■   堀越御所  ■
 

■期日  H15年2月22日(土) 【静岡県】修善寺町・柏久保城址、
       韮山町・伝堀越御所・蛭ヶ小島館
■ルート 目黒自宅〜山手通・R246〜東京IC〜東名・厚木小田原
       〜小田原西IC〜R135〜熱海〜R135〜伊東市〜P12〜
       修善寺町〜R136〜三島市〜R1〜沼津市〜R246〜
        大井松田IC〜東名高速〜東京IC〜R246・山手〜自宅
                             総距離:300Km
■コメント
 昨年の12月15日の事故以来2ヶ月ぶりの城址ツーリング。昨晩は興奮して寝つくまで時間がかかる始末。前の日の11時気象庁よりのご託宣では、土曜は晴れって、アレほど言っていたのに、17時の御託宣は昼から雨の確率が50%、なめておられるのでしょうか>気象庁さん 。念入りに攻城戦略を立てていたのに、計画はご破算に。ということで、昼過ぎまで望天観測をして、ヤバそうだったら早目に帰ろうというアバウトな計画に変更して出発。前回同様、小田原までは自動車道を利用して、後は下道で一路伊豆半島を目指します。伊東市から県道12号線で山側に入り、今日の最初の目的地『鎌田城』へ。同市の鎌田地区に入りウロウロするも、城へは到達できず。地元の方に聞くも、「知らない」、別の人は「山向こうにならあるよ」ってことは、発見するまで時間がかかりそう、今日は昼から天気が危ないんで、諦めて次ぎの城攻めに向かいます。中伊豆町に入り、前回の事故現場を確認(何か不思議な気分、記憶と随分異なる位置関係)して、修善寺町に入ってすぐ山側に鉄馬を進めます。柏久保地区の小さな一宮神社の裏山が、目的の柏久保城です。神社に向かって右側の整備された登山道を登って10分、本丸に到着です。本丸は細長くて狭いですが、立派な城址の石碑(北条早雲城山砦址)があり、またその横には中規模な木の祠がありました。ここからの眺めは前回の修善寺城より ○ です。一部石垣の土塁址や帯曲輪なんかも確認できます。

柏久保城址、本丸と土塁址 

柏久保城址、本丸跡の石碑

続いて、隣の大仁町へ。狩野川沿いに切り立った崖の山が出現しました。甲斐の岩殿城と同じように切り立っていて、高さも同じ位。この山、城山(じょうやま)と言って、金山城址があるのですが、麓まで行って登るのは諦めました。案内板には、頂上まで一時間半以上かかる、と書かれているんです。午後から雨の予報ではしょうがないですネ。さぁてと、続いて隣の韮山町に入り、先ずは伝・堀越御所に侵攻です。伝となっていますが、10回以上の調査で間違いなく、御所のようです。ただ、遺構は見当たらず、残念。

堀越御所址と新しい鉄馬F650CS

引続いて、同じ市内の蛭ヶ小島へ。ここは、その昔に源 頼朝が配流された所です。「蛭ヶ小島」と言うので、当時の公家などは、伊豆七島の一つくらいに考えていたようです。私もずーっと、そう思ってました。日経の新聞小説『平家』(池宮彰一郎氏)を読むまでは。狩野川の中州ですネ、奥行きの大きな立派な石碑があります

蛭ヶ小島の石碑と新しい鉄馬F650CS 

この韮山町には沢山の城址等があるのですが、何やらポツポツしだしたんで、帰ることにします、残念。隣の清水町にも行きたい戸倉城があるし、三島市の山中城も久し振りに再訪したかったんですが、全てアキラメます。新しい相棒との初ツーリングが【雨でビショ濡れ】じゃ、悪いよなぁ。ということで、急いでキビスを返すことにして奮発して、東名を使って帰ろう。途中、ポツポツが止んだのを幸いに、R246で大井松田まで下道、ここからは高速に上がり、夕方までに我が家へ。東京は18時以降が降雨60%なんでした。急いで帰り、セーフでした。

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