■   平井・小幡城址  ■

■期日 H14年4月28日(日) 藤岡市・平井城址・金山(平井詰)城址、
       甘楽町・庭谷城址・麻場城址・小幡城址・国峰城址、
          富岡市・七日市藩邸址
■ルート 目黒自宅〜山手・目白通〜練馬IC〜関越道〜花園IC
       〜R254〜藤岡市〜P〜平井〜P〜藤岡市〜R254〜
       甘楽町〜P〜富岡市〜R254〜花園IC〜関越道〜練馬IC
       〜目白・山手通〜目黒自宅     総距離:310Km
■コメント
 今日は群馬県南部、とりわけ甘楽町を中心とした中世の攻城予定です。先ずはホームページなどで十分な下調べを、と思うのですが何時ものパターンで、中途半端状態で出発。そう、ケセラセラといういつもの調子です。このスタイルを変えると、雨が降ってきたり、タチゴケ事故のモト。今日のコースは登山に近い、結構な山城攻めがあるので、時間短縮をはかるため関越を利用します。といっても、首都圏を脱出出来ればOKですので、いつものように花園ICで降りて、R254をひた走ります。R254は黄色い線が多く、前方に土砂満載ダンプでも走っていると、ストレスが一杯に溜まりますが、信号が少ないので比較的走りやすい国道です。藤岡市から県道に入り、少し走ると藤岡市郊外の平井城址に到着です。おーっ、何と土塁の上に幾つも旗幟がはためいている。城址の案内板によると、かなり規模の大きな城域ですが、現在では農地・宅地化が進み、県道側の遺構は見られませんが、反対側には、河岸段丘を利用した天然防塞の遺構や空掘・土塁跡などが残っています。個人の敷地になっている部分が多いので、全体像がイマイチ、イメージできませんでした、残念。でも案内板は整備されていて、素人の歴史好きにはありがたい配慮があります。                               .

平井城址、空堀

平井城址、入口にて

 平井城をアトにして、次の目的地は平井城の詰め城である金山城址に向かいます。さほど離れていませんし、場所もすぐに分かりました。さすがに、ここには旗幟は立ってませんでしたが。ここはかなり本格的な山城です。麓から上を眺めても、結構距離や高低差がアリアリ。でも、日頃鍛えている中年ライダー(元山岳部でもある)は、躊躇せず登り始めます。
   【ここで唐突に山道の歩き方指南】
なぁに、簡単です。ゆっくりと、歩幅は少なめで、リズミカルに、そして足裏全体で登れば良いのです。あと、チョコチョコと休まず、30分位は歩きつづける方が、疲れませんネ。それと、転ばないように足元だけを見ていると、折角の景色が見られませんから、周りもよく見て歩きましょう。地図無しで登るので、迷子になった時にも、引き返すことが楽ですしネ。
   【指南終わり】
で、途中の空堀や曲輪・物見櫓跡などを見ながら山頂の本丸跡に到着。ここからの見通しは良くありませんが、途中で眺望が良い場所が有ったので、堪忍してやることにしましょう。一服後(もう禁煙してから丸10年以上経過、よって正しくは体を休めて)、下山。 

金山(平井詰)城址、長曲輪跡

 次は甘楽町へ移動。この町は観光に力を入れているものと思われます。色々と案内板や標識があり、下調べを程ほどにしているHYDとしては、大変有りがたいです。走っていると偶然「庭谷城址」の標識が。急ブレーキ(ウソです、怖くてかけられません)をかけて、庭谷城址へ。城址に近づくにつれ、道に迷いましたが、無事到着。本丸跡は、現在神社になっています。周りには土塁が残っており、堀跡と思われる所もあります。当時の城域がどの程度か分かりませんが、川を背にして堅固な城だったんでしょうネ。簡単な案内板がありました。     .

庭谷城址・本丸跡、土塁が見える

 続いて麻場城址へ。ここも途中に標識を発見し、あまり苦労せず到着。城址公園として整備されてますが、どういう訳か駐車場のようなモノはまだでした。規模の大きな空堀(多分、最近復元したはず)に圧倒されます。土塁・虎口も復元されたような感じです。でも、模擬的なモノではないので、 ◎ です。丘城と呼んだ方が良いような城址で、高さは低い場所ですが、城にしたくらいですから、ここからの田園風景は良いです。

麻場城址、一の郭(本丸)跡

 さて、有名な小幡の城下町へ向かいます。風情のある城下町です。私の実家も城下町でそれなりに風情が色濃く残っています。が、大きく異なるのは、飛騨では用水路が道の左右に有るのが、ここ上州では(全部かどうかは分かりませんが、白井の城下町でもそうでした)、道の真中に用水路が走っているのです。昔は生活用水だった筈で、それが往来の真中に有るのには、戸惑いました。でも、風情はこちらの方があります。城下町探訪の後、目指す小幡城址へ。でも、町並みの風情から期待していたほど、城址は全く整備されていなく、荒地そのものでした。大名庭園の跡(勝山園)が美しく残っていて、一見の価値があります。観光客もそちらに目がいって、本丸跡などには、誰も気がいかないんでしょうネ。

上州・小幡城下町、町を流れる用水路

小幡城址、大名庭園・勝山園にて

小幡城(陣屋)址、御殿跡

 さて、この地には、尾張から離れているのに何と織田家の墓が有るのです。織田信長の強烈な個性や指導力、洞察力、.....、に強く引かれ、彼に関する史跡をアチコチ巡りました。彼の子供の信孝の墓にも行きましたので、もう一人の信雄の墓を参れることが出来たのは、良かったです。彼の子孫を含めて七代までの墓が有ります。                                                .

甘楽町、織田信雄の墓にて
 

 続いて、秋畑の峯城址の攻城ですが、残念ながら場所分からず、また今度ネ。さて甘楽町最後の攻城は、国峰城址です。ここも途中に城址への標識があり、少しの苦労だけで、現着。でもここは、本格的な山城だなぁ、気を引き締め登山モードで、薄暗い山道を。途中から見通しがよくなり、竪堀や曲輪跡を眺めながら頂上の、国峰城址の本丸へ。2組のハイカーとすれ違ったことを考えると、甘楽町はハイキングコースも整備して観光客を誘致していると思われます。城址攻略もその分、楽が出来ます。さぁ、そろそろ帰ろうか!

国峰城址、本丸跡にて

 帰る途中、富岡市内で旧そうな建物発見。よく見てみると、七日市藩邸跡の標識が。おーっ、七日市藩なんていうのが在るんだぁ。ともかく停まって中へ。富岡高校の敷地内に、邸宅の玄関と思しき建物があり、案内板はないものの、間違いないだろうということで、デジカメで2〜3枚撮ってきました。まぁ、帰りがけの駄賃にしては、よい建物でした。 .

七日市藩邸址

 このあと、来た時と同じ道のR254で、お帰り。ご苦労さんでした。

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