■ 堀越御所 ■ |
||||||||||||||||||||||||||||
■期日 H15年2月22日(土) 【静岡県】修善寺町・柏久保城址、 |
||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||
柏久保城址、本丸と土塁址 |
柏久保城址、本丸跡の石碑 |
|||||||||||||||||||||||||||
続いて、隣の大仁町へ。狩野川沿いに切り立った崖の山が出現しました。甲斐の岩殿城と同じように切り立っていて、高さも同じ位。この山、城山(じょうやま)と言って、金山城址があるのですが、麓まで行って登るのは諦めました。案内板には、頂上まで一時間半以上かかる、と書かれているんです。午後から雨の予報ではしょうがないですネ。さぁてと、続いて隣の韮山町に入り、先ずは伝・堀越御所に侵攻です。伝となっていますが、10回以上の調査で間違いなく、御所のようです。ただ、遺構は見当たらず、残念。 | ||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||
堀越御所址と新しい鉄馬F650CS |
||||||||||||||||||||||||||||
引続いて、同じ市内の蛭ヶ小島へ。ここは、その昔に源 頼朝が配流された所です。「蛭ヶ小島」と言うので、当時の公家などは、伊豆七島の一つくらいに考えていたようです。私もずーっと、そう思ってました。日経の新聞小説『平家』(池宮彰一郎氏)を読むまでは。狩野川の中州ですネ、奥行きの大きな立派な石碑があります | ||||||||||||||||||||||||||||
蛭ヶ小島の石碑と新しい鉄馬F650CS |
||||||||||||||||||||||||||||
この韮山町には沢山の城址等があるのですが、何やらポツポツしだしたんで、帰ることにします、残念。隣の清水町にも行きたい戸倉城があるし、三島市の山中城も久し振りに再訪したかったんですが、全てアキラメます。新しい相棒との初ツーリングが【雨でビショ濡れ】じゃ、悪いよなぁ。ということで、急いでキビスを返すことにして奮発して、東名を使って帰ろう。途中、ポツポツが止んだのを幸いに、R246で大井松田まで下道、ここからは高速に上がり、夕方までに我が家へ。東京は18時以降が降雨60%なんでした。急いで帰り、セーフでした。 | ||||||||||||||||||||||||||||