■   大宝城址  ■

■期日 H14年2月23日(土)
      【茨城県】守谷市・守谷城址、石下町・豊田(石下)城址、
         関城町・関城址、下妻市・多賀谷(下妻)城址・大宝城址、
         下館市・伊佐城址・久下田城址、
      【栃木県】上三川町・上三川城址
■ルート 目黒自宅〜日本橋〜R6〜取手〜R294〜下妻〜R408
        〜真岡〜P47〜上三川〜R4〜日本橋〜目黒自宅
                         総距離:270Km

■コメント
 今回は取手市から北上し、栃木県の真岡市で戻って来るというルートで中世の攻城を狙います。先ずはベッドタウン化した守谷市の守谷城址へ。予想通り、遺構らしいものは有りませんでした。守谷小学校内に城址石碑が有るくらいです。築城当時はかなりの城域を誇った守谷城も、北条攻めの秀吉軍の猛攻であえなく落城し、その後廃城になったようです。見る影もないので、次の目的地に出発。

守谷城址

 R294は信号が少ないので、よく利用するのですが、石下町に入ると遠くからでも大きな模擬天守閣が見えてきます。豊田(石下)城です。どうもこういう天守閣は苦手で、何回か来ているのですが、入口まででパスです。入口付近には石下出身の「長塚 節」の像が建っております。

豊田(石下)城前の長塚 節の像

 さらにR294を北上し、下妻市の下妻駅前近くで、市役所前の多賀谷(下妻)城址へ。現在は城址公園になっており、遺構は僅かです。市街地ですので致し方なし。それでも、雰囲気が残っているので、「良し」としましょう。

多賀谷(下妻)城址・本丸跡

 ほんの少しR294を北上すると、国指定史跡の大宝(だいほう)城址があります。城域は現在大宝八幡神社の境内とダブっていますが、その分保存状態がよく、何度来てもその度に感動します。特に規模の大きな土塁には圧倒されます。昔の人は、どうやって・どういう思いで、これを作ったのか、本当に気になります。沢山の労働力も必要な筈です。

大宝城址・土塁跡

 さらに北上して、今度は関城町へ。ここは町名のもとになった(?)関城址があります。隣の大宝城址と比べるべくもないほど小規模ですが、城址という雰囲気があります。ここも国指定史跡です。南北朝時代は南朝方の拠点で、北畠親房が「神皇正統記」をまとめた所だそうです。

関城址

 十分に関城址を堪能したんで、次の目的地に。今度は下館城と思ったのだが、ここはパスして、中館(伊佐)城址へ。五行川の辺に、その崖等の地形を利用した伊佐城址があります。現在は中館観音寺の境内の一部になっていますが、ところどころに遺構が残存して雰囲気があります。この城址の石碑は巨大です。

伊佐(中館)城址

伊佐城址・土塁跡

 下館、中館と来れば次ぎは上館ですが、それに相当するのが久下田城址です。二宮町(栃木県)と下館市(茨城県)との県境界に城址はあります。やはり五行川の辺に築城されてます。川に面したほうは、土塁などの遺構が残ってますが、川とは反対側には何も残ってません。うっそうとした城址で、訪れる人も少ないものと思います。

久下田城址

 最後の目的地は、上三川町の上三川城址です。ここは今日訪れた城址では、唯一の近世の城址です。市街地ですが堀、石垣、土塁などが整備されて残っています。

上三川城址入口にて

上三川城址・堀

 帰りはR4でひたすら南下しますが、高速道とも思えるような部分もありまた、バイパス部分も多く、信号も割と少ないので、速攻で帰ることが出来ました。ふ〜っ、疲れた一日でしたが、思いで深い春の一日でした。

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