■   花澤城址  ■
■期日
  H15年6月8日(日) 【静岡県】焼津市・花澤城址・方の上城址
■ ルート
  目黒自宅〜山手通・R246〜沼津市〜R1〜藤枝市〜P81〜焼津市
  〜P213〜岡部町〜R1〜沼津市〜R246〜自宅  総距離:410Km
■ コメント
 土曜日は、アマ無線の仲間と、SSTV全国大会の後作業とご苦労さん会が予定されていて、出掛けられず。先週は土日とも●でダメ。で、頼みの日曜日も雨のご託宣で、2W続いて出掛けられないと、嘆いておりました。少なくとも土曜日の朝までは、●のご託宣が、土曜の夜では○になり、降水確率が20%以下に。う〜ん、日頃の行いが良いと、天も味方してくれるワイ。実は昨日のご苦労さん会でシコタマ飲んで、前後不覚態で帰宅したのに、無意識のうちに、目覚ましをセットして寝た辺りは、さすがハマった中年ライダー、恐ろしヤ。でも、寝不足と血液中のアルコール残量が多い状態では、早出は叶わず、6時過ぎになり、ようやく出発。今日は焼津方面へと出掛けるのでした。いつものように、R246とR1で藤枝まで走り、ここからP81で焼津に。東名・日本坂トンネル近くの花沢地区へ入り、「花沢の里」の数台が駐車できる駐車場から坂を登る道を登りきったところに、花沢城址の木碑が立ってます。おーっ、これは簡単に攻略できるぞ、と思ったのですが、その辺りをウロウロするも、それらしき遺構は無し。大きな石碑があるという情報を前もって得ていたので、探し続けますがNG。お茶畑で農作業をしている里人に聞くも、どうにもならない。諦めかけた時、通りかかった軽トラのオジさんに聞いたところ、親切に教えていただきました。さっそく、言われた道を登るも、「これは違うかなぁ」と思わず考えるほどの茶畑の狭い脇道の急峻なのを登りつめると、ようやくありました。本丸跡らしき所は、荒れ放題のミカン畑で、小さな神社が祀ってあります。帯郭のようなモノが確認できるもの以外の遺構は無し。案内板もありません。それにしても、茶畑というと、牧の原のイメージがあり、平地ではないにしても、ゆるやかな場所という認識でしたので、ここの急峻な茶畑には驚きです。ここを尋ねる人は居ないかもしれませんが、念のため行く方法を残します。「花沢の里」から標識の有る所まで来たら(この場所は5叉路くらいの複雑な所です)、左手の山側の農道を登り、100m程で二叉路になるのでコレを右に入り、50m程行くと左側に農具などを格納する小屋があります。ここの急峻で狭い農作業用の道を登りきると城址です。ミカン畑や茶畑で使用される、搬送用の小さなモノレールのようなものを辿ると間違いないと思います。城址はこれの終点です。                                        
花澤城址入口、でもここからが大変 花澤城址への登り口途中からの焼津市の眺め
花澤城址、本丸跡の石碑前にて
 続いて、岡部町−焼津を結ぶ県道を走り、方の上(かたのかみ)地区の上の方城を攻めます。県道沿いに立派な標識や案内図があるので、楽勝と又しても軽い気持ちで攻めますが、ここも探すのが大変でした。案内図では、烽火台の上部の山上に城址があるように描かれてます。で、烽火台の案内標識を過ぎて城址への入り口を探しますが、高草山頂上近くまで鉄馬で登っても農道沿いにはそれらしい入口無し。まぁ、ここからの焼津市・焼津港・太平洋の眺めは最高なんで、目の保養をして再度同じ道を降りて、烽火台の標識まで戻ります。ここで尾根伝いに上方へ登る道を探しますが、いずれも途中で途絶えています。諦めて、せめて烽火台までは行ってみようということに方針変更。こちらは、案内標識があり、迷わずに行けそうです。するといきなり掘割の遺構が出現、しばらく行くとまた掘割。途中土塁跡も出現し、曲輪跡も。変だなぁ、烽火台なら、掘割やら土塁やら曲輪は不要なんだが。と思いながら尾根の小高い部分を経て、少し降りたところに大きな石で囲った烽火台の跡があります。近くには経塚なんかも残ってます。これらの遺構を推測するに、どうも曲輪跡辺りが方の上城ではないかと思えてきます。よーっし、そういうことにしよう。そうでもしなければ、急峻な藪コギの苦労は報われない、本当に大変でした。
高草山頂上下からの焼津市内 方の上城址、本丸跡?
方の上城址、烽火台跡
 続いて同じ焼津市内の石脇城を攻めようかと思いましたが、寝不足とアルコール変調の体では、すでに精も根も尽きて残ったエネルギーは殆ど無し。このまま帰ろうという、弱気モードに突入。来たときと同じルートで戻ります。途中、伊勢原周辺で渋滞にハマルも、すり抜けで回避し、厚木を経て帰着。本日オール下道の410Kmなり、本当にお疲れさんでした。
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