■   白井・山上城址  ■

■期日 H14年3月16日(土)
   【群馬県】北橘村・箱田城址、子持村・白井城址、新里村・山上城址、
      粕川村・膳城址・女渕城址・中村城址、赤堀町・赤堀城址
■ルート 目黒自宅〜池袋〜R254〜志村〜R17他〜前橋・渋川〜
       R353他〜粕川〜R50他〜赤堀〜R17〜志村〜R254〜
        池袋〜目黒自宅       総距離:320Km

■コメント
   随分、暖かくなってきました。今回は北上し、群馬県南部の中世の攻城を予定です。小さな城址が多いので、先ずはホームページなどで下調べを。予想通り、探し出すのが難しそうな城址がありますが、見つからなければパスして次の城址を、という何時ものパターンで、いざ出発。最初は箱田城址です。利根川の河岸段丘の上に築城されており、現在は大きな旅館のような、それでいてホテルのような建物(保養所?)が建っています。土塁や曲輪、追手門、搦手門、塵除等が結構残っています。本丸跡からは、遠く関東平野が一望され、また榛名山が遠望でき、なかなかの景色です。

箱田城址、本丸下からの榛名山

 次の目的地は、もっと上流の渋川市の先、子持村の白井城址です。子持村は、宿場町として有名です。街中に水路が走り、昔の宿場の面影が色濃く残っております。城址は町の中心部から随分離れており、探すのが大変でした。でも、空掘りや土塁などの遺構がきれいに残っており、探訪して良かったです。結構、本丸近くの遺構だけでなく、かなり外側の堀跡も残っており、大規模な城であったことがうかがえます。

白井城址入口付近の空掘

白井城址・本丸跡、周りは土塁が残存

白井城址入口
 

 次は南下して、赤城山山麓の城攻めです。先ずは新里村の山上城址を攻略します。現在は城址公園になっており、比較的探しやすいのですが、遺構は土塁が少し残っている程度です。

山上城址

 続いて隣村の粕川村にある三城の攻城です、最初は膳城址です。ここも比較的分かりやすい所でした。空掘がよく残っており、土塁も一部残存してます。立派な石碑も建ててあり、地元の人の誇りが感じられました。畏れ入りました。    (#^.^#)

膳城址、入り口

膳城址、堀切

 粕川村の二城目は、女渕(おなぶち)城址です。この場所は分かりづらかったです。土地の古老の人に聞いて、ようやく分かりましたが、公園整備化されていて、面影が全く見当たらないので、要注意です。多分、当時は堀をめぐらした規模の大きな城だったと思われますが、堀を公園整備化されているため、残念ながらよく分かりません。

女渕城址

 三番目の中村城址も分かりにくい場所でした。土地の人にアレコレ聞いても、答えは「?」ばかりで、諦めかけていたところ、それらしいモノを見つけ、近づいたところ中村城址でした。小さな朽ちかけた案内板だけですので、かなりの年配の人に聞かなければ、知らない人が多いのも無理はない状況です。案内板も文字が消えかけていて、整備が望まれます。周りは田んぼで、空掘・土塁が僅かに残っています。

中村城址、空堀跡

 最後の攻城は、赤堀町の赤堀城址。今度は見つけやすい場所にありますように。祈るような気持ちで赤堀の町に現着。県道76号線に入口の看板があり、ラッキー。 でも 「ん ?」、です。入口の看板は有るのですが、簡単には入れないのです。バイクでさえも、入って行けないようになっていて、降りてから歩いて攻城です。市街地なのですが、本丸内は全て個人の所有らしく、畑になっています。農作業をしている人が居ましたので、たぶんこの人がこの城の所有者なんでしょうネ。特に案内板のようなモノも石碑も有りませんでした。周りを土塁が囲っていて、上州の空っ風から農作物は守られているような気がしました。私も本丸の内で百姓をしたいです。(実は私、水呑み百姓の長男です。サラリーマンの足を洗ったら、百姓を継ぎたいと密かに考えてます)

赤堀城址、本丸内は畑、遠くに土塁と虎口

 赤堀町からR17へ。ここから鴻巣までは、ハイウェイのような道もあり、快適に距離を稼げられます。でも鴻巣からはノロノロに。でも元気を出して、オール下道で帰還、ご苦労さん、「ふうっ、疲れた」

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