■   神宮寺城址  ■ 

■期日  H14年11月17日(日) 【茨城県】茨城町・飯沼城址・
              天王(宮ヶ崎)城址、桜川村・神宮寺城址、
              鉾田町・田山館址・徳宿城址・野友城址、
              江戸崎町・江戸崎城址
■ ルート 目黒自宅〜山手通・環七〜青戸〜R6〜茨城町〜P16〜
        涸沼〜P〜鉾田町〜P2他〜霞ヶ浦〜R355,R51〜潮来市
        〜R125〜桜川村〜P〜江戸崎町〜P25他〜牛久市〜R6
        〜日本橋〜R1・山手〜目黒自宅   総距離:330Km
■ コメント
 HMSでの教習中に、大転倒で肩の靭帯を痛め、その後かなり痛みが引いて、喜んでいたのだが、最近また痛み出した。オマケにニブイ痛みの腰痛も重なるものだから、バイクに乗って更に悪化したらどうしよう、という強い不安を抱きながらも、ハマッた中年ライダーは、今日も鉄馬に跨るのでした。予報は曇りだが、風は弱そう、まぁまぁの天気じゃあ、ってんで防寒の重装備で、R6を北上。日曜日なので、遅く家を出た割に順調に牛久沼の端っこまで到着。ここから市内を抜けるのにいつも時間を要しているのだが、やはり日曜日、順調にやり過ごして、高速道のような土浦バイパスも過ぎ、最初の目的地の茨城町に到着。まず飯沼地区・川根小学校近くの福性寺境内と接している飯沼城の攻城です。山城と考えてましたが、平城で難易度はA。規模は小さいですが、土塁・空堀が残っています。曲輪内は芝生のゲートボール場になってます。小さいので、「あっ」という間に攻城完了。さあ、次行こうかぁ、と思って鉄馬に乗ろうとして、ナニゲに下を見ると、銀杏が。どうりで、何か臭った筈だぁ。その場で、コンビニ袋に銀杏を入れるのでした。足で踏みつけて中のタネ部分を取るようなことはしませんとも、手でタネ部分を取り出し、袋に入れ続けます。飛騨の山猿大王は、手でヤルのが似合うのです。勿論、この程度でカブれるほど、ヤワにはできてません。ビタミンE(?)が豊富だという話なので、冬の間は、これを食することに。

飯沼城址、入口と土塁

今度は涸沼の辺(ほとり)を走りだしてすぐの、同町・宮ヶ崎地区の天王(宮ヶ崎)城を攻めることに。ここは以前にも攻めたことがあるのですが、場所が分からず退散した経験があり、今度は地元の住民探しからスタート。折り良く第一村人発見、オアツラエ向きのジイ様です。場所を訊ねると、答え一発。以前にもウロウロした場所のすぐ近くでした。でも現場近くまで行っても、特定できず。しかし都合の良いことに、畑の中に第二村人発見。丁寧に教えていただきました。3/4程の四囲が空堀で防御されているのですが、その堀は竹林になっていて、一目どころか、じっくり観察しても堀とは分かりません。畑で作業していた、第二村人さんに教えて貰わなければ、分からなかったです。土塁と涸沼側の急峻な斜面(崖といってもOK)で防御された城で、曲輪内は畑になってます。石碑・案内板の類は無し。竹林等で囲まれていて、曲輪からの涸沼の眺めはNGです、残念ですが。

天王城址、本郭と土塁跡

 次は涸沼から南下して鉾田町へ。途中、徳宿小学校近くの田山地区(といっても民家は殆ど無し)に寄り、田山館を攻めることに。う〜ん、ウロウロの二乗ほど走りまわってもそれらしき所は見つからない。人に聞こうにも、誰も居ない。困っていると、散歩のジイ様が。おーっ、助かった。早速訊ねると、親切に教えて貰えた。昔はそこで「戦ごっこ」で遊んでいたらしい。でも現在は、笹藪繁茂がすごく、道も消え入るばかりの状態で、途中でギブアップ。まぁ、あそこまで行けたんだから、攻城したことにしよう、昔日面影無。

田山館址、入口

 ここから少し南下し、徳宿地区へ。ここの徳宿城は県道沿いに案内標識が有り、難なく到達。ここも規模は小さいです。丘城で難易度はA、楽勝で本郭に。帯曲輪・空堀・土塁等が確認できます。雑木林で覆われており、ここからの眺めもNGです。案内板に記された徳宿城主の弟が築城した安房地区の三階(さんがい)城を攻めようとしましたが、色々な地元の人に聞きましたが、敢え無く退散。う〜ん、残念。時間だけ費やしてしまったゾ。

徳宿城址、入口

続いて同じ町内の野友地区の野友城を攻めることに。先ずは野友小学校へ行き、参考となるようなものを探すことに。校庭では、運良く運動会のようなことをしており、ジイ様を探すことに方針変更します。居られたゾ、物知りなジイ様が。教えて貰うと、しばらく考え込んで「この先の丘の上だ」ということで、鉄馬を走らせます。ちょっと登って、本郭と思しき場所に到達。途中、帯曲輪・空堀の遺構を発見。ただ、ここも竹繁茂で、遺構全体がどの様になっているか、さっぱり分からず。石碑・案内板等は見当たらなかったが、小さな石祠や遺構から、間違いないと判断して、攻城完了 (ということにしておこう、しょうがないなぁ)。 

野友城址、空堀跡

 ストレス満タン状態で県道を更に南下し、北浦を横手に見ながら更に南下。霞ヶ浦に出た頃は、超走りやすい県道だったため、アドレナリンを放出し過ぎで、ストレスも霧散。続いて、桜川村の神宮寺地区・神宮寺近くの神宮寺城を攻めることに。先ずは、分かりやすい神宮寺を訪れ、境内の土塁なんかを眺めて、近くを散策するも遺構は見当たらず。ひょっとして、境内の土塁だけが遺構の城かぁ、と判断してしまいました。期待して来たのに、とブツブツ言いながら次の城をどこにしようか決めて、走り出して暫くすると、案内板が通りすぎて行きます。結構なスピードの筈だったが....。恐るべし、中年ライダーの動体視力! Uターンして案内板を見ると、何と神宮寺城のことが書かれているではないか。県道の脇の奥に本郭があるらしい、早速、攻城に。すると、いきなり大規模な空堀が出現。続いて、高い土塁も。おーっ、これは...、
絶句。規模は小さいが、遺構は良く残っております。惜しむらくは、やはり竹が林立して、行くてを妨げるのと、全体像が大変分かりづらいこと、暗くてデジカメで撮影不可、ということ。この竹が無ければなぁ、 ○ なんだけどなぁ、(溜息×2)。しばし、マッタ−リして次の城へ。

神宮寺城址、入口

神宮寺城址、大規模な空堀跡

今度は江戸崎町の中心部・江戸崎地区の江戸崎城へ。鹿島神社を探し当て、隣の江戸崎小学校の校庭を突切って、最高地点の郭跡へ、ここも楽勝に行けます。ただ、あまり遺構は見当たらず、石碑・案内板もありませんネ。案外、下の神社の境内が、本郭跡だったりかも、帰って要調査ネ。

江戸崎城址、鹿島神社と土塁跡

この後、県道25号線等を走り、牛久市からR6に入り、暗くなった柏市(ここがいつも渋滞)を抜け、無事帰城。ふう〜っ、お疲れ様でした、本日下道のみで330Kmなり。 チャンチャン。

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