ここからの真田町と上田平の眺めはGoodなのです。もう一回、県道4号線に戻り、500m程走ると「角間温泉」の標識が出てくるので、これを曲がると、松尾古城の案内板が出現。でも登り口の事は一言も書いて無し。地元の人に聞いても、城址というと本城しか教えて貰えなく、諦めモードに。でも角間川に沿って聳えるこの山が古城の筈だからと、なおもウロウロ。角間地区にある日向畑遺跡に、手がかりでもないかと登ってみると、案内板には、遺跡は真田氏の居館跡らしい云々が記述してある。ということは、この近くに登り口がある筈と、勇躍してウロウロ。すると、何かガサガサと音がして、一瞬 『ドキッ』。よ〜く見ると、少し離れた所を親子連れのようなニホンザル2匹がこちらを睨み付けています。こちらも睨み返すと、山側へ退散して行きました。おーっと、デジカメ・デジカメ、ってもう遅い。でも有りました、それらしき道が。角間川の下流に向って、水平に道は続いていますが、尾根の稜線からは直登の道になり、正直キツイです。喘ぎながら15分ほどで本郭に到着。切り立った崖のような上を歩くので、高所恐怖症の人と体力に自身の無い人はパスした方が無難です。でもこの本丸に着いたとたん、これらの苦労は吹っ飛びます。 途中、何回か石積みの遺構らしきモノを見たのだが、苔むしてなくて新しい時代のモノと判断してました。それにしても何のために石積みしたのだろうかと考えながら登って来たのだが、本丸に着いてこの疑問は氷解。何と本丸を囲むのは土塁ではなく、石塁なのです。こういう遺構は初めてで、すごく興奮しました。この石塁の石積みの方法は、途中の石積みと同じ方法で、苔むしてなく新しい時代のように見えることから、登っている途中のモノも、築城時代の遺構だということが分ります。う〜ん、スゴイです、一見の価値あり。しばし感動して、余韻を楽しみながら下山、次の攻城に。
松尾古城、帯郭の石積み遺構
松尾古城の本丸跡、回りは石塁
 今度は隣の上田市に入ってすぐの、矢沢地区です。矢沢といえば、そうです真田家・家老の矢沢氏の居城を攻めます。矢沢地区の奥まった所に在るという情報だったんですが、ウロウロしても分らず。地元の人に聞くと親切に教えて頂き、勇んで現在は公園になっている城址へ。家老の居城ということで、こじんまりしたイメージでいたのですが、結構規模は大きく、幾つかの郭跡が残存してます。各郭跡には巨大な石碑がいくつか建ってますが、どの石碑も城址とは関係ないモノばかり。案内板もなく、ガックリとしましたが、本丸跡に「古城に遊ぶ」の碑があったので、デジカメ・パチリで退散。
 上田というと、蕎麦、蕎麦といえば上田、という条件反射と、丁度昼めし時ということで、ヨダレまで出てくるパブロフ犬状態であるが、この時間では蕎麦屋の前は、長蛇の列は分りきったことなんで、ヨダレを飲んで諦め、ラーメンに移行。
矢沢城址、石碑前にてパチリ
 腹ごしらえを終え、いよいよメーンイベント。上田の隣町・坂城町の坂木神社へ。この辺りは村上氏の巨大な居館跡の一部だそうな。神社の裏から登山道が整備されていて、攻城開始。麓から山頂まで比高があるのは一目瞭然、こりゃあ手強いぞ。って、武田信玄も同じことを呟いただろうなぁ、等と思いを馳せながら、登っていきます。グングンと高度を稼いで登るのですが、一向に頂上辺りに近寄りません。結構走っている(山用語で早く歩くこと)筈なんだけれど...。30分を経過した頃、頂上らしきモノが確認でき、ようやく本丸着。ふーっ、汗びっしょり。やはり風邪が本復してなかったのか、それとも歳か、いやいやトレーニング不足かも。こんなにバテたのは久し振りです。で、肝心の葛尾城ですが、大きな堀切や本丸・二の丸・三の丸等の遺構が残存。他にも色々残っているような案内板の記述ですが、疲れ果てて未確認。さすが比高があるだけに眺めは良く、坂城町・上山田町が眼下に広がってます。汗が引くまで、景色を楽しみながらマッタリした後は、速攻で下山。
葛尾城址、本丸跡からの坂城町
葛尾城址、石碑前にて
すでに15時を回っているので、同じく速攻で帰城することに。違うルートで帰りたかったのだが、時間の関係で、来た道をそのまま帰ることに。途中、内山峠で小雨に遇うも濡れずに下仁田へ。本来なら、R254を花園ICまで走るんだが、病み上がりだから下仁田ICから高速に乗って(かなり軟弱)GO。何時ものように、2箇所で渋滞にハマるも、バイクの特権(その代わり高速代は高いし、一人しか乗れないし、他人の排ガスを吸わなければならないetc.)で、スリ抜けでコレを回避しながら、料金所着。普段の休日は、ここからは先は空いているのに、今日はNG。どうも事故で混んでいるらしい。環八交差点の谷原までイライラしながら、亀さんに。谷原からは楽勝で自宅に。でも夕飯に遅れること30分、小さな声で「ただいま」。 高速を多用した割りに距離は少なく、本日 450Km 也、風邪引きなのに、ご苦労さんでした、チャンチャン。
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