■   後閑・高津戸城址  ■

■期日  H14年4月6日(土) 安中市・鷹ノ巣城址・後閑城址、
                               榛名町・松山城址、大間々町・高津戸城址
■ルート 黒自宅〜池袋〜R254〜北町〜R17・R50〜前橋C
       〜P40他〜高崎C〜R18〜安中C〜P48他〜榛名T
       〜R406〜高崎市〜P40・R50他〜大間々町〜P73
       〜伊勢崎C〜R17〜北町〜R294〜池袋〜山手通
        〜目黒自宅           総距離:350Km
■コメント
 さぁ、今回も北上して、群馬県南部の中世の攻城を中心に城攻めです。過去、何回か挑戦して見つからなかった鷹ノ巣城址からスタートです。5万分の1の地図にさえ表示されている鷹ノ巣城址ですが、これが分かりません。今回はウロウロ探しても無駄なことは分かっているので、土地の人に教えてもらう作戦で行きます。ちょっと安易ですが、時間のこともあるので、しょうがありません。自分で探したほうが、喜びもヒトシオなんですが、何回も失敗し後なので...。        ところが、ところが、これが難しい。聞く人、聞く人、皆さん「知りません」です。かなりの年配の方にしてからそうなんです。う〜ん、今回も失敗か。何人かに聞いた後で、物知り顔のオジさん発見。聞くと、「鷹ノ巣山ならあの山だよ、でも城址があったかなぁ...」でした。え〜い、ままよ、行ってみよう。かなり地図と離れている場所のような気がしたのですが、とにかく攻城します。でもそれらしき城址は見当たらず、スゴスゴと諦めモード全開に。タマタマ近くで農作業をしている人に、これが最後だぁ、というつもりで聞いてみると、何ということか、「あ〜、それならウチの庭が二の丸だよ」と教えてくれました。自分の庭が二の丸とは驚きです。場所も確かに分かりづらいところでした。早速教えてもらった場所へ直行。なるほど、なるほど、果樹園のようなところに土塁や空堀跡があります。個人の敷地なので予め断ってからデジカメで撮ってきました。宅地化が進むと、消え去るのだろうなぁ。特に案内板も、石碑もありませんが、高崎○○マンションの近くでした。正確なマンション名の○○は失念しました。                            

鷹ノ巣城址、土塁跡

鷹ノ巣城址本丸跡付近からの安中市

 続いて同じ安中市の後閑城址に向かいます。ここはすぐに分かりました。城址公園として整備されており、説明案内板も整備されてます。土塁堀切、曲輪跡等が残存してます。規模は大きく、小山全体が城址です。

後閑城址、本丸跡

後閑城址、大きな堀切

 続いて今度は、榛名町にある松山城攻めです。下室田地区にある金毘羅神社の境内に城址はありますが、特に説明板等はありませんでした。一部に土塁跡が残存してますが、しっかりとした形では残っておりません。曲輪の跡と思われる場所もありましたが?です。

松山城址、曲輪跡?

 この後、大間々町まで戻って、渡良瀬川の崖上にそそり立つ要害山を自然の守りとした高津戸城址へ進軍です。整備された遊歩道(でもかなり急峻な道)を歩くこと約10分、ようやく本丸跡に到着です。ここからの眺めは、あまり良くありませんが、途中の遊歩道からの景色は最高です。曲輪や土塁跡などが残っており、典型的な山城を楽しむことが出来ます。

高津戸城址、本丸近くの土塁跡

高津戸城址への遊歩道からの大間々町

 このあと、県道で伊勢崎を経由して、R17で帰還。お疲れさんでした。 

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