■   躑躅ヶ崎館址  ■

■期日  H14年6月2日(土)【山梨県】岩殿城址、甲府城址、
        要害城址、躑躅ヶ崎館址、新府城址、能見城址
■ルート 目黒自宅〜R246〜厚木〜R412〜相模湖〜R20
       〜大月〜R20〜甲府〜R20〜韮崎〜R140〜佐久
       〜R254〜寄居〜R140〜花園IC〜練馬IC〜目黒
                     総距離:430Km
■コメント
 上杉謙信とくれば、武田信玄ということで、いざ甲斐の国に。実は躑躅ヶ崎館(武田神社)には、名古屋に単身赴任で居た時に、遠征していたのですが、また行きたくなって訪れました。まずは大月の岩殿城です。市内から見える垂直の岩壁の山の頂きが、岩殿城です。守りやすいんでしょうけれど、この城から
 攻めるのは難しいでしょうネ。現在は登山道が整備されて登りやすいですが、とにかく垂直に近い山ですので、大変です。息を切らしながら山頂への道を登りますが  眼下の大月市内と遠く富士山の眺めは最高です。門跡など遺構も残存してます。

岩殿城址遠望

 登山客と挨拶を交わしながら下山し、今度は甲府駅に近い甲府城址へ。穴太積みの石垣跡が残っており、変な模擬天守閣が建っていないんで、かえって往時を偲ぶことが出来ます。さすが堀跡はかなり消失してます。

甲府城址の石垣

 続いて甲府市北部の要害城址へ。ここでも登山客が多く、挨拶を交わしながら(前を行く人を追い抜いて.....日頃の体力強化のお陰)、整備された歩道を20分以上も登って本丸へ。途中多段になった数多くの曲輪跡は壮観。  竪堀、曲輪、空掘、土塁、門跡など遺構が数多く残存。                   .

要害城址の主郭(土塁が残存)

帰りは飛ぶようにして下山。甲府市内に戻る途中にある躑躅ヶ崎館へ。さすが、ここは観光客が多いので、早々に退散。信長はこの館を貧弱な城とバカにしたようだが、居館と考えれば、なかなか立派な気がするのだが。

躑躅ヶ崎館跡前にて

 ここから韮山の新府城へ、ここも2回目の訪問。武田軍団の長篠合戦で討ち死にした将校クラスの多くの小さな慰霊碑が悲しい。         .

新府城址の石碑前にて

 この後、新府城の出城(?)の能見城を訪れたが、城址の看板が有るだけで、遺構などは何も無し。
    「なめとるんかぁ、韮崎市!!」

能見城址の看板前にて、遺構は見当たらず

 この後、好きな道であるR140で緑のトンネルや八ヶ岳連峰を眺めながら佐久へ。今回は、岩殿城・要害城の2山城の攻略がキツクて、体力消耗。このため途中の城址探訪は止めて、R254のワインディングを楽しんで、内山峠を越えて寄居・花園ICへ、ここから高速で練馬ICまで、渋滞した都内を抜けて帰宅。ふ〜っ、疲れた、430Kmなり。

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