■ 海ノ口城址 ■ | ||||||||||||||||||||
■期日 H14年7月20日(土) 【長野県】南牧村・海ノ口城址(攻城失敗) |
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若神子城址・復元狼煙台 |
若神子城址・薬研堀跡 |
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次ぎは、同じ須玉町内の獅子吼城址を狙いますが、分かり難い場所だと下調べで分かっていたので、須玉町の歴史資料館へ行き、そこで聞くことにしてました。で、現着して館員の方に聞いたところ、「このあいだの台風で途中までの道が通行止めであること、城址への登山道がこれまた土砂崩れで、分かりづらくなり、熟知した人と一緒じゃないとマズ無理である」とのご託宣。う〜ん、今日も先行きが不安、とりあえず諦めモードに移行。 |
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若神子城址よりの須玉町、遠くに富士山 |
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R141よりの八ヶ岳連峰 |
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で、本当の狙いの海ノ口城址へ鉄馬を走らせます。途中、八ヶ岳連峰の稜線がきれいな所を通り、野辺山を経過し、海ノ口まで到着。ここから右折して、海ノ口大橋を渡り、トンネルを抜けたところで左折し、林道へ。ここから大芝峠を目指します。峠には簡単な案内板があり、城山、城址へのハイキングコースが在ることが確認できます。周りを色々探しましたが、このハイキングコースの入口は分からず、少し戻ったところの、怪しい道を登ることに。ここまでは、事前に下調べした、Web上の経験者の手記通りです。よしよし、今日は攻略できそう。でその道を登りますが、途中から道は無くなり、稜線上を歩いて、城址と思われる所まで到着。ここまでも、下調べ通り。でもでも、何か変。っていうか石碑も案内板も無い城址は多いですが、これだけ有名な城址で、地元の観光案内にも出ている城址が、道も無いような所に存在しないし、石碑の一つも有ってもおかしくない、と考えるとやっぱりおかしい。でも先達者はここが城址だと思っているらしいし....。まぁ、いいか。攻城したことにしようと考え、帰ることにしました。帰りも道無き道を辿り、元の大きな道に出た時は、正直「ホッ」としました。 |
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大芝峠の案内板 |
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今日は、奥方の両親が来ることになっているんだった、忘れていた。さあてと、早く帰らなければ(っていうか、相方の両親が来る時は出掛けないだろう、普通)。で、芸はありませんが、来た道をそのまま戻り、帰城することに。途中、厚木に入ったすぐのところに、「山中城址」の看板が有ることを思いだし、途中下馬。何と、厚木にお殿様が居たと案内板に書かれております。フムフム、と読んでいくと、山中城址というより、荻野・山中藩の陣屋跡ということが分かりました。でも、郷土の人の熱い、篤い思いで、「山中城址」という立派な石碑が。 |
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山中城址石碑前にて |
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両親が来るということ、で速攻帰城。来た時と同じ道を、さらにそのまま帰ることにして、ムチを入れて、渋滞した都内を抜けて帰宅。まだ、両親は来ていない、ふ〜っ、セーフ。本日は、430Kmなり。 |
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